long novel

□君を呼ぶ声 プロローグ
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リザside

◇◇◇◇

もしも。
何もかも忘れてしまえたなら。

私はただの”女”として彼の前に立てたのだろうか。


まだ何も知らずにいられたあの頃の私なら。
伝えられたの?


貴方にこの想いを……。




貴方は私を。



愛してくれたのだろうか……。






執務室に戻ると、そこにいたのはハボック少尉だけだった。
壁に掛けられた時計を確認すると、すでに定時をすぎて二回り程した時間になっている。
戻る道すがら渡された、胸に抱えた書類に目をやってため息をつきかけ、慌てて言葉を出す事でごまかした。

「ハボック少尉だけ?他の皆はもう帰ったのかしら?」

ただ漏れるだけのはずだった吐息は、上手く声になってくれた。

「お帰りなさい、中尉。まだ皆いますよ。フュリーはさっき電話の調子が悪いとかで呼ばれてました。ファルマンは資料室に行くって出ていきましたし、ブレダは部下ンとこっスね」

「そう。…ありがとう」

話しながら少尉が煎れてくれたコーヒーを受け取り座ると、主のいない一際大きな窓際のデスクに目を向ける。

「帰ったのはあの人だけなのね」

「あ……でもっ!ちゃんと書類は終わらせていきましたよ」

なぜか取り繕うように言った少尉は、私の机の上に積まれた書類を示した。

「それに提出が必要なものは大佐が帰りに出して行きましたし」

「そう。助かるわ。………でも、目を通していただきたい書類が出来たのよね…」

今度こそ堪え切れずにそっとため息をついて、抱えてきた書類に目をやると、ハボック少尉が困ったような顔で覗き込んできた。

「緊急…っスか」

「ええ…明日の軍議の追加資料よ。大佐は定時に帰られたの?」

「いえ、30分くらい遅かったですね。…あんまり乗り気じゃなかったみたいっスから」

「?そう」

探るような視線を向けてくる少尉に、首を傾げながら頷くと「そうっスよ!」と力強く返された。

気乗りのしないデートだったならあまり遅くならずに帰宅してくれるだろうか。
窓に目を向けると、降り出した雨が風に煽られたのか、時折ばちばちとガラスを叩いている。

机の上に積まれた書類にさっと目を通し、不備がない事を確認していると少尉が

「それにしてもすごいっスね、中尉」

と言った。

「なんの話?」

「大佐から聞きましたよ。射撃訓練の講師を頼まれたって」

「ああ…面倒な仕事を押し付けられただけよ」

苦笑しながら答える。
人手が足りなくて、面倒だからと押し付けられたに過ぎないのだ、実際。
それでも少尉は「すごいっスよ」と言ってくれるから、なんだか照れ臭くなってしまった。

「それに評判も良いって聞きましたよ」

「鬼教官って?」

「まさか!本当に評判良いみたいっスよ」

「嬉しいわね。でも、私が得意なのは、仕事をサボる上司の躾よ」

「それは俺も受けたい講義っスね!」

二人で顔を見合わせて笑い合う。
きっとこの場に彼がいたら、不服そうに頬を膨らませた事だろう。
”躾なんて、犬や子供と一緒にするな”と。
手がかかるという意味では子供よりよほど厄介な事を、彼はわかっていないのだ。

特に問題のなかった書類をファイリングして席を立つと、少尉が見上げてくる。

「帰るんスか?」

「ええ。この資料も大佐に届けないといけないから…。少尉はまだ残るの?夜勤じゃないわよね」

「ブレダ待ちなんスけどまだ戻って来ないし、車出しましょうか?」

窓を叩く雨音はますます酷くなっているようだった。
手にした書類に視線を滑らせる。


これを濡らしてしまうわけにはいかないわね…。


「そうね…お願いしようかしら」

「じゃあ、車回しときます」

「悪いわね」

「いいっスよ」

人懐っこい笑顔を浮かべた少尉が部屋を出ていく。
その後に続いて、私は更衣室へと向かった。
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