long novel
□君を呼ぶ声 第二話
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戻ってきたロイさんに連れられてやってきたのは、歩いても10分もかからない距離にあるマンションだった。
わたしが暮らしていたマンションよりもずっと大きくて、綺麗な建物を見上げてびっくりしていると、ロイさんが苦笑を漏らした。
「見た目程豪華な部屋じゃないんだよ。ほら、おいで」
わたしから荷物を取り上げると、空いている方の手が差し出される。
戸惑いながらもそっと触れると、すぐにぎゅって握られた。
ロイさんの手は、大きくて、とっても温かい。
この手で頭を撫でられるのが、とても好きだった。
繋がれた手がくすぐったくて、わたしのドキドキが手から伝わらないか不安になっちゃう。
でも盗み見たロイさんは全然平気そう。
緊張してるの、わたしだけなんだわ。
「………ロイさんって、こういうの、慣れてるんですね」
そう言いながら、繋がったままの手をぶんぶんと振ると、ちょっと驚いた顔をされた。
「いや………そういえば、誰かと手を繋いで歩くのは久しぶりだな」
「信じられません」
「本当だよ。いつもは繋ぐ前に腕を絡められるからなぁ…」
「………ロイさんの、えっち!」
「えっ!?な、なんで!?」
慌てたようにわたしの顔を覗き込んでくるロイさんから顔を背けて
「知りませんっ」
と言うと、ロイさんは益々慌てたようだった。
不思議。
殺されかけたばかりなのに。
ロイさんの手に触れていると。
ロイさんの傍にいるだけで。
怖いって気持ちが少しずつ溶けてなくなっていくみたい。
本当のわたしより、強くなれる気がする。
そして、たぶん。
弱くもなっている。
階段を昇りきって、廊下の突き当たりで立ち止まったロイさんは荷物を床に置くと
「ここだよ」
と言って、コートのポケットから鍵を取り出した。
まだ繋がれたままの手に、少し力が篭ってしまったけど、ロイさんはそれに気づかずに鍵をドアノブに差し込んだ。
カチリ
と音がして鍵が開く。
ノブがくるりと回された。
だめ。
そこには。
そこには、あのひとがいる。
白いバスローブ。
朱く色づいた肌。
艶めく唇。
可愛らしい声で。
濡れた長い栗色の髪。
だめ。
いやよ。
思い出さないで。
−−−−やめてっ!
「−−−−ぁ…」
な、に?
視界が白く焼き付いて。
その中で、知らない女の人が笑っている。
長く伸ばされ、華やかな色で飾られた爪が、わたしの腕に食い込んで。
その手を振りほどこうとしたら、ぎゅっと握られた。
でも、痛くない。
温かな手が、わたしの手を包み込んでいる。
「……リザ?」
泣きたくなるくらい優しい声が、わたしを呼んだ。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこには心配そうな漆黒の瞳。
「どうした?大丈夫か?」
「…ぁ………だい、じょうぶ、です」
微笑んでみせたけど、きっと無理に笑ったのがわかったのだろう、ロイさんの顔が益々曇ってしまう。
ロイさんから、開かれた扉に視線を移して、ぐらりと視界が揺れた。
突き付けられた死の予感よりも。
この部屋の奥にあるものが怖いなんて。
踏み出す一歩がこんなに重いなんて。
どうしてなの。
繋がれたままの、大きな手の温もりに縋るように強く握り返して、わたしは、鉛みたいに重くなった足を一歩、進めた。
もう、一歩。
あと、一歩。
だ、め………。
最後の一歩を踏み出す前に、ぐらりと揺れた視界は、ロイさんの黒いコートの中に吸い込まれていく。
「リザ!?」
わたしを呼ぶロイさんの声を聞きながら、わたしの意識はあの黒い、黒い世界へと落ちていった。