long novel

□君を呼ぶ声 第九話
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ロイside

◇◇◇◇


パシンッ

ちり、と頬に走る痛みと衝撃。
それらをやり過ごして、驚きに目を見開く女を正面から見据えた。
すぐ背後で、庇った彼女が息を飲む音が、胸に突き刺さる。

「……何をしている?」

低い。
絞り出した声は、想像していたよりも、ずっと低かった。
そして、抑え切れない怒りが滲んでいた。

その怒りが、彼女を傷つけようとした目の前の女に対してのものなのか、それともそんな状況を作り出した自分へ向けられたものなのかさえわからない。
ただ、憎悪だけは、間違いなくこの女へと向けられている。


彼女を傷つけようとした。


それだけで。


視界が赤く染まる。


私の視線にたじろいだ女は、けれどそのまま部屋を出ていく事はせず、私の後ろで震えているリザを睨みつけた。

その瞳には、醜い嫉妬の炎が見える。

女の視線からさえ庇うようにリザの前に立ち、震えたままの彼女の肩を抱き寄せた。

色を失った白い顔。
カタカタと止まらない震え。
見開かれた琥珀の瞳が、ここではないどこか、今ではないいつかを見つめている。

「…リザ」

呼びかけると、腕の中の彼女がビクリと肩を跳ねさせた。
ゆらゆらと揺れながら、焦点の定まらない瞳がゆっくりと私に向けられる。

「……ぁ……はっ…あ、ぁ…」

「リザ…大丈夫だ……大丈夫だから…」

囁いて、彼女の髪を撫で、浮かんだ涙を指先で掬いとると、その眦に口づけた。
震える彼女を落ち着けるように、宥めるように、何度も、何度も。

「大丈夫……大丈夫だ」

繰り返される行為は、まるで何かの儀式のように。
何度も囁く言葉を呪文にして。



唇に浮かびそうになる嘲笑を押し込める。



何が大丈夫だというのか。
彼女を傷つけた。
また。
彼女さえも傷つけたんだ。
私の愚かな行いは、どこまでも彼女を傷つけていく。
始まりからやり直せたとしても。
私が彼女を傷つける事に変わりがないなら。


今、この時に。
いったいどれほどの意味があるのだろうか。



「……によ…何よ!その女はただの部下じゃなかったの!?」

ヒステリックに叫んだ女の声に、リザの身体がビクリと震えた。
その身体を強く抱きしめて腕の中に閉じ込めながら、視線だけを女へと向ける。

しんと冷えた心。
燻る熱情。

この身を喰らい尽くす焔から目を逸らす。

今はただこの腕の中の温もりを。
慈しむ事だけを……。




「………彼女はただの部下だ」

「だったらどうしてっ」

「ただの部下だが、彼女に代わりはいない。君とは違う。私の”副官”に代わりなどいない。誰も、誰一人、彼女の代わりにはなり得ない」


そんな事。
初めから知っていたのに。
どうして願ったのか。
あんな事を。



彼女の代わりはどこにもいなかったのに。


たとえ、それが……。




「あの日も言ったはずだ。君と付き合うつもりもないし、君の望む事はしてあげられない。帰ってくれ。そして二度と私の前には現れないでほしい。もし……もし今度、彼女に危害を加えようとしたら、その時は君が女性でも、容赦するつもりはない」


吐き捨てるようにそう言って、女の瞳を見据えた。
そこに強い拒絶を込めて。

女はその顔を歪め、二回、大きく息を吸って、肩を震わせると背を向けた。


傷つけただろう。
プライドも、その心も。
それでも。
もう失うわけにはいかない。
今またリザを失ったら、この世界は完全に色を失う。
モノクロームでさえなくなる。



だから。
たとえ何を傷つけても護らなければならない。



静かに閉じる扉を見つめて。




己の心にも鍵をかける。





もう二度と。
失わない為に。





瞳を閉じて、想いを殺した。
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