長編【壱】
□はち
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「今日は、もう帰る。悪かったな」
そう切り出したのは、沖田の方だった。続く沈黙にキリがないのが分かり、わざと足音を立ててその場を後にした。
サツキは、瞑ったままの瞳で沖田の背を見送るが、沖田は振り返ることなく、沖田の《1日》は終わった。同時に、サツキの《1日》は、まだまだ長く続くこととなった。
数時間後、玄関先から物音がするのに気付いたサツキは、何気なく玄関先まで足を運ばせた。
扉を静かに開けると、小柄で傘を持った少女が立っている。チャイナ服を着ていた少女を見て、それが沖田の話すチャイナの女の子だとわかると、サツキはゆっくり微笑んだ。
「いらっしゃい」
「お前、目…見えないんじゃないアルか?」
驚いた表情を見せた神楽の顔が、サツキの目に焼き付く。サツキは笑った表情で、ゆっくり口を開いた。
「ごめんね」
確かに開く目の中には、冷酷で冷たいものだった。神楽は冷や汗を流し、息を飲み込んだ。
「騙してたアルか」
「うん」
「アイツは…」
「知ってるよ。」
笑みを絶やさないサツキに、神楽は複雑そうに顔を歪めた。誰よりも辛い沖田を想って。何より、冷酷な瞳をしている彼女を一番哀れんだ。
「騙してきた、事件の内容だって真相だって知ってるよ。だけど黙ってた。目が見えないフリをした。一応、両方とも2.0。体は、実際に弱いけどね。」
次第に弱々しく話していくサツキに、神楽は「なんで、それをワタシに話すネ」と、真っ直ぐとサツキを見た。
「ずっと言いたかったんだ、誰かに。あんなに優しい人とずっといたら、気が狂いそうで、早く楽になりたかったんだ」
そう言ったサツキの目を真っ直ぐ見たまま、神楽はしばらく開きっぱなしだった口を動かし始めた。
「やっぱ眼科行った方がいいアルな。アイツが優しいとか絶対に間違いネ。それに、楽になりたいなら、本人に言うアル。アイツは、お前が思う程、お人好しじゃないヨ。」
神楽はそれだけ言うと、サツキに背を向けて歩き出した。見えなくなるまで見送ると、サツキは、悩む時間が長く感じる程、1日がなかなか終わらなかった。
2010/7/4