long novel
□君を呼ぶ声 第七話
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ロイside
◇◇◇◇
目の前にリザがいた。
これまでの事は全て夢だったのではないかと思える程に、見慣れた凜とした瞳が私を見つめている。
まるで今にも「仕事をサボらないで下さい!」と叱責してきそうな、慣れ親しんだ彼女に微笑みが零れる。
−−−中尉−−−。
そう呼ぼうとした時、赤い、紅い焔が私の視界を覆った。
その焔の向こうで俯いた彼女が、左肩を抱きしめる。
やがて顔を上げた彼女の表情は。
苦痛に歪んでいた。
私はその顔を、知っている。
それは。
彼女に請われて、背中の秘伝の一部を焼き潰した時に、彼女が見せた顔。
ならば今私と彼女を隔てているこの焔は、私のものなのか。
禍禍しい程の熱の奔流から彼女を救い出そうと手を伸ばすが、肩を押さえた彼女はするりと私の手をすり抜けてしまう。
距離の開いた二人の間に、朱く湿った砂塵が舞った。
視界を覆った砂塵が消えた先には、砂避けのコートを着込んだ先程よりも僅かに若い彼女がいる。
落ち窪んだ焦燥した瞳。
それは………。
人殺しの目。
その瞳が私を責めている。
彼女に届かなかった手を握りしめて俯いた。
彼女の瞳に今の私がどう映っているのか、それを知る事が怖い。
合わせる事の出来ない視線の先で、握りしめた拳が震えていた。
不意にきぬ擦れの音がして黒が視界に広がる。
顔を上げた先に。
白い背中と。
その背をカンバスの代わりに描かれた秘伝があった。
細かな傷痕も。
私の代わりに彼女が負った咎の証もないそれは、ただ滑らかで。
白い肌の上で火蜥蜴の紅が、抗い難い程蠱惑的に誘っていた。
あの日をなぞるように、息を殺してただ魅入る。
身動き一つ、呼吸の一つさえ出来ない。
私を魅了してやまないものから、視線を逸らす事など出来ない。
それさえも罪なのだと知っているのに。
彼女に触れたい。
あの熱をもう一度、感じたい。
爛れる程に熱く、熱く。
私を内側から焼き尽くす熱情。
抑え難い衝動に手を伸ばす。
だが…。
彼女に近づこうとした足が。
ずぶり
朱い沼に沈み込んだ。
抜け出そうともがいても、足を引き抜く事さえ出来ない。
ずぶり……ずぶり…
足掻き続ける私を振り返った彼女は、まだ少女のあどけなさを残した顔で、はにかむように微笑んだ。
−−−リザ…−−−
声にならない声で彼女を呼ぶ。
彼女は穢れを知らない澄んだ瞳に私を映して、何かを囁いた。
−−−ずっと、君に………−−−
逢いたかったんだ。
あの頃の君と、恋をしたかった。
二人の関係をやり直せたらと。
ああ……。
それなのに、なぜ言葉にならない?
リザの瞳が揺れた。
それは。
ひどくはかなく。
とても悲しそうに。
何かを囁く彼女の声が聞こえなくて。
伸ばした腕が彼女に届かない。
粘り着く朱い沼が絡み付き、私を捕らえる。
彼女に伝えたい事はたくさんあるのに。
そのどれもが明確な言葉にならないまま、私の胸の中で弾けて消えていく。
何一つ言葉にする事の出来ない私を、悲しそうに見つめていた鳶色の瞳が伏せられる。
音のない世界で、たった一つだけが、はっきりと私の鼓膜を震わせた。
−−−さようなら−−−
その音と共に彼女の背が向けられる。
待ってくれ。
行かないでくれ。
傍に。
ここにいてくれ。
もう一度君と、最初から……。
−−−−……がう…。
待ってくれ…。
「−−−っ…!」
跳ね起きた私の傍らで、青ざめた顔のリザが大きく肩を震わせた。
その身体を引き寄せて掻き抱く。
強く。
強く、壊れる程に、強く。
彼女の肩に顔を埋めて、その温もりを、ここに彼女が存在している事を確かめる。
醜く爛れた私の罪の証。
それさえ愛おしくて。
ああ。
それなのに。
リザの手が、優しく私の髪を梳いていく。
こんなに君を強く抱きしめているのに。
触れた肌で君の温もりを確かに感じるのに。
この手は彼女に届かない。
それが、ひどく哀しかった。