小説3

□好きだ 全7話
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武州の冬は寒さが厳しいというよりも、風の冷たさが身にしみる。
出稽古の帰り、北風に向かって歩く形になった近藤と土方は、身を切られるような風に身をさらしながら、心もち前のめりに歩いていた。
「寒い寒いっていくら言ってもあったまるわけじゃねえけど、それにしても今日の寒さはまた一段とって感じだな。朝よりも今のほうが寒いんじゃね?」
近藤が風に揺れるマフラーを直しながら、隣を歩く土方に言う。土方の長い髪も近藤のマフラーと同じように無造作に風に舞っていて、近藤は時折それをちらりと横目で見る。目線を少し下げ気味に、しかし前だけを見て歩く土方はそんなことに気づかない。
「今日は風が強いからな。ほら、風速1メートルで体感温度が1度下がるっていうだろ」
「聞いたことあるけど、トシそれどこで知ったの。理科の授業で習った?」
「一般常識だ」
たわいもない話をしながら道場への帰路を進む。ふたり揃って出稽古に行く機会はあまり多くなかったから、土方にとって今日は特別な日だった。寒かろうが暑かろうがどうでもいい、近藤とふたりだけでこうしているという事実に土方の心は高揚していた。
(ずっと道場に着かなけりゃいいのに)
そう胸の内で呟いたとき、近藤が「あーさむ、道場はまだ遠いなあ」と嘆息したので、土方は少し傷つく。
(近藤さんは早く帰りてえか。そりゃそうだよな、空にはどんより厚い雲、かなり長い時間かけた稽古で体もくたくただ。早く帰って熱い風呂に入りてえって気持ちになるのも無理はねえ。ふたりきりだって浮かれてんのは俺だけだ)
わかっている。自分の思いは胸に秘めておかなくてはならないものだということも、近藤がいずれは結婚するということも、近藤が自分を「仲間」として好いてくれていることも。それでもたまに、近藤のやさしさに誤解しそうになる。高熱を出したときに付ききりで看病してくれたとき、ひとりで稽古していると不思議といつも気づかれそのつど相手をしてくれるとき。それらは相手が土方だからではなく、誰に対しても近藤ならば当たり前にやることだとわかっているのに。なにげなく顔を上げたとき近藤の笑っていない顔と目が合うと、心臓をわしづかみにされたような気分になる。その視線になにか意味があるのかとうっかり勘ぐりそうになる。
(人に惚れるってのは、こんなにも辛いもんなのか)
土方の視線はますます下がる。近藤に心を奪われれば奪われるほど、みじめな気持ちになる。
(なんで俺は、男のあんたをこんなにも…)
そのときふわりとした感触に驚いて顔を上げた。近藤が土方の首に自分が身に付けていたマフラーを巻いたのだ。
「今日は多分そんなに寒くならねえからなんて言ってお前、マフラーしてこなかったから寒いだろ。ごめんな今まで気がつかなくて、俺も気がきかねえ」
近藤が巻いてくれたマフラーはほのかにあたたかく、近藤のにおいがした。土方は自分の顔が瞬時に赤く染まったのを感じたが、幸い北風がそれ以前から土方の頬を紅潮させてくれていたおかげで、近藤にその変化を気取られずに済んだ。
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