黒バス

□三日ぶりの晴れ模様
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 ボクは前から、黄瀬くんに「黒子っちったら素直じゃないんだから!」だなんて、たまーに言われていた。
 ボクは全然そんなつもりはなかったし、黄瀬くんがボクのどこを指してそう言っていたのかも分からないけれど。
 多分今のボクは、史上最高に、素直じゃない。



「赤司くんのばか……」

 ばかばかばか。赤司くんなんか、テスト中に消しゴム落としてその消しゴムが本当はすごい近くに落ちてるのにキョロキョロずっと探して後ろの席の人にくすくす笑わればいいのに! 恥ずかしいだろ、ざまあみろ。



「……はぁ……」

 別に目なんか熱くない。
 別に悔しくなんかない。
 わかっていた。
 赤司くんは普通に品のある女性がすきだなんて言ってたし、いくらボクに「すきだ」って言ってくれたって、キスしてくれたって、結局いつかは捨てられる。そんな事、わかってるんだ。


 何となく赤司くんに会いたくなってメールしてみた。
 そしたら赤司くんもそう思ってこっちに向かってくれていたらしくて。
 もうすぐ近くの駅を通るみたいで、『待っているから早く来い』なんてメールしてきたからわざわざ来たって言うのに。
 赤司くんは女の子と抱き合ってた。信じられない。



「もう赤司くんなんか、知りません」

 それを見た瞬間、走って駅から逃げた。

 赤司くんからメールもない。着信もない。ムカついたから、一言「別れます」とメールして携帯の電源を切った。

……赤司くんなんかいなくっても、ボクは大丈夫。
 大丈夫。大丈夫。
 心の中で言い聞かせる。
 赤司くんがいなくても大丈夫。ボクにはたくさん仲間がいる。赤司くんの事なんかさっさと忘れてやる。







 あの日から、部活が終わって帰って来たあとは何もする気になれなくて、ずっと自室で転がっている。
 ずっと携帯の電源を入れていない。もうこれで三日だ。
 誠凛のみんなや黄瀬くん達に「なんで連絡つかないんだ」って怒られたけど、適当に謝っておいた。

「わかった」の返事がこわかった。
「どうしてだ」って問われるのがこわかった。
 ボクの口から、赤司くんが女の子といた事実を言わないといけないのが辛かった。
 もうおしまい。
 赤司くんのことは忘れる。そう決めた。

 何かの間違いかもしれない。赤司くんには赤司くんの、何か事情があったのかもしれない。
 それでもやっぱり、目の前であの場面を見せつけられたのは堪えたんだ。
 今赤司くんの顔を見たら、間違いなく怒ってしまう。赤司くんを傷つける言葉しか浮かんでこない。

「赤司くんのばか……」

 ばかばかばか。
 心の中で呟く度に、胸の奥が苦しくなった。でも言わずにはいられなくて、自分で自分を苦しめる。

(……これでいい)

 一方的に赤司くんを避けて、それでもしも赤司くんが少しでも何か感じるものがあったのならば、自分を傷つける事で救われる気がする。



「いたた……」

 不意に胸が痛んだ。
 苦しいのも、過ぎると行き着く先はやっぱり痛みらしい。
 ぽたぽたとシーツに水滴が落ちた。

(あれ、何これ。涙……?)

 すごく冷静に頬を拭う。
 少し前までこの頬を指で掬ってくれていた掌は、ボクから手放した。

 電源の落ちた携帯は、床に横たわったままなにも言わない。
 目を閉じた瞬間に鳴り響いたのは、携帯じゃなくて家の呼び鈴だった。
 母か祖母が出るだろうと、玄関を無視した。

 外はもう夜。
 冷たい風が窓の隙間から潜り込んできて、それを避けるようにカーテンを引いた。

 明日は部活が終わったら、火神くん達とマジバに行って、久しぶりにバニラシェイクを飲もう。
 赤司くんなんかいなくたって、ボクの日常は何も変わらずに回っていくんだ。
 朝起きて、バスケをして、授業を受けて、またバスケして。ご飯を食べてお風呂に入って、また寝て起きて。
 その繰り返しでいい。それだけでボクは楽しいし、それで十分だと思う。
 その日常で、ボクは構わない。

 ドスドスと音がして、誰かが階段を上がってくるのに気づく。

 お母さんにしては足音がおかしいな。

 そんなことを思っていたら、また大きな音を立てて、ボクの部屋のドアが開いた。
 そこに立つ顔に息が詰まる。

「あ、赤司くん……」

 後ずさったら、肘が窓にぶつかって間抜けた音がした。
 ボクが後に引くのと同じ分だけ、赤司くんがこちらに迫ってくる。

 こわくて顔が上げられなかった。赤司くんがどんな顔をしているか、想像もできなかった。

 別れられて清々している?
 一方的すぎて怒っている?
 ボクの自分勝手な態度に呆れている?

 どれにしても、赤司くんがボクを責めにきたという事は確かだ。向かい合いたくない。

「……黒子」

 呼ばれる。
 もう一歩後ずさって、窓に背を預けた。これで窓外れたら死ぬかなあ、なんてばかな事を考えていたら、冷たい掌に右手首を掴まれた。
 痛いくらい、強く握られる。

「……赤司くん、痛いです」
「どういう事だ」
「……何がですか」
「メール」

「そういう事ですから」と、呟くようにして口にすると、もっと強く手首を握られた。たぶん、痣になる。


「オレの事がきらいになったのか」

 頷くのは簡単だった。でも、首は縦には動いてくれなかった。嘘をつくのは苦手だ。
 結局言葉を選べなくて、黙ったままで赤司くんの手を振り払った。
 熱が離れたそこは、真っ赤になっていた。

「オレは、黒子なしじゃ生きていけない」

 嘘つき。
 静寂を埋める言葉に、胸がきゅうっとする。


 知っている。赤司くんは嘘をつかない。
 少なくとも、ボクは赤司くんに嘘なんてつかれた事がない。

「すき」って言葉も、抱きしめてくれる腕の強さも、ボクに触れる時に、壊れやすいガラス細工に触るみたいにちょっと震えている事も、ぜんぶ嘘じゃないって知っているんだ。

 じゃあ、あの女の子は何?
 あの子もすきなの? それも嘘じゃないわけ。

「……ボクは、赤司くんなんかいなくても、普通でいられるんです」
「……」
「赤司くんなんか、かわいい女の子と一緒にいればいいじゃないですか」

 ドン、と窓が鳴った。
 赤司くんの手が、ボクを窓に張り付ける。

「なんだそれ」

 冷たい声だ。顔を上げなくたってわかる。赤司くんは怒っているんだ。

「黒子、説明しろ」
「……いやです」
「黒子なら、オレが怒るとどうなるか、知っているだろう」

 そうやって強く言えば、女の子みたいにしゅんとして話すと思うのか。
 悔しい。赤司くんになめられているみたいでいやだった。

「黒子」と呼ばれて、また声色が変わっている事に気づく。
 さっきみたいな鋭利さはなく、戸惑ったみたいな響きだった。

「なに泣いてるんだ」
「は……」

 頬を手で包まれて、赤司くんの顔が近くなる。慰めるみたいにキスされて、思わずその身体を押し返した。

「いやだ、もう君となんか別れたんです。だからそんな事しないで下さい」
「それならもう一回告白する。すきだ、黒子
。オレと付き合え」
「ふざけないで下さい……っ」

 簡単にすきだなんて言わないで。
 また信じたくなる。またそばにいたくなる。赤司くんの事をすきだと思ってしまう。
 ふざけないで。

「……くせに」
「ん?」
「女の子と抱き合ってたくせに」
「は……」

 ああ、言ってしまった。

 きょとん、という言葉が本当にぴったりな顔をして、赤司くんがボクを見た。痛たまれなくて目を逸らす。

「女と抱き合ってた? 何だそれ、いつの話をしているんだ」
「……前、赤司くんに来いって言われて、駅に行った時」

 女々しいなあ。
 こうやって説明したりなんかして、どうしてなんて安い台詞を言うのがいやで、絶対言うもんかって思っていたのに。

 ボクが俯いていると、赤司くんが「うーん」なんて唸りだした。
 この期に及んで、まだシラをきるつもりか。
……赤司くんはそんな人じゃないって、ボクが一番知っているけれど。



「……覚えてないな」

 暫くして言われた言葉に、なんとも言えない気分になる。
 覚えてないだって? 何それ。

「嘘つかないで下さい。ホームで見たんですから」
「……あ、その女の子って、髪が短かった?」
「え……多分、」

 それこそ覚えてない。だって、そんな景色見ていたくなくて、ボクは逃げ出したんだから。
 ああ、と赤司くんが手を打つ。その音に驚いて顔を上げたら、「それ、中学の時の同級生」と言われた。

 帝光にいた女の子と付き合ってたんだ。そんなの、完全にボクの入る隙が無くなったじゃないか。

「……そうですか」
「その顔。黒子、まだ誤解してるんだな」
「誤解って……」
「あれは、たまたま同じ電車に乗り合わせる所だったんだ。オレは彼女を覚えてはいなかったんだが、むこうはオレを覚えていたみたいでな。いきなり転けそうになるんだからびっくりしたよ。ああ、言っておくけれど、オレがアンクルブレイクしたとかじゃないから」

……笑えない。それを抱き留めてやってただって? そんな言い訳くさいシチュエーションで納得できるはずがない。

「……嘘です」
「嘘じゃないよ。どうして黒子はそんなに疑うんだ」
「別に理由なんか……」

 理由の有無なんかじゃないんだ。
 ただ、赤司くんが誰かにとられてしまうのがこわかった。そもそも男のボクと付き合っているって事自体が、いつ壊れるのかも分からない関係で、そこに女の子といるのなんて見たら疑わない方がおかしい。ショックを受けない方が変だ。




(ああ、ボク……)



 赤司くんが他の人を選ぶのが堪えられない。ボクの隣で、いつも今までみたいに微笑んでいてほしい。



(ボク、赤司くんの事がすきなんだ)

 こんなに自分が独占欲の強い人間だったなんて、知らなかった。
赤司くんを誰にも、渡したくないなんて。


「黒子」

 呼ばれて顔を上げると、噛み付くように唇を重ねられた。
 赤司くんは以外とキスが下手くそだった。いつも鼻やら歯やらがぶつかって、ちょっと痛い。
 でもそれが、慣れていないその感じが、ボクだけのものだなんて思えて、嬉しかったんだ。
 下手くそな赤司くんの代わりに、今度はボクから口づけた。
 びっくりしたような顔が目の前にあって、思わず吹き出す。

「おい、何笑ってるんだ」
「ふふ、赤司くんの顔笑えますよ」
「黒子が予想外のことをするから、少し驚いただけだよ」

 普段見られない赤司くんの顔が、ちょっと可愛い。
 だからその顔に免じて、ばかな誤解をもう忘れよう。

 赤司くんが嘘をつかない事も、赤司くんがボクなんかを想ってくれる事も、ちょっと連絡がつかない位で、こうやってわざわざ家まで来てしまう事も、結局納得させるのに、言葉じゃなくて不器用なキスをくれる事も、全部わかってる。



 そういう赤司くんがすきな自分の気持ちだって、笑ってしまうくらいわかっているんだ。
 喧嘩した分だけ絆が強くなるというのなら、こういう日もありなのかもしれない。




「はあ、本気で黒子にきらわれたかと思って死ぬところだったよ」
「なに言ってるんですか、大袈裟ですよ」
「オレにとっては、そのくらい重要な事なんだよ」

 そう言って受信履歴の中から消された四文字は、たぶん二度とボクの携帯の送信履歴の中にも現れない事だろう。
 まだ少しふて腐れた顔をしている彼の肩に頬を寄せたら、機嫌を直したみたいに笑声が耳にくすぐったかった。

 赤司くんに変な事で死なれても困るから、もうほんのちょっと位なら、すきって言ってあげなくもない。




 三日ぶりに携帯の電源を入れてみる。
 着信二十三件、Eメール三十件。
 この半分以上が赤司征十郎発信なんだから、もう笑いを通り越して呆れてしまう。

「どうしてきのう来なかったんだ」から始まり(これはボクが赤司くんと女の子が抱き合っているのを見て逃げたせいだろう)、「今から行く」に終わる。



 こんなにこんなに、赤司くんはボクに手を伸ばしてくれていたのに、ボクはそれをわざと見ない振りをして、その手を拒んだ。
 それなのにまた、赤司くんはボクを迎えに来て、「すきだ」なんて直球で届けてくるんだ。



「……ボクだって、すきじゃなきゃ君となんかいませんよ」

 誰にも伝える気なんてないけれど、ボクのすきな彼ならば、こんな風に言葉にしなくたって知っていてくれる気がした。






三日ぶりの晴れもよう
(こんなにも、君が愛しいと気づいたから)


end

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