long novel
□君を呼ぶ声 第七話
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「ロ……ロイさん!大丈夫ですか!?」
「だっ…こ……なんっ…そ…!」
慌てて駆け寄るわたしに、よくわからない単語を叫んで床に座ったまま器用に後退したロイさんは、すぐに壁にぶつかってその動きを止めた。
紅いんだか蒼いんだかわからない顔色で、目だけが忙しなく周囲をさ迷っている。
落ちた時に頭を打ったのかもしれない。
今まで見たこともないくらい様子のおかしいロイさんに、不安が強くなる。
「ロイさん、大丈夫ですか?病院に…」
「触るなっ!」
頭に触れようとしたわたしの手を振り払って言われた強い拒絶の言葉に、びくりと身体が震えた。
振り払われた手が、じんじんと痺れるように痛い。
喉の奥から絞り出した声は、ひどく掠れたものになっていた。
「どこか……打ったんじゃ…」
「どこも打ってない!問題ないから心配しなくていい」
「でも…」
「もう遅い。君は早く寝たまえ」
わたしと決して目を合わせないように顔を背けたまま、眉がきつく寄せられる。
俯いた視線の先で、いつのまにか握りしめていた指先が白くなっていた。
「それなら、一緒に寝ましょう?ロイさんだって、ちゃんと寝ないと」
「私はまだ仕事があると言っただろう」
「だって!もうずっとちゃんと寝てないじゃないですか!」
「君はまだそんな事を言ってるのか。それも気にしなくていいと言ったはずだぞ。仕事の邪魔をするな!」
一度わたしを強く睨んだロイさんはまたすぐに視線を逸らして、苛々とした声を上げた。
突き放すようにそう言って立ち上がると、もうわたしには目もくれずに脇を通り抜けていく。
「………きます…」
「……なに?」
呟いた言葉に返ってきたのは、不機嫌さの滲んだ低い声。
「……出ていきます。自分の家に、帰ります」
「何を馬鹿な事を!あそこは安全じゃない。君だってそんな事はわかっているだろう!」
「だったら!…ハボックさんにお願いしてホテルをとってもらいます」
瞬きをすると、淡いピンクのパジャマに少しだけ濃い色の染みができた。
「ホテルも安全ではない。ここにいるのが一番安全だと」
「それでもっ!わたしがここにいたらロイさんに迷惑がかかります」
「…そんな事はない。迷惑など」
「わたしがここにいるせいでロイさんはろくに寝てないじゃないですか!疲れた顔をして隈まで作って!」
「……これは」
「いやなんです!そんなのは、いや、なんです……っ…………」
困らせたいんじゃない。
貴方の負担になりたかったんじゃない。
わたしがここにいることで、貴方に迷惑しかかけられないのなら。
もう出ていくしかない。
声を洩らさないように唇を噛んで堪える。
代わりに溢れ出した透明な雫が、ぱたぱたと微かな音を立てて、わたしの手と、レベッカがくれたパジャマを濡らしていく。
小さなため息が背後から聞こえて、身体を震わせた。
「……今まで、ありがとうございました。…わたしは、大丈夫ですから」
これ以上拒絶の言葉を聞きたくなくて、そう言って立ち上がりかけた時、突然後ろへと身体を引っ張られてバランスを崩してしまう。
けれど倒れかけた身体は、すぐに何かにぶつかって止まった。
胸の前に温かなものが廻され、頬に柔らかな黒髪が触れた。
「……わかった。………わかったから、一緒に寝るから…出ていくなんて、言わないでくれ」
少し掠れた、でも優しく響く低い声が鼓膜を震わせる。
それにわたしは、ただ黙って頷いた。