小説3

□蜻蛉 全13話
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近藤が出張から戻って屯所に足を踏み入れたとき、ほんのわずか、いつもと違う空気を感じた。隊士たちは普段と同じように働いているし、玄関まで出迎えてくれた隊士は近藤の荷物を手際よく運んで行く。一見いつもとなにも違わないのになんだろう、近藤はそんな不思議な思いを抱きながら自分の部屋へ向かい障子を開けた。
「あ、びっくりした」
「おかえり近藤さん」
近藤の部屋には土方がいた。本人のいない部屋に土方がいるというのは皆無に等しい。それに土方が屯所にいるときに近藤が出張から戻ったときはかならず玄関で迎えてくれるのが常だったから、近藤は土方が市中見廻りで不在とばかり思っていたのだ。
「出張お疲れ、大事なかったか」
いつものように近藤の脱ぐ上着を受け取りながら土方が尋ねる。
「ああ、ちょいちょい連絡入れてた通り、会議は滞りなく進んだ。厄介な仕事も押し付けられずに済んだし、上々だ」
「そりゃよかった」
「トシはどうした、珍しいな俺の部屋にいるなんて」
「勝手に入ってごめん」
土方は近藤から受け取った上着をハンガーにかけ、袖のしわを丁寧に伸ばしながら詫びる。その背中がいつもよりも少し小さく見えて、近藤は慌てて言った。
「いや、全然構わねえんだぞ、勘違いすんなよ。ただ、いつもは屯所にいるとき俺が出張から戻ると、たいがい玄関で出迎えてくれてたろ。今日はいなかったからてっきりトシは出かけてるもんだと思ってたんで、ちょっと驚いただけだ」
土方は返事をせず、上着を箪笥にしまうとそのまま黙って茶を淹れる。その様子がいつもとどこか違う気がして、近藤は自分がいない間になにかあったのだろうかと思った。
「トシ、どうした。俺の部屋で待ってたってことは、なんか話してえことがあるんじゃねえの」
「…近藤さんは、俺を軽蔑するかもしれねえ」
「いいから言ってみろ」
近藤は土方が言いやすいよう隣に座り目線をそろえ、やわらかな笑みを浮かべて土方の肩に手を乗せた。土方はなおためらっていたが、それでも意を決して口を開いた。
「近藤さんが出張中に人を斬った」
「うん」
「斬らなくちゃいけなかった奴だ、それについての後悔なんざ一切ねえ。だが、関係ねえ女まで巻き沿いを食らわせる羽目になった」
「お前になんかしようとしたのか」
「いや、男が女を盾にしたもんだから女が暴れて、男の持ってた果物ナイフが首を切った」
「なんだその男、最悪じゃねえか」
近藤が顔をしかめる。
「その女の腹、でかかった。死んでから気づいた」
ああ、それで。近藤は土方の暗い空気のわけを知る。
(女を斬るってのはかなり引きずる、しかも腹に子どもがいたとあっちゃ、これは誰でもこたえる。さすがのトシでも落ち込むのは無理はねえ。いくら自分が直接手を下したわけでなくとも、女が斬られる状況を作り上げたのは自分だって意識はそう簡単に消えねえ)
どれほど人を斬ろうが、その感覚に慣れ親しむことはない。刀から伝わる肉を裂き骨を断つ感触に、鈍感になったこともない。だからこそ近藤や土方、ひいては真選組の隊士たちは今日も生きながらえているのだ。
(鬼の副長なんて言われてるが、本当はこういうことが誰よりもこたえる奴なんだ)
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