黒バス
□ムーンフラワー
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夏の匂い。雨。雫を流す瓦の音が、耳に涼しい。
「雨、降ってしまったな」
赤司くんの笑う顔。ちょっと寂しそうなのは、この雨のせいだろう。それから、ボクを思っての、優しさだ。
「そうですね」
空を仰ぐ。絶えず雨粒が零れ落ちてくる空は、星も月さえも見えなくて、やっぱりボクも寂しくなった 。きょうは、帝光中近くの神社で花火大会がある予定だった。一度だけ、ボクも行ったことがある。
―――その日は、晴れた夏の夜だった。子供たちが手元を照らす小さな花火を咲かせ 、大人たちが大空に大輪の光を燈す。埋め尽くすきらきらに目を奪われて、一緒にいたはずの友達を見失って、こわくてこわくて、うずくまっていたらざわめく人の波に酔って。
そんなときに冷たい手が頭を撫でた。驚いて、顔を上げる。途端、ポロリと涙が零れた。
「大丈夫か?」
「あかし、くん……」
(なんで泣いてるのって聞かれたら、どうしよう)
ぽたぽた落ちる涙の理由が、自分でもわからないでいた。はぐれて心細かったのか 、気持ちが悪くて辛いのか、赤司くんに会えて安心したのか、わからない。
聞かれたら、どうしよう。
きゅうっと目を閉じた。
口の中が酸っぱくて、蒸し暑さに身体が弱って、わけもなくこわかった。なのに彼は、小さくボクの頭をもう一度撫でて、「ちょっと、 人の波から外れような」と背中を見せてくれた。
ちょい、と手を引かれ、自分よりもずっとずっと大きく感じる掌を握った。揺れる提灯を遠くに見る。
赤司くんが、人のいない御社まで連れてきてくれた。
人の影がゆらゆらと踊り、空にも地にも、綺麗な花が溢れる。月も星も銀色に光り、宵闇を彩る。
(情けない)
こんなに綺麗な景色の中で、自分は何をしているんだろう。赤司くんまで巻き込んで 、本当、情けない。
赤司くんはボクのために、何か飲み物を買いに行ってくれた。こんなことまでさせて、悲しいくらい惨めだった。
光の中から、見慣れた影が向かってくる。両手のビンを軽く見せる。
「赤司くん」
「遅くなってすまない。気分、少しはよくなったか?」
「あ、はい……」
返事をしながら、ボクは俯いた。合わせる顔がなかった。そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、「ほら、ラムネ」とビンを差し出した。
頷いて受け取ると、赤司くんの困ったような笑う顔が見えた。
「黒子、ラムネ飲んだことあったかい?」
「ない、です」
「こうして開けるんだ。ほら」
「あ、ビー玉……」
ころん、と涼やかな音色で、ビンの中にビー玉が転がった。きらりと光を反射して、胸が 躍った。
「……きれい」
「だろう? 黒子もやってごらん」
「はい」
プラスチックのフタを捻る。見えている球体を押すと、ビー玉が透明なラムネの中に落ちた。小さな音に、きゅんとした。
(花火も、提灯も、月も星もきれいだけど、赤司くんがくれたこれが、一番きれいだ)
ボクがまだ、「すき」なんて感情を知る前の話だ。
人に酔ってしまったことで、それからその年は祭には行かなかった。周りの人たちに、迷惑をかけたくなかった。赤司くんはそんなボクに気を遣ってくれて、神社の花火大会の日には、丘の上から見えるから、とボクを誘ってくれた。
嬉しくて、嬉しくて、赤司くんと過ごす時間が幸せで、ボクは結局、甘えていた。
「これは、花火やらないかな」
隣で、彼が呟く。また、空を仰ぐ。
ぽたぽたと落ちる雨が、あの日の自分の涙みたいで、ちょっとだけ、胸が苦しくなった。
「あ、そうだ」
赤司くんが立ち上がる。
首を傾げると、ちょっと待ってろ、と部屋の奥へ行く。それからしばらく経って戻ってきた赤司くんの手には、小さな束が握られていた。
「……何ですか?」
「線香花火」
あ、と声が洩れた。「覚えてる?」と微笑む彼に、目の奥がつんとして、隠すように頷いた。 覚えてる。覚えているよ。 忘れるわけ、ないよ。
静寂の中で、ぱちぱちと花が二つ。灯る光に照らされた赤司くんの顔を見て 、胸が締まる。
ああ、いつの間に、こんなにすきになったんだろう。すき。すき。大すき。赤司くんがすき。目が滲む。
赤司くんの優しい顔が見えなくなる。
叶わなくていいと思う。ボクがキミを想うことと、キミがボクを想うことは、同じ線上にない。ベクトルは逆だ。
キミに迷惑をかけたくない。
キミを困らせるなら、ボクはこんな感情捨てるよ。
この夏で終わりにするよ。
この光が落ちたら、それと一緒に、消してみせるよ。
キミの幸せだけを、ボクは祈っているよ。
でも。それまででいいんだ。
すきだよ。そばにいたいよ――
線香花火が落ちる。音もなく、地面に消える。
「黒子の方が先に落ちたな」
くす、と笑う赤司くんに合わせて、ボクも「負けてしまいました」なんて言って苦笑する。ごまかすように、もう一本手に取って、赤司くんの花火を突いたら、ポロッと光が落っこちて、「黒子……ずるいぞ」なんて赤司くんが責めるから、またボクは乾いた笑いを渡した。
少しの間でも、ボクは自分の幸せを願った。これからは、ずっとキミの幸せを願おう。
どんな言葉にもできない。どんな言葉でも、この気持ちには追いつけないよ。
そうしてボクは、きっとずっと、醜さに飲み込まれないように、ひとつ、またひとつと、いろんな気持ちを線香花火の焔みたいに地面に置き去りにして、これからも彼の隣で過ごしていくんだろう。それでいい。
滲む視界で、また小さな光が、優顔の隣で揺れていた。
「――黒子、これならできるだろ?」
赤司くんが差し出したのは、線香花火だった。一本抜き出して、ボクの手に握らせる。
「少し持っていろ」と、ボクの手を握って、花火の先に焔を点ける。
小さな玉が膨らんで、橙に固まる。「点いた」と呟くと、「揺らすなよ」とボクの手を放した。そうして、自分も花火を点けて、二人で浮かぶ小さな光の球を見つめていた。
遠くで聞く人の声と、空の呼吸、照らされた赤司くんの顔と、自分の小さな手。
ひとつひとつが瞬く星のようで、ボクは瞬きも忘れて、息も止めた。
二つ同時に、花火が落ちる。
気がついた。
あ、と二人の声が重なって、顔を上げたら目が合った。
ぷっと吹き出す。笑う。
気がついた。
夏の匂いの中で、思った。
ボクは、赤司くんがすきだよ。
隣に見る彼の横顔は、あの小さな光の中に見とれた顔と、同じだった。
実らぬ思いと知りながら、やっぱりこれからも、キミの顔を見ていたいと思った。
あの夜も、同じように願ったの。
ムーンフラワー
(あなたの、優顔)