小説3

□ふたりに幸あれ
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市中見廻りを終えて屯所に戻った土方は、近藤の部屋から聞こえるかすかな音におやと思った。今日は非番だから、てっきり出かけているとばかり思っていたのだ。なにをしているのだろうと廊下から声をかける。
「近藤さん、いるのか」
「おう」
部屋に入ると、文机に向かっていた近藤が顔を上げて笑顔を見せた。
「お疲れさん。元旦から見廻りご苦労だったな。上様の恒例お忍び初詣の警護の後すぐに出て、休む間もなかったからくたびれただろう」
「大丈夫だ、なんともねえ。近藤さんこそ今年も年越しを上様の警備に当てちまって。誰もがいちばん嫌がる役割を、一体何年大将のあんたに引き受けさせちまってんだ、悪りぃな」
「あれは俺がやりたくてやってんの。上様の警護のおかげで毎年トシとふたりで年を越せるんだから、俺にしてみりゃ嫌どころか誰にも譲りたくねえ仕事だ」
近藤がやわらかな笑みを浮かべて素でそんな殺し文句をさらりと言うものだから、土方はどきどきを悟られないよう、近藤に背を向けて茶を淹れる。
茶を差し出したとき、近藤が書をたしなんでいたところだったことに気づいた。
「書き初めか?相変わらず熱心だな」
「いや、そんなことねえよ。先月はずっと忙しかったろ、大きな捕物も続いたし忘年会もぎっちりだったし。年末で見廻りも強化してたから手習いの時間がまったく取れなくて、こうして書くのかなり久しぶりなんだよ」
言われて土方は、ここ最近の近藤が多忙を極めていたことを思い出す。師走は本当に忙しくて、近藤のスケジュールをあまり詰め過ぎないようにしたかったにも関わらず、結局休日なしで働かせる羽目になってしまった。局長でなければこなせない仕事が多かったからだが、近藤はそんなスケジュールに文句ひとつ言わず、すべてしっかりこなしてくれた(ただし近藤にしてみれば、誰よりも働いている土方を目の当たりにしているのだから、自分が働くのも当然のことと思っていた)。
「近藤さん、いつだって素振りと手習いは欠かさなかったのにな。悪かった、あんなぎゅうぎゅうのスケジュール組んじまって」
「いいんだそんなの、その分見廻りから外してくれたり、トシもいろいろ気を遣ってくれたのわかってるから。ただなあ、最後に書いてから1か月以上経ってるから、なんかしっくりこねえ」
「昔からずっと書き続けてるんだ、手が覚えてて半紙を前にすると自然に動くって感じはねえの?」
「うーん、どうだろ」
近藤は納得いかないという顔で、書き上げて文机に置かれたままになっていた半紙を脇にやる。
「もうちょっと書けば思い出してくるのかもしれないけど、今んとこまだぴんとこねえなあ。やっぱり毎日コツコツ続けることが大事なんだな」
土方からしてみれば、近藤自身は納得できない様子の出来栄えのものでも今までと遜色なく見える。いつもの近藤らしい、その人柄を表わすように堂々と、そして伸び伸びとした大らかな字だと思うのだが、書いている本人には微妙な違和感があるのだろう。
「それでせっかく元旦が非番だってのに、出かけもせずに部屋にこもってずっと手習いしてたのか」
「まあな。それに久しぶりに部屋でのんびりしたかったし、トシが帰ってくるのを待ってたかったし。まだ屠蘇飲んでねえだろ? トシの最初の一杯に付き合いたくて」
「そんな、いいのに俺のことなんて」
口ではそう言いながら、近藤が自分のことも思って出かけずにいてくれたのだと知り、土方はうれしくて顔が緩む。
「じゃあ俺が支度するから、近藤さんは手習い続けててくれ」
「ん、サンキュ」
近藤は頷き、再び筆を手にした。土方が湯呑を片づけ酒の準備をしていると、「お」と近藤が小さな声を上げた。
「どうした?」
「なんか戻ってきた感じ。筆の動かし方を体が思い出したってか、うん」
近藤が納得した顔で頷いたので、土方は背後からひょいとのぞく。そこに書かれていたのは自分の名前だった。

十四郎

思いもよらぬ文字に、土方は固まる。近藤はそんな土方を見てにこりと笑った。
「うまいだろ、書き慣れてるから。片恋の頃はこの名前をどれほど書いたかわかんねえよ、お前が部屋に入ってくると大慌てで隠したりして」
「…まいったな。この天然のたらしめ」
「え?」
「まったく正月早々やられっぱなしだ」
土方はなにを言われているのかよくわからずきょとんとしている近藤の背から腕を回した。珍しい行為に近藤は驚く。
「なにトシ、どうした?」
「どうもしねえ。なあ近藤さん。今年は去年よりもっといい1年になるといいな」
「そうだな。殉職者を出さず、みんな元気で過ごせるといいな」
近藤は背後から回された土方の手を握る。ふたりとも、じわじわと胸に広がる満ち足りた思いを噛みしめていた。
幸福な1年の始まりだった。

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