小説/とらちゃんシリーズ

□とらちゃんの選択 全5話
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とらちゃんには家族の記憶がほとんどない。
お母さんのほか兄弟が何匹かいたはずなのだけれど、気がつけば1匹また1匹と姿が見えなくなり、最後に残っていた兄弟もお母さんと一緒に出かけてたきり戻って来なかった。
悲しいとか捨てられたという思いはなく、それよりもじっとしていてもお腹が空いて空いて、鳴けば食べ物が降って湧いてくるかもしれないという淡い期待のもと、必死に鳴いた。けれどひとけのないうらぶれた神社の縁側の下でいくら鳴こうが、誰が気づいてくれるわけもない。
幼少の頃から性格がどこかぽわんとしていたとらちゃんは、多少の空腹ではなかなか自分から食べ物を探しに行くというアクションを起こせない。しかし肉体的限界はいずれやってくる。
そんなとき、とらちゃんのいる軒下から、黒い4本の足がざくざくと音を立ててやってくるのが見えた。大股で迷いのない足取りはどこか威圧的で、人が訪れた今こそ救済されるチャンスだというのに、とらちゃんはさんざん鳴いていた声を思わず止めてしまう。
「あれ?いま猫の声してなかった?」
軒下の前で立ち止まったひとりが言った。とらちゃんは姿を見られたわけでもないのにその太い声にびびり硬直する。
「そうか?空耳じゃねえの、あんたは小動物にやけに好かれるから。それより近藤さん、ここに奴らを追い込んで捕縛するって計画、この様子じゃ大丈夫そうだな」
「ああ。騒々しい舞台にしちまうのは神様に申し訳ねえけど…あれトシ、神主もいない神社ってことは神様もいないのか?」
「さあてね。どっちにしろ長屋が密集したあの場所で大立ち回りしちゃ、関係ない人間が巻き込まれる危険が高い。罪のない奴傷つけるくらいなら、自分の家がうるさくなることなんざ神様にとっちゃどうってことねえだろ」
「そうか。そうだよな。やっぱりトシは賢いな」
「なんだよそれ…」
ふたりの男はぼそぼそと話し続けていて、なかなか立ち去る様子がない。とらちゃんは相変わらず死んだふり状態のまま、この怖い状況が終わってくれるのをひたすら待っていた。
「…てことでいいな。計画通り行けば奴らが手にしてる得物はよくて大小、慌ててりゃ小太刀程度だ。火器を持たせないようそこだけ気をつけてりゃ、この神社に追い込んで一気に捕縛するのがいちばん害がねえ」
「うん、それでいい。予定通り週末に御用改めといこう。ただ」
「ただ?」
そのとき、とらちゃんの視界にいきなり人の顔が飛び込んで来た。大きな体を丸め、縁側の下をのぞいている。ツンツン立った髪に、顎鬚。見るからにおっかないのに、その顔は笑っている。
「やっぱりここにいた。トシ、仔猫がいる」
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