long novel
□君を呼ぶ声 第七話
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「やっぱり君の手料理は美味しいな」
彼女の手料理に舌鼓を打ちながらそう言うと、リザは口にスプーンを運ぶ手を止めて、私を見つめた。
物言いたげなその瞳に首を傾げるが、彼女は小さく首を振っただけですぐにいつものように柔らかな微笑みを浮かべて「ありがとうございます」と言った。
先にシャワーを浴びた私と入れ替わりに、今リザはシャワーを浴びている。
初日以来、背中の火傷の痕についても、秘伝についても彼女は何も言わない。
取り乱すような事もない。
彼女はあれをどう思っているのだろうか。
問いたい気持ちはある。
だが逆にあれの事を聞かれた時、どう答えたらいいのか。
それがわからなくて、未だに問う事が出来ずにいた。
いつかは、話すべきだろうか。
だがあの秘伝について話す事が、彼女を私に縛り付ける事になりはしないかが怖かった。
出来るなら、彼女には、彼女の意思で私を選んで欲しい。
秘伝を他の人間に見られるわけにはいかないからという理由ではなく。
私という人間を選んで欲しいと思うのは、ただの我が儘なのかもしれない。
それでも。
始まりからやり直さなければ、意味がない。
リビングのキャビネットからしまってあったバーボンのボトルを取り出して、用意したグラスに注ぐ。
それを一口舐めて、持ち帰った資料をローテーブルに広げる。
ぼんやりとしていては、いらない想像をしてしまいそうだ。
それに、一刻も早く犯人を捕まえて彼女を自由にしてやりたい。
いつ命を狙われるかわからない環境は、リザにも極度の緊張を強いているはずだ。
彼女は決してそうとは言わないが、恐怖がないはずがない。
昨晩途中で寝てしまった、その続きの資料に目を通す。
何度も、何度も。
シルヴィア・パーシーの供述。
現場に遺された僅かな手がかり。
そのどこかに、見逃しているものがあるはずだ。
『あなたは…』
そう言ったというリザ。
日記にはそれらしい名前は出ていなかった。
それでもあの”鷹の眼”が仕留め損ねたからには、それなりに見知った間柄だったはずだ。
………いや。
パーシーはフードで顔は見えなかったと言っている。
ならば。
なぜリザはそれが誰なのかわかった?
リザにも男の顔は見えなかったはずだ。
特定出来る程の、際だった特徴があったのか。
どこに?
あの夜の記憶を手繰り、背筋をはい上がる悪寒を無理矢理押さえ付けて、脳裏に焼き付いた光景を辿る。
激しい雨足にけぶる視界。
その先で倒れた彼女に銃口を向けていた男。
そう。
銃は握られていた。
ハボックの話では、男は腕を押さえていたそうだが、銃を握れない程ではなかった。
ならば、今も何食わぬ顔で日常生活を送っているのか。
思い浮かぶ疑問をメモに書き出して、がしがしと髪を掻きむしった。
ペンをテーブルに放り出して、代わりにグラスを手にとる。
琥珀の液体を喉に流し込みながら、もう一度パーシーの供述に目を通そうと紐で纏められただけの紙の束を持ち上げた時、リビングの扉が開かれた。
「……ロイさん」
「君はもう寝なさい。私はまだ仕事があるから気にしなくていい……ぶばっ」
彼女の声にそう言って顔を上げながらグラスに口をつけ、盛大に吐き出した。
たった今まで頭を占めていた事件の概要や、謎が一瞬にして忘却の彼方にに消え失せる。
手から滑り落ちたグラスが重い音を立てて床を転がったが、それさえ遠くで起こった出来事のようだ。
「ロイさん?」
なぜか廊下の方を振り返ったリザは、私に向き直り、一歩こちらに近づいてくる。
飛び上がった私は勢い余ってソファーの背から後ろへ転がり落ちた。
あちこちを強かに打ち付けたはずだが、全く痛くない。
たぶん今の私は、自己防衛本能により様々な感覚が鈍っているのだろう。
転がり落ちた事は全く問題ないのに、問題だらけの格好をしたリザが慌てて駆け寄ってくる。
「ロ……ロイさん!大丈夫ですか!?」
「だっ…こ……なんっ…そ…!」
大丈夫だから!
こっちに来ないでくれ!
なんなんだ!?
その格好は!
駆け寄ってくるリザから逃げるように、床に座り込んだまま後退するが。
どんっ
背中が壁にぶつかり、追い詰められた私は絶体絶命のピンチを迎えた。