我、妖怪に御座候
□午前6時30分_主様の屋敷にて
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眠りから覚め、一つ伸びをして大きな欠伸をする。
障子越しに差し込んできた朝日が染みわたるのを待って、僕は跳ね起きた。
なんて清々しい朝!
障子を開け、部屋の空気を入れ換えると、部屋の中は光と朝の澄んだ空気で三割増に気持ち良くなる。
特に今日はね!
起きたばかりなのに、今すぐにでも動き出したくてカラダがうずうずしている。
やっぱり、今日はね!
一人頷いて、隣の部屋で寝ているはずの主様を思って顔がにやけた。
だって、今日はね!
どうにも緩んでしまう頬を戻す気もないまま、主様を起こさないように、そっと井戸に水を汲みにでた。
だって、今日は、主様とお出かけの日なんだ!
最近、夜遊びばかりで、屋敷には寝に帰るだけだった主様が、留守番ばかりで可哀想な僕にご褒美をくれたんだ。
こんな日に浮かれるなって方が無理な話だと思う。
廊下から庭に降り、庭というより雑草の群生地に近い草むらを抜けて井戸に向かう。
本当だったら、今すぐ主様を起こして、お話したいくらいなんだ。
…優秀な従者の僕にそんなみっともない真似出来るわけがないけど。
…でも、出かける時間も、どこに行くのかも聞いてなかったな。
井戸の横にかけてあるタライを用意して、空の桶を投げ込むと、たちまち井戸の底から水音とコンという桶の音が聞こえてきた。
この水は、どこだかの龍脈に繋がっているとかで、飲むだけでチカラがつく。
主様には内緒だけど、この水さえ飲んでいれば、僕は生気を補充する必要は無いんだ。
主様は生気を必要としないみたいだから、この水の有難さなんて気づいてないみたいだけど。
カラカラと釣瓶を回し、桶を引き上げて、素晴らしい水をタライに開ける。
八分目まで溜めたところで、桶に残った水をゴクゴク飲み干した。
冷えた水は、僕の身内を流れながらチカラを注ぎ込み…。
飲み終わる頃には、主様を起こして早く出かけると決めていた。
だって、出かける時間、聞いてなかったから。
言い訳上手な自分にそっと賛辞を贈って、僕は桶を元に戻すと、タライを持って主様の部屋へ急いだ。
行きとは違って翼を使うから、水をこぼす心配もない。
開け放ったままの僕の部屋の机にタライを置き、主様用のタオルを箪笥の引き出しから出してその横に置く。
すっかり主様の朝のお世話の支度も整い、僕に残された使命は主様を起こすだけ。
やっぱりにやけてしまう顔を、今度は無理に元に戻して、続き部屋の襖の前で、威儀を正して平伏する。
「主様、朝でございます!」
力強く言い切っても、もちろん、返事はない。
「朝でございます! 失礼いたします!」
いいながら襖を開け、顔を上げた。
「………。」
昨日就寝前に見たのと寸分変わらない空っぽの部屋がそこにあった。
約束を守らないことなどこれまで一度もなかったのに!!
衝撃で呆然としながらも、僕は妙に納得していた。
最近、毎晩続いていた朝帰り。
大切な用事があると言っていた昨日の主様。
どこか切なそうで、幸せそうな主様の表情。
「…主様もただのオトコだったのですね。」
呟きは虚しく響き、それでも、従者としての誇りを思い出そうと必死になった。
恋は、万物問わず、厄介なモノ。
堕ちてしまえば、常の心持ちなど吹っ飛ぶという。
我、人外なれど人に交じれり。
人が恋に堕ち、どの様に貪欲になるか、想像にかたくない。
お優しい主様が思慕に負け、常の信条を蔑ろになさったのも仕方なきこと。
「………………
…それでも、これはあんまりです!」
ガクリ肩を落として哀しむ僕に、気づいて欲しい。
主のいない部屋は空虚に清々しく、僕は静かに襖を閉めた。
「主様の、馬鹿ああああっ」
叫びは、朝の空気に清々しく響き渡った。