ヘルシング

□SWEET HOME
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ロンドン、トラファルガー広場。
午前8時を過ぎると、ふたつの噴水から水が迸る。
夏の終わりならば、ちょうど朝陽が射しかけてきて、霧状の水に光があたり噴水の周りに小さな虹ができるのだ。
ロンドンを初めて訪れた際それを偶然見つけてこの街が好きになった。
瞼の裏に今でも焼き付いて離れない。

しかし、今日は生憎の曇り空。
またそれは、吸血鬼になってしまった身体には好都合といえる。

円卓会議のテロリスト事件から未だ傷跡の癒えない今日、殉職した隊員たちの葬儀が行われた。
今はその帰りで、遺族などへの挨拶が残る局長の護衛はアーカードに任せ、一足先に邸に戻るよう命令があった。
セラスを長時間太陽の下に晒すわけにはいかないだろうという、インテグラからの配慮だ。
式の静粛な緊張も漸く少しづつ解け、ウォルターの運転する車のフルスモークの窓からトラファルガー広場を横目に、気が付けばそんな話をセラスはしていた。


「セラス嬢、あなたと話していると本当にあなたが吸血鬼だということを忘れてしまいそうになる」


ウォルターが微笑みながら言った。
しかしそこで「吸血鬼」という言葉を耳にしたセラスの顔色がみるみるうちに悪くなる。
そう、まだあの惨劇の傷は癒えていない。
それは皆同じであったがとくにこの少女の場合、自分でも気付かぬうちに吸血鬼としての本能に目覚めてしまうことが恐怖なのだ。
ウォルターはセラスの表情を見ても、微塵も悪びれる様子はなく、話を続ける。


「だが、あなたは紛れもない、正真正銘の吸血鬼なのですよ」


もの優しい口調で発せられる言葉は、とても現実的で残酷だ。
だかそれは真実でもある。
セラスは瞳に涙を滲ませながらもウォルターの言葉を真摯に受け止めた。
また、真っ直ぐに意見をぶつけてくれるウォルターの優しさが有り難くもあり、嬉しくもあった。


「わたし、小さい頃からずっと、警官になることしか頭に無かったんです」


セラスが静かに語り出した。
窓の外の街並みが緑多い風景に変わりだす。


「でも、今こうして、吸血鬼にはなってしまったけれど、ヘルシングで働けることが嬉しくもあるんです」


ウォルターは相槌も打たずに黙って聞いている。
雨雲が厚く空を覆って今にも雨粒を落とそうとしていた。


「もし、神のお導きでわたしが今の立場にいるのなら、わたしは神に感謝しなければなりません。今は帰る家もある…」


そこまで言うと、セラスは黙ってしまった。
雨がとうとう降り始め、あっという間に土砂降りになった。
少女は泣いていた。
その雨音が、泣き声をかき消してくれたが、ウォルターにはよくセラスの状況が見えていた。

こんなに、弱い少女だ。

ウォルターは独りそんな事を考えながらアーカードの事を思い出していた。
一体奴はどういうつもりなのだろうか。





「セラス嬢、着きましたよ」


車は中庭に入ると正面玄関に横付けた。
雨に濡れては身体に毒だからと、ウォルターが先に降りて、セラスの肩を分厚いショールでくるむと傘をさしてくれた。
ウォルターの掛けてくれたショールは、昔母親にそうしてもらったように、温かい。



どんなに辛い運命の中に居ても、今は帰る場所がある。
それは長い間、忘れかけていた感覚だった。



執事が淹れる、あまい、あまい、紅茶の香りを感じながら、そのまま少女は静かに地下で眠りについた。











20090223

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