我、妖怪に御座候

□午後七時十一分_罠の中
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「また、夜。」

街灯の光を避けて、住宅の塀の前に立つ。

今までなら、僕に気づかないはず君が、振り返って微笑んだ。

「いつも夜ね。」

どこか危うい君の瞳。

酔っているわけではないのに、揺れているのはなぜか。

内心の動揺を隠して君の隣に立つと、見えたはずの翼を無視して微笑んでくれる。

『見えないモノは信じない。』

いつもそう口にする君が、『見えるモノ』を無視する異常さに知らずカラダが強張った。

「…どうして黙ってるの?」

気をつけたつもりでも、君に口づけた時に僕のチカラが流れてしまったんだろうか。

脳裏に浮かぶ可能性に、ないはずの心の臓が震える。

「翼、気にならない?」

訪ねた僕の声は緊張で掠れているのに、君は首を傾げて媚びるように僕の腕に手を絡ませた。

「どうして?」

面白いことなど何もないのに、クスクスと笑いしなだれかかる。

君であれば、するはずのない仕草に恐怖を覚えた。

何が起きてる?

胸の奥でなり始めた警報の意味を悟って、歩くのをやめた。

気を飛ばして君の気配を探す。

「誰だ。」

「あたしよ? わからないの?」

クスクスと笑い続ける外側だけ君のカタチの何かに、目を凝らした。

君と同じ顔の別の何かを見極めようとすると、薄っすらとかかる靄に阻まれ見えなくなる。

それでも…、そこにいるのは、君じゃない。

「誰だ。」

巻きついていた手を強く握り、逃がさないようにした。

君の気配が見つからない。

その焦りだけで、気が狂いそうだ。

この間、ちゃんと自覚したはずだった。
僕の存在が君にとってどれほど危険か。

何の準備もないままにしてはいけないとわかっていたはずだった。

驕り。

君は大丈夫だと。
僕が守ればいいと。

その結果がこれだ。

愚かな自分に腹が立つ。

「彼女は、…何処だ。」

認めたくない現実を、…受け入れた。

「彼女って誰かしら? 姥桜のキツネさん? それとも、一夜の情けさえ拒んだ姫のこと?」

微笑む何かは、君の姿で憎しみの目を向け僕を責めた。

「…一人だけ楽になろうとは、ずいぶんと虫のいい話だな。」

くっ、と笑いをこらえるような溜息のあと、異質な声が形のいい君の唇から零れた。

「お前。」

「ほう、わかるか?」

「…虚(ウツロ)。」

今まで忘れていた懐かしい名前を呼び、虚が前に別れた時と同じ目で僕を見ていることに気づいた。

名と同じように、ひかりを映さぬ黒い闇。
今は、そこに僕だけが映り、憎しみで光っている。

「何をした。」

出会いから…虚に疎まれていたのは知っている。

だから避けているというのに、虚は僕が彼を忘れた頃、現れては苛む。

それほどまでに憎まれるナニをしたのか。
わからなくても、君が何処にいるのか、きっと虚が知っている。

「なに、お前がそうまで大切に想うモノなら、挨拶くらいはせんとなぁ。」

君の姿のまま、憎悪を浮かべて嗤う虚から、目を逸らしたくなる。

「ほれ、そこにおろう? お前も堕ちたものだな。見えぬとは…。」

虚が指さす空中にわずかな空間の綻びを見つけた。

別の世界を作るのは、虚が得意とするところ。

裂け目の向こうに微かに君の気配を感じて、虚から離れた。

「そこな穴はじき閉じようぞ。我の世界は中のモノの生気を奪う…ヒトがいつまで耐えられるか、見ものよの。」

背中から聞こえる虚の声は、もう君を装うこともなく、彼本来の嘲りに満ちたものだった。

飛びつくように薄い切れ目に手をかけて、閉じようとする世界に飛び込んだ。

中は、薄闇に覆われた不透明な世界。

虚の気配に支配された世界は、僕のカラダからもチカラを奪う。
チカラだけでなくカタチさえ奪おうというのか、この中では自分の姿さえ曖昧で、一歩進む度、目の前の景色がねじれる。

森の中にいるようなのに、前に見えるのが何の樹なのか見分けがつかない。
音はすぐに吸い込まれ、どこを向いても見通せず、いくら歩いても進んだ気がしなかった。

どれほど歩いたのか、ようやく森を抜け、平地に来たと思えた頃、遠くに陽の赤い光が見えた。

朝が近づいてるのか?

時間の感覚さえ失い、靄に霞む赤い光が陽の光なのかも定かではない。

「っ! どこだ! 返事をしてくれ!」

名前さえ知らない君を呼ぶこともできずに、闇雲に叫ぶ僕は、どれほど滑稽だろう。

焦っても、どんなに必死に叫んでも、声はどこにも響かずに堕ちていく。
次第にチカラを失っていくカラダは重く、平地にでても、もう飛ぶチカラはない。

己の愚かさの代償を払うのは、いつも自分ではない。

知っていたはずなのに、驕っていた。

遠くにあったはずの陽の光が、不確かな世界にゆっくりと滲んでくる。

君の気配が見つからない。

絶望に満たされる僕は、存在が溶けるように薄れるのを感じた。

我、暁に消ゆを知る。

ゆっくりと失っていく意識の中で、僕は、君を求め闇に溶けていった。





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