小説/とらちゃんシリーズ

□とらちゃんとトシ 全6話
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(今までこういうことが起こらなかったことが、かえって不思議なくらいだったんだ…)
土方は呆然と近藤の部屋に立ち尽くしている。
部屋の主は1泊の出張で留守にしており、今夜戻る予定になっている。朝から降り続けている雨が足場をぬかるませていたが、今回は運転手も付けていったから近藤の足が汚れる心配はない。
(近藤さんは汚れねえ。しかし…)
土方はまだ微動だにせず部屋に突っ立ったままだ。その顔はまるで凄惨な現場を見たかのように引きつっている。確かに土方にとって目の前の光景は修羅場かもしれなかったが、部屋の壁一面に血飛沫が飛んでいたわけでもなければ、首のない死体が転がっていたわけでもない。ただ近藤の座布団の上に泥の塊のような置き物があり、縁側と座布団を結ぶ線上に小さな足跡が(もちろん泥色の)ついているに過ぎない。
問題はその泥の塊に、よく見れば手足と耳としっぽがついていることだ。
「チビ…てめえは庭で泥まみれになった体を近藤さんの座布団で毛づくろいか」
ようやく土方が地鳴りのように不気味な声を出す。いつもならば土方を見るとさりげなくフェードアウトしていくとらちゃんが、今日はそんな恐ろしい声すら思いきり無視して必死に体を舐めまくっている。どうやら汚れてしまった体が気持ち悪くてしょうがないらしい。
実際、とらちゃんはうるさい人どころではなかった。まさに眼中になかった。
とらちゃんは雨の日があまり好きではない。地面からはねる水しぶきがお腹のふわふわした毛にびしゃびしゃと飛んで冷たいし、濡れたまま眠るのは気持ちのいいものではない。かといって全身をくまなく舐めることもできるはずなく、必然的に雨の日のとらちゃんは終日隊士が作ってくれたハウスに丸くなって寝ていた。
それなのに一体なぜこんなことになってしまったのか。
無理や無謀とは基本的に縁のない平和主義のとらちゃんにとって、最大の脅威はちっちゃい人だった。その姿を目にしたら、うっかり尻尾を振って近づいて行きそうなシバくんを置き去りにしてでもダッシュで逃げた。とらちゃんにとって沖田はトラウマであり小悪魔であり小鬼畜だった。
ところがついさっき、お腹が空いたとらちゃんが濡れないように軒下を通ってご飯を食べに行くと、なんとその黒い存在がまさに自分の皿になにか入れているところではないか。ショック死しそうになり固まっているとらちゃんに気づいたちっちゃな人は、無邪気な顔で言った。
「ようとらちゃん、いいとこ来た。このスーパーミラクルスペシャルブレンド、食ってみな。なんでも食べると背中に羽が生えるらしいから、お前が無事鳥になったら土方さんにやろう。遠慮すんなぃ、ほら」
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