long novel

□君を呼ぶ声 プロローグ
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はあ………。

本日何度目かのため息の後、すぐ目の前の自分のデスクで資料を作成している、麗しの我が副官に目を向けた。
纏めるのにはまだ短い、けれどだいぶ伸びた金の髪を掻き上げて相変わらず生真面目な顔で仕事に励む彼女の横顔は、やはり美しいと思う。
その顔に不快な表情を浮かべさせるのはとても辛かったが、言わないわけにはいかない。
彼女は私の副官で、私のやらねばならない仕事は全て彼女が管理していると言っても過言ではないのだから。

せめてそれが仕事の為ではなく、嫉妬によるものだったのなら、こんな話をするのも楽しめたのかもしれない。


彼女が私のする事に嫉妬などしてくれるわけもないが…。


「中尉」

意を決して呼ぶと、いつものように一呼吸さえ挟まずに彼女がこちらに顔を向けた。

「はい」

凛と透き通るような声。
宝石よりも美しい琥珀色の瞳が私を見つめて、薄紅色の小さな唇が、私の階級の形に動く。
「なんですか、大佐」と。

資料作りを中断して席を立った彼女が、猫のようにしなやかな動作で私の前に来るのを待って、口を開いた。

「今日は定時で帰りたい。仕事を調整してくれ」

私の言葉を聞いた彼女は、予想通り不快そうに顔をしかめた。
そして弧を描く眉を寄せたまま、その視線を私から、私の背後の窓へと向ける。

「……天気予報をご覧になっていないのですか」

彼女が言わんとしている事がわかって、私の眉も自然と寄ってしまったが、あえて気づかない振りをした。

「天気予報がどうした」

「今日は夕方から大雨ですよ。そんな日に貴方が外をふらつくのは賛成しかねます」

やはり、と言うべきか。
彼女はまた私の予想通りの答えを口にした。

たまには予想を裏切る答えが聞きたいものだ。

「雨ならなんだと言うのだ」

「雨の日の大佐はむ」

「無能、とは言うなよ」

彼女の言葉を遮り、険悪な声を出したが、彼女は特に気にした様子もない。

「わかっていらっしゃるなら少しは慎んで下さい。何もこんな日に女性と会わなくてもいいでしょう」

ため息混じりに言って、彼女は私に目を戻した。

私の身を案じてくれるのは有り難いが、無能と言われるのは気に入らない。
何より彼女にとって、私が他の女性と会う事はたいした事ではないという、その言いようがとても嫌だった。

だからなのだろう。
こんな言葉が、口をついて出たのは。

「昔の君はもっと可愛いかったのにな。私はあの頃の君にもう一度会いたいよ」

それは声に出してみると、なんとも甘美な響きを持っていた。

かつてのリザが今ここにいたのなら。
まだ私が傷つける前の君だったのなら。

あの日云えなかった言葉を。
ただ君を愛していると云えただろうか。

あの頃の君となら。
どこにでもいる恋人同士になれたのだろうか。


もしも君が私の犯した過ちを忘れたのなら。
私たちはただの男と女としてやり直せるのか。




それはとても罪深く、甘い夢だ。
それでも願ってしまうのは、私が弱い人間だからか。




膨れあがるばかりで吐き出す事の叶わない想いは、出口を求めてさ迷っている。
そのうち窒息してしまいそうだ。


私の言葉に、その眉間の皺をますます深めたリザに「とにかく」と声をかける。

「とにかく、今日の予定はキャンセル出来ない。せいぜい気をつけるから、今日のところは都合をつけてくれ」

「………わかりました」

不服そうな顔ではあったが、渋々頷いた彼女は、私の机に積み上げられた書類の山の一つをはじに除けて

「こちらの山は明日処理していただきます。ですが、これらは本日中に目を通して下さい」

残りの山を示して言った彼女に「わかった」と頷く。

「それから、なるべく早くご自宅に帰られて下さいね」

「わかっているよ。君のいない所で襲われないように気をつけるさ」

肩を竦めて言って、小山の上の書類に手を伸ばす。
それを見届けた彼女は、まだ何か言いたそうにはしていたが、やがて小さく嘆息して席に戻っていった。
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