小説/とらちゃんシリーズ

□あたらしいともだち 全5話
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屯所で飼われているも同然のとらちゃんは、今日も近藤以下むさい男たちの手厚い庇護のもと、屯所の敷地内を自分の小宇宙として暮らしている。記憶にある範囲で屯所の外に出たのは、近藤に抱えられて動物病院に連れて行かれ、予防接種を受けたときくらいだ。急に広い世界に出されただけでなく不気味な匂いが蔓延する場所でちくちく痛い思いをさせられ、そのときは大好きな近藤のことを恨みがましく思ったものだったが、近藤があまりにも申し訳なさそうな顔で、いてえよな、ごめんな、でも注射しとけば防げる病気ってのもいっぱいあるからな、我慢してなとお経のように延々と繰り返すものだから、多分悪気があってこういうことをしたわけではないのだろうととらちゃんなりに納得した。それにその日の食事はいつにも増して豪勢で、しかも土方が上洛中で不在だったため、大っぴらに近藤の布団の中で朝まで眠ることができ、結果としてはなかなか悪くない1日だった。
その日、とらちゃんは屯所の広い庭を特に意味もなくぶらついていた。屯所にはときおり塀の外からほかの猫もやってくるが、稽古場から響く木刀や竹刀のぶつかり合う音やがさつで乱暴な太いかけ声が鬱陶しいのか、長居する猫はいない。とらちゃんのことも、百戦錬磨の野良猫たちは「すげえチビ」という顔をして鼻で笑い、存在自体を無視する。とらちゃんはその辺、あまりプライドというものは持ち合わせていないので、相手にされなくてむしろありがたいと思っている。なにしろ小さいのは自分でも自覚している、あんな大きな猫(とらちゃんにとっては)にちょっかい出されたら引っ掻き傷程度じゃ済まない。耳の形がいびつになったり、尻尾が半分くらいの長さになってしまうかもしれない。
縁側のそばまで来ると、そこにはアイマスクをした隊士が昼寝をしていた。
(アッ!)
視界の隅にその姿を確認した途端、とらちゃんはダッシュでUターンする。とらちゃんにとってこの世でいちばん怖いのは大きな野良猫ではなく、自分に不気味な液体を飲ませて思い出すだけでも震えるほど怖い思いをさせた、あのちっちゃい人だ。
方向転換したとらちゃんは厨房の勝手口に向かう。そこには専用の皿が2つ置かれていて、ひとつは食事用、もうひとつには水が入っている。ところがそのとき、あいにく皿は空になっていた。ドキドキしたから喉が渇いたな、そう思ってしばらくそこでぼんやり立っていると、ちょうど勝手口から山崎が出て来た。
とらちゃんにはどういうわけか、山崎は自分より立場が下の存在という意識がある。山崎が醸し出している地味すぎるオーラが、とらちゃんにそう思わせてしまったのかもしれない。山崎の顔を見て一声鳴いた。
「にゃあ(おまえ、水入れろよ)」
山崎は黙ってとらちゃんを見下ろし、それからおもむろに皿に手を伸ばしながら言う。
「お前さあ、今、心ん中で俺に命令してなかった? なんかそんな顔してたよ…」
ぶつぶつ言いつつも水で満たされた皿をとらちゃんに差し出した山崎に、とらちゃんはやさしくねぎらいの言葉をかける。
「にゃあ(ごくろうさん)」
山崎がまだ口の中で文句を言いながら去っていくと、すぐそばの植え込みから茶色の固まりが出て来た。とらちゃんはぎょっとし、水を飲むのも忘れて固まる。
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