小説3

□蜃気楼 全17話
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その日、トシが屯所に戻って来たのは大分夜も更けてからだった。
仕事を終えてから飲みにでも行こうと思ったのか、いつもの着流し姿でぶらりと出て行く姿を、俺は客間で来訪者からの挨拶を受けながら横目で見た。その来訪者も去り、飯も風呂も済ませ、くつろいでから布団を敷き、そろそろ横になるかという時間になって、ようやくトシが戻って来たのだ。
すでに明かりを落としていたので俺が寝ていると思ったのだろう、トシは足音を忍ばせて廊下を歩き、自分の部屋に入ろうとした。だから障子越しに「おかえり」と声をかけたときは相当驚いたようだ。
何気なく声をかけただけだったけど、驚かせただけじゃなく怖がらせもしちまったのかもしれない。なぜなら障子を開けて見たトシの顔は、白いを通り越して青かったから。
「ごめん、驚かしちまった?」
素直に謝ると、トシはしばらく薄く口を開けたまま言葉を忘れたように黙っていたが、やがて金縛りが解けたように息を吐き、「いや」と首を振った。
「てっきり寝てるもんだとばかり思ってたから、ちょっとびっくりしただけ。俺の方こそ悪りぃ、起こしちまったか」
「いや、まだ寝てなかったし」
「そうか」
トシは小さく頷いて、ほんの少し口の端を上げた。その顔色の悪さが気になった。
「トシ、顔色悪りぃぞ。どっか具合よくねえのか」
「え?ああ、寝不足だったからちょっと悪酔いしちまったみてえ」
「吐きそう?」
「寝れば大丈夫だから。じゃ」
「ん、おやすみ」
トシもおやすみと言って自分の部屋に入る。俺は障子を閉めて布団に横になりながら、飲んだ割には酒のにおいがまるでしなかったなと思った。ほんの少量で気分が悪くなるときは、たいてい体調がよくないときだ。
「トシはいつも仕事いっぱいいっぱいだからなあ」
俺は声に出して呟き、反省する。トシが黙って仕事をこなしてくれるせいで、俺はいつも甘えすぎてる。明日もトシの顔色がよくなかったら局長命令で休ませようと決め、それから枕元の小さな明かりを消した。
そして、そう時間が経たないうちに重くなっていくまぶたを感じながら、そういえばトシは誰とどこで飲んでいたんだろうとぼんやり思い、けれどそのまま朝までぐっすり眠ってしまった。


翌朝、俺が顔を洗いに行くとき、すでに隊服姿のトシと廊下で鉢合わせした。
「おはよう近藤さん」
「あれトシ早いな、ゆうべ遅かったのに。具合どうだ」
「一晩寝たらなんともねえよ、心配かけたな」
確かにそう言うトシの顔色は昨日よりもいい。でもなんというか、こう、うまく言えねえけど、どうもこう、妙だ。
なにが?どこが?
俺は自分でも自分のその感覚がうまく説明できず、トシのどこに違和感を覚えているのかしっくりこねえのか見極めたくて意識を集中する。
けれど出た結論は「いつもと相違ねえ」だった。俺の感覚だけが、トシのいつもと違う信号を受け取っている。
こういうときは、たいがいよくねえ。
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