long novel

□君を呼ぶ声 第十話
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「……鷹の眼…」

ようやく司令部の堅牢な建物を視界に捉えた頃、それまで黙って窓の外を流れる景色を見ていたリザがぽつりと呟いた。
信号で停まって振り返ると、気配でそれを感じ取ったのか、また小さな声が雨音に混ざって呟く。

「わたしの名前…ホークアイって、鷹の眼って事ですよね」

「…ああ、そうだね。でも何故そんな事を?」



どこかで聞いたのだろうか。
かつて自分がそう呼ばれていた事を。

”鷹の眼”

誰より早く敵を見つけだし。
誰より正確に仕留める。

ただそれだけの意味で呼ばれた名前。

正確な射撃の腕から彼女はそう呼ばれるようになった。
あの。
戦場で。


それを彼女は、どう思っていただろう。


クラクションを鳴らされて顔を上げると、いつの間にか信号が変わっていた。
水しぶきをあげて車を発進させた時、まるでそれを待っていたかのように、リザが口を開いた。

「わたしは全然違うなって」

「…違う?」

「わたしには、遠くを見渡す眼はない。わたしには……わたしは、ただ護られるだけの、名前もない小さな鳥にしかなれない」

「……それでいいよ。君は私が護る。君は傍にいてくれれば、それで」


それで、いい。
穏やかな時間を。
死を与える事に。
死を与えられる事に。
怯えない日常を。
私が彼女から奪ったすべてを。
君に。


たとえ、あの孤高の瞳を見ることがなくなっても。
どれ程その瞳に焦がれても。


それでも、私は。
過ぎ去った日々の中で愛した少女によく似た君を愛そう。



外を見つめたままのリザが微笑んだ。
窓ガラスに写る彼女の頬に、雨がまるで涙のように伝っていた。















司令部に着く頃には、雨はますますひどくなっていた。
助手席のドアを開けて傘を差し出した私を見上げたリザは、しかし傘の中には入らずに脇をすり抜けて雨の中に飛び出した。

「リザ!?何を」

「ロイさん」

ばしゃばしゃと水を跳ね上げたリザが、傘の外で振り返る。
僅かな距離しかないはずなのに、水のベールに邪魔をされて、その表情がわからない。
それでも、たたき付けるような雨音の中で、彼女の声が微かに震えているのはわかった。

「わたしの事、好きですか?」

「………好き、だよ」

答えた私の声にも、微かな震え。
それに彼女が気づかなければいいと願った。


私は気づかない振りをする。
だから、彼女にもそうして欲しいと願った。

でなければ。
ここにある、すべてが、消えてなくなる。


それなのに。


「うそ、です」


彼女は、目を逸らす事を赦さなかった。


やめてくれ。


「…嘘じゃない。私は君を愛してる。君は、昔、愛した彼女によく似ていて、だから」



だから、愛してる。
そんな風に言うつもりはない。
それでも。
”彼女”以外の誰かを愛する事が出来るとしたら。
それは。
あの頃の”彼女”に似た君しかいない。



「それは、わたしじゃない」

「わかってる!そんな事は…わかってる。それでも、私は君を愛してる」


愛していける。
彼女と同じところも。
彼女とは、違うところも。
君を愛してみせるから。
だから。
これ以上。
気づかせないでくれ。




これは、私が望んだ事だった。
始まりから、やり直したいと。
私が望んだ事だったはずなんだ。


静かに首を振って微笑む彼女の頬を、冷たい雨が伝っていく。


「わたしを愛してくれているなら、どうして」


その先は言わないで。

気づかせないで。



耳を塞ぎたかった。
その先を聞いたら、もうごまかす事は出来ないとわかっていた。
それでも。
私は雨に濡れて微笑むリザから視線を逸らす事も出来ないまま立ち尽くしていた。
まるで、その先の言葉を待つように。




「どうしていつも、哀しい瞳をしているの」




気づいてほしくなかった。
気づきたくなかった。




「貴方が愛してるのは、わたしじゃない」




本当はわかっていたんだ。




「過去の彼女でもない」





辛い時。
振り返るといつも。
いつだって。
そこに居てくれた。




「貴方が愛してるのは」





私が愛しているのは。

同じ時を共に過ごしてきた−−。
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