long novel

□君を呼ぶ声 第八話
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執務室に戻った後も、ロイさんはわたしを心配そうに見ては、何度も「大丈夫か?」と言った。
そんなロイさんの方が、わたしよりよっぽど青白い顔をしていると気づいているのだろうか。


それはまるで。


わたしが何かを思い出す事に怯えているようにも見える。


でも。
何に?






その答えはわからない。
もしかしたら、彼女は知っているのかもしれないけれど、教えてはくれない。

彼女が隠したがっているものと、彼の思い出してほしくないものは、同じものなのだろうか。


それさえもわからない。





定時になって、帰り支度をしていると、リオッテさんがこの間一緒だったお友達と訪ねてきてくれた。
わたしの具合を心配してくれていたみたいで、やっぱり何度も「大丈夫ですか」と聞かれた。



あの時の、頭痛の理由もわからない。



わからない事だらけ。
わたしには、何一つわからない。
わからない。
わからない。
わからない。


………わからない。


それは。



本当は”わたし”なんていないから。



今ここにいるのは”リザ・ホークアイ”の偽物でしかないからなの?

















「君はもう寝なさい。私はまだ少し仕事が残っているから、気にしなくていい」

シャワーを浴びてリビングに戻ると、手にしていた書類から目を上げたロイさんがそう言った。
今日はわたしの頭痛があったせいか、ロイさんの仕事があまり進んでいなかったから、明日の軍議の資料を家に持ち帰って目を通さなければいけないと言っていたのを思い出した。
たぶん今手にしているのは、その資料。


でも。


「……わたしも、ここにいて、いいですか」


怖いの。
独りになるのが、怖い。
わたしが消えてしまいそう。
わたしは、どこにもいない人間だから。


俯いたわたしに、ロイさんは何かを言いかけて、それでも何も言わずに少しの間沈黙が落ちる。
時計の針が廻る音が、静かなリビングにやけに大きく響いているような気がした。

やがて小さく吐息をついたロイさんは、手にしていた書類をパタンと閉じて立ち上がると、わたしの前までやってきて、くしゃりと髪を撫でてきた。

「さあ、寝よう。私ももう寝るから」

「でも…お仕事……」

「いいんだ。資料には明日目を通すよ」

二度、三度とわたしの髪を撫でたロイさんは、そう言って安心させるように微笑んでくれる。
それにわたしは、小さく頷く事しか出来なかった。






二人でベッドに潜り込んでしばらくすると、ロイさんの規則正しい寝息が聞こえはじめる。
これまであまり寝ていなかったから、やっぱり相当疲れていたんだろう。
それでもやっぱりベッドの縁で丸くなっているのは、本当にそこで寝るのが好きだからなんだろうか。

二人の間には、まるで境界線のように枕が横たえられている。

「これじゃ枕の為のベッドみたいです」

中央に据えられた枕を見てそう言うと

「いいの!ここからこっちは来たらダメだからな!」

怒ったような声を返されたけど。
その境界線を乗り越えて、丸まったロイさんの背中に手を伸ばした。
そっと触れると、一瞬だけロイさんの身体が震える。
でもすぐにまた規則正しい寝息が聞こえてきて、わたしは彼の背中に頬を寄せた。



ロイさんは、あったかい。



瞳を閉じると、夜の薄闇が、本物の闇の中に飲み込まれていく。






心細かった。
その闇は、まるでわたしのよう。
何も見えない。
何もない。




触れた場所から、確かにロイさんの温もりを感じるのに。
伸ばしたわたしの手は、彼には届かない。







その夜。
わたしは彼の背中に寄り添いながら、声を殺して泣いた。




わたしのような闇から、零れ落ちた涙は。


まるで。


わたしの心のようだった。
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