龍 神 の 詩 −短編集−
□本当の名前
2ページ/7ページ
彼の足元に転がる骸は、見事なまでに急所を一突きされている。
彼が、やったのだ。
じわじわと上質な畳の上に赤いしみが広がっていく。
それがつま先を赤く染める直前に彼は踵(きびす)を返した。
すでに確保していた経路をたどり、安全な場所まで逃げる。
彼は暗殺者。
その存在を誰にも知られてはならない。彼の師と彼を使う華金(かきん)王以外。
駆けた。
見つかってはならない。
一刻も早く逃げなければ。
人の通らない暗い裏路地を駆け、町をぬけて月明かりの届かない森に入る。
それでも止まらず、さらに小川を飛び越え、尾根を一つ越え、やっと足をゆるめた。
そばにあった岩の陰に座りこみ、光のない空を見上げて息を整える。
虫の声も、獣の遠吠えも聞こえない。ただ、彼の荒い息だけが暗闇に響いた。
長い髪が汗でほほに張り付く。
今回の暗殺も成功だ。
しかし、彼はそれを喜ぶでもなくただぼんやりと宙を見つめている。