ヘルシング

□ESCAPE
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夜の訓練が終わって、隊長が私を呼んだ。
特別に教えたいものがあるから誰にも内緒で付いて来い、と言うので内心またセクハラなんじゃないかと思う。
私が浮かない顔をしていたら、別に取って喰うわけじゃねぇよ、とからかうように笑った。




隊長の後を付いていくとヘルシング邸の門を出た。
私は隊長の長く垂れる三つ編みの後を追う。
もしかするとこのままどこか遠くへ連れて行かれてしまうのではないかと内心不安に思う。
すると目の前の三つ編みがフワッと揺れた。



「別に変な気は起こさねぇよ」

「ひ、卑怯ですよ隊長…!私の心をズバリ読むなんて」



他人の心が読めるのはお前たちヴァンパイアのほうだろ、と隊長にそう言われたが、隊長が現に何を考えているのか全く検討もつかない自分は、やっぱりマスターの言うとおり半端者なんだと思ってひどく落ち込んだ。



「なに気ぃ落としてるんだ」



ほらまた。
すぐに私の心を見抜いてしまう隊長のほうがよっぽどヴァンパイアらしいや、と思い溜め息を吐く。




ベル隊長の三つ編みから目を離し、辺りを見たが夜なのにはっきりとしている。
何も変わらない、いつもの自然溢れる風景だ。
隊長が何を考えているか分からない侭、私はただついて行く。
気が付いたら、すぐ目の前に隊長の背中があって、私は驚いてわぁっと声を上げた。


そこは、少しだけ丘のように地面が盛り上がり、草が青々と茂っていた。
周りの木が、どこか隠れ家のような雰囲気を漂わせている。
隊長は何も言わず、無造作にその場に腰を下ろすと、両手を頭の後ろに組みごろんと寝転がった。



「あ、あの…、ベルナドット隊長…?」



隊長の行動がまるで理解できない。
するとベル隊長はポケットから徐に煙草を取り出し火を点けた。



「嬢ちゃんも、まぁ座れや」



そう言われ、手持ち無沙汰なのでとりあえず座る。
芝生がちくちくした。



「あの〜、隊長は何のために私をここへ…」

「何って、昼寝だよ」



はぁ!?と内心叫んだ。今は夜である。



「何ぼさっとしてやがる、嬢ちゃんもこうして寝転がってみろ」



隊長がまるで少年のような笑みで笑った。
その笑みに一瞬どきっとして、慌てて言われたとおりに寝転がる。
かすかに芝から懐かしい匂いがして、思っていたより心地よい。


隊長がゆっくりと吐き出した煙草の煙が、夜空に流れて目の前を過ぎてゆく。



「昼間、たまにここへ来て昼寝をするんだ」



ベル隊長が口を開く。
それを目を閉じて、黙って聞いた。



「こうさ、目を閉じて草の上で太陽の日を浴びて寝ころんでるとよぉ、何もかも忘れちまいそうになる」


それは容易に想像ができた。
草から微かに太陽の匂いがする。
芝がチクチクする感触や頬を撫でる風の柔らかさを感じて、目を閉じるとまるでお日様の下を寝ころんでいる心地がした。



「こうして俺達は、俺達の日常を浄化してゆくのさ」



そう言った隊長の気持ちが少しだけ分かる気がした。
私たちは決して癒えることのない傷を抱えて生きている。
沢山の戦場と殺戮を目にしてきた隊長にとって、それは大事なことに違いない。
人間として、忘れてはいけないことがある。
それは、非人間になったとておんなじことだ。
こうして自然の一部となり草の上に横になっている間は、とても楽な気分になれた。



何か気配を感じて目を開くといつの間にか隊長は起き上がっていて、此方をジッと眺めていた。



「どうやら理解できたみてぇだな」



そう言ってまた、隊長は少年のような笑みを浮かべた。
こんな風に笑える隊長が私は好きだなぁ、そう思った。





「さ、そろそろ行くか」

そう言って隊長は私に、掴まれ、と手を差し出した。
見ると、何故だか真剣な表情をした隊長がいた。



「このまま逃げてみるか」



確かにそう言った。
それは微かに私の心にあったもので、本当は誰かに求めていたものなのかも知れない。

また隊長に心を読まれた気がして、私はその手に掴まることを躊躇った。
差し出された手はすぐに下ろされてしまう。

何故だろう。
隊長が次に何て言うのか、この時だけは読めてしまった。








「冗談だよ」



その時の隊長の笑みは、少年のそれではなかった。
それだけ言うと隊長は私を置いて先を行く。
隊長の三つ編みが、ふわっと揺れた。
その三つ編みを慌てて追いながら、現実に引き戻された心地がして少しだけ絶望する。



差し伸べられた手が、冗談で良かった。
あの時隊長の心が読めていなかったら、私は今ここに居なかったかも知れない。
なぜだかホッとしたような、がっかりしたような、そんな気分になった。







終(2009/2/10)

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