小説3

□ときめくラピュ 全4話
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「いらっしゃいませ」
いつものように、控えめすぎず大げさすぎない絶妙な笑みを浮かべたマスターと目が合う。
ああ長かった、1週間ぶりだ。俺は満面の笑みを浮かべそうになるのを必死にこらえ、けれど気の利いた挨拶もできず「ども」と口の中でぼそぼそ言っていつもの席に腰かけた。
このバーに、というよりもこのカウンターに毎週末通うようになってどれくらい経つんだろう。半年まではいってないだろうが、完全に生活の一部に組み込まれてる。無理もない、俺が本当だったら毎日でも通いたいって勢いなんだから。
マスターと出会うまで、俺はごくごく普通の、きわめて一般的な、ノーマルな、女と付き合う男だった。それが今やマスター限定だが男に惚れた男だ。まさか自分がそっち側に行くなんて、天地がひっくり返ってもありえないはずだったのに。人生ってわかんないもんだ。認めるまでは自分の感情に混乱したし葛藤もあった。でもマスターに惚れてるんだと認識してからは、なんだかいっそ楽になった。人に嘘をつくのも褒められたことじゃないが、自分に嘘をつくのもひたすらしんどいもんだから。
 隣の席には連れのいない先客がいたが、他人と儀礼的な会話を交わす愛想を持ち合わせていない俺はその存在すら無視した。隣に座ったわけじゃない、ただいつもの自分の定位置の座っただけで、たまたまその隣にひとりものがいただけの話だ。
「今日はいつもより少しお早いですね」
やわらかな笑みを浮かべたまま俺の前にコースターを置き、マスターが言う。
「ああ、今週から少し仕事が落ち着いたんだ」
「いつもので?」
「うん。マスター、ここ今夜はやけににぎわってんな」
「月末の、しかも年度末の週末ですからね。あとは下のレストランで昨日から派手なフェアを開催しているんで、そこのお客様が流れて来てるんです」
「ふーん」
マスターがアイスピックで手早くロックアイスを作る。俺はその大きな手と、大きな割に器用に動くその所作を凝視する。バーの中にはまんまるのロックアイスで酒を出すところもあるけれど、俺は仰々しく押し付けがましい感じがあまり好きじゃない。こうして氷山のようにごつごつした不安定な形の氷で飲む酒のほうが好きだ。ましてやそれがマスターの用意してくれる酒とあればなおさら。
「お待たせいたしました」
メーカーズマークのロックが目の前に差し出される。マスターの指に俺の視線は釘づけになる。俺もそこそこ手はでかいけど、それよりはるかに肉厚で、関節も太くて、体同様、指先まで力強い。さすがもろもろの有段者だけある。
その手がカウンターの奥へ流れるように戻っていくのを追って視線を上げれば、マスターと目が合った。顔からは笑みが消えていて、まっすぐ俺を見ていた。その強い視線に、俺は一口も飲む前から酔いそうになった。
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