龍 神 の 詩 −暗鬼編−

袖ひちて - 三章 水滴る
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 これは自殺行為だ。

 分の悪いことはしないに限る。


 暗殺者の本能がそう告げる。

 自分には何の利益にもならないのに、命を懸(か)けるなどばかげていると。


 だが、彼はもう華金(かきん)の暗殺者――暗鬼(あんき)ではない。


 与羽(よう)と約束したのだ。

 人を助ける。与羽を守ると。


 ――僕はもう中州の民。

 比呼(ひこ)は腹ばいに氷上を進もうとした。


 しかし――。


「それ以上進むな! チビ!」

 背後からかかった声に、比呼の動きがぴたりと止まる。


 ――チビ……?

 いつか、とてつもない衝撃を受けた言葉だ。

 しかし、それを言った長身の青年は、今は北の同盟国――天駆(あまがけ)にいるはず。

 比呼は少しだけ後退して、振り返った。


 まず見えたのは、人の背丈の三、四倍はあろうかという長い竹竿。

 こいのぼりにでも使えそうだが、太さはあまりない。

 細い竹を継(つ)いでその長さにしているようだ。

 そして、それを持った長身の男の右顔面に浮かぶ火傷(やけど)の跡。

 頭に巻いた、濃紺の手ぬぐい。


 やはり、以前比呼に暴言を吐いた人物とは違う。

 彼同様にしっかりした体つきをしているようだが、中年の男性だ。
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