long novel
□君を呼ぶ声 第九話
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「ロイさん、今日の夕飯は何が食べたいですか?」
「んー……なんでもいいよ」
「もう。そういう返事が一番困るんですよ!」
繋いだ手を大きく振って、リザが頬を膨らませた。
その可愛らしい仕種に苦笑が零れる。
あの後、私はリザに返事を求めなかった。
だから、あの告白をリザがどう思ったのかはわからない。
リザが私をどう思っているのかもわからないままだったが、不思議とその事に安堵していた。
ただ彼女はそれまでと変わらずに傍にいてくれている。
このまま時間が過ぎれば。
これ以上、気づかずにいられるだろうか。
「じゃあ、そうだな……魚が食べたいかな?」
大きく振られる手に力を込めて握りながらそういうと、頬を膨らませたままのリザが私を見上げて首を傾げた。
それから視線を空中にさ迷わせて「うーん」と小さく唸る。
少し眉を寄せて、魚を使った献立を考えはじめたリザを眺めて、こういう時間がこれから増えていくのだと不思議な感慨にふける。
仕事の帰り道。
手を繋いで。
夕飯の献立を二人で考えて。
そんな穏やかな日常が、彼女となら作れる。
たとえ、あの気高い瞳を見る事はなくなってしまっても。
代わりに手にいれられるものだってあるじゃないか。
「それじゃ、ムニエルにしましょうか」
「うん」
「それからサラダと…スープと……」
「うん」
顎に手を当てながら、献立を呟きだしたリザに相槌をうって、暮れはじめた空を見上げた。
遠く、昼と夜の境界が曖昧に滲んで交わっている。
まるで、今の私のようだ。
滲み、ぼやけて、やがて一色に染まる空。
「ロイさん!お魚屋さんはこっちですよ?」
ぼんやりと空を見上げていた私の手を引いて、リザが市場に続く道を指差した。
「ああ、そうなのか。料理などしないからいまだにどこで買うのかがよくわからないな」
「ダメですよ。毎日買ったものばかりじゃ、身体に良くないです。そんなんじゃ心配です。………わたしが…いなくなったら……」
「……………え?」
滲んだ夜が、リザの顔に影を作ってその表情を隠してしまう。
今。
なんと言った?
リザの腕を引いて立ち止まると、彼女は私を振り返って首を傾げた。
チカチカと瞬いて灯った街灯に、その顔が照らされる。私を見上げるリザは、普段と変わりなくて。
聞き間違いかとも思った。
それでも、不安が胸を突き上げてくるから。
「…ロイさん?」
囁くように私を呼んだリザに手を伸ばす。
「今……なんて…」
どうして。
そんな事を言う?
君は笑ってくれていたのに。
私はこれが幸せなんだとそう。
思うように。
願っていたものが。
ここにあるのに。
やっと。
君と恋が出来ると。
初めて恋をした君と。
それ、なのに。
どうして?
指先が彼女の頬に触れて。
ピクリと震えた。
身体に馴染んだ、肌に突き刺さるような視線を感じて、顔を上げると。
彼女の背後。
通りの奥に。
見知らぬ男が一人。
その手に握られたモノが。
灯る街灯の明かりか。
沈む夕陽の残滓か。
光を受けて、キラリと輝いた。