小説3

□春彼岸 全2話
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「あれ?ここにもいねえのか」
談話室をひょいとのぞいた土方は、そこにも沖田の姿がないことを意外に思った。自室にも稽古場にもいなかったから、てっきりここだろうと思っていたのだ。
「あ、副長。お疲れ様です」
テレビを見ていた隊士たちがぺこりと頭を下げる。
「総悟来なかったか」
「いえ、俺たちがいる間は。夕方に市中見廻りを終えて、屯所に戻って来たところは見かけましたけど」
「そうか」
なんでこんなときに限っていやがらねえんだと土方は心中で悪態をつき、近藤の部屋に向かった。
「近藤さん、ちょっといいか」
「おう」
障子を開けると、近藤は私服に着替えているところだった。
「出かけるのか」
「ちょうどよかった、トシに声かけようと思ってたんだ。ちょっと飲みに行かねえか」
近藤から誘われるのは、土方はいつでもうれしい。よほど仕事が差し迫っていない限り、多少無理してでも時間を作って近藤に付き合う。ただ今日はその前に済ませておきたいことがあった。
「仕事終わってねえの?」
「いや、それは大丈夫なんだが近藤さん、総悟知らねえか。さっきから探してるんだが姿が見えねえ」
「ああ、総悟なら今夜は外泊。明日の夕方には戻ってくるよ。事後報告で悪りぃ、俺の判断で明日は有休取らせたから」
「え?」
「墓参りに。あいつ、去年一度も行ってねえんだ」
近藤の口調はまったく変わらず、話しながら手際よく帯を締める。土方はほんの少しの間、黙って近藤を見つめていたが、やがてハンガーに無造作にかけられていた近藤のスカーフを手に取り、丁寧にしわを伸ばした。そして言う。
「驚いたな。実は俺もそう思ってて、でも俺から言ってもあの野郎が言うこときくわけねえから、近藤さんから言ってもらおうと思ってたんだ。近藤さんから言われりゃ、あいつは素直に行くだろうから」
「なんだ、トシも同じこと考えてたか」
近藤は微笑んだ。
「お前もなんだかんだ言って総悟のこといろいろ考えてやってるよな、総悟の知らねえところで。よし、今夜は俺の奢りだ」
「なんだそれ、よくわかんねえよ」
土方は苦笑しながらスカーフをタンスにしまい、近藤の羽織に付いていた小さな糸くずをつまむ。その手を近藤が握った。
「トシだって休んでいいんだぞ。しばらく行ってねえだろう。墓参りして、その足で家にも顔を見せて来い」
「俺は今度でいい。それより近藤さんこそ総悟と一緒に行けばよかったじゃねえか」
「うちの墓はほかの親戚が入れ替わり立ち替わり行ってにぎやかだから大丈夫」
なにが大丈夫なんだよ、そう言おうとして土方は口を閉じた。
(もしかして近藤さんは、本当は伊東の墓参りに行きたいのかもしれない)
「さ、行こうぜ。きっとおやっさんとこ、今夜あたりはたらの芽の天ぷらそろそろ出してくれるんじゃね。あれ食べると武州思い出すよ、よくトシと総悟と3人で採ったよな」
「春の味だな」
ふたりはたわいもない会話を交わしながら、いつもの店へ向かった。
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