黒バス
□良薬は口に甘し
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すごく変な話だと思うが、オレは生まれて記憶のある中では、風邪をひいたことがない。
「けほっ……、けほけほっ」
つまり、今この状況は、かなり奇異というか、困っている。
風邪をひいた。きょうは土曜日で学校は休み。その上部活もないのは救いだった。こんな情けない姿、誰にも見られたくない。時折携帯が震えて、届いたメールを確認する。怪しまれないよう、実渕やら葉山やらを適当にあしらってはいるものの、段々と頭に靄がかかり、ディスプレイの文字がぼやけて見える。
携帯をベッドサイドに置くも、目の前にあるのは変わらない部屋の天井ばかり。外は嫌味なくらいの晴天だ。本当に、勘弁して欲しい。
もう寝てしまおうと、目を閉じる。
熱に苛まれる身体は、重力に従うように、眠りの中に落ちていく。
夢も見ないで泥のように眠っていた。
不意に、何かが手に触れている感覚がした。目覚めるのが億劫だったから、薄く瞼を上げてみる。
水色が見えた。オレの手には、誰かの手が重なっていた。思わず目を見開く。
「黒子……?」
まさか。
いや、まさか。
オレは寝ている間に、テレパシーでも習得したのだろうか。
その顔を覗きこんでみる。ベッドの縁に伏せた顔は、やっぱり黒子テツヤだ。眠っているようで、オレの声に起きる様子もない。
(……キスできそうだな)
無防備な寝顔に、そっと顔を寄せる。その途端、「ん……」と黒子が眉をひそめた。思わず、寝たフリをする。
「赤司くん……、起きたんですか?」
起きてない起きてない寝てる間にキスしようとか思ってない。
しばらく動かないで目を閉じていたら、黒子が「……本当に寝てるんですか、赤司くん?」と控えめに問いかけてきた。
つい頷きそうになったけれど、すんでのところで踏みとどまった。
ああ、黒子を無視するなんて……。
赤司征十郎、人生最大の汚点。
黒子、これには海より深いわけがあるんだ。けして故意に無視したわけじゃないんだよ。黒子なら分かってくれるよね。ああ、黒子すきだよ! 今すぐ弁解して黒子の頭を撫でてやりたい。しかし、それも叶わないなんて。どうしてオレは寝ているフリなんてしたんだ。
「……赤司くん、」
不意に小さな声がした。薄く目を開けると、黒子は顔を伏せていた。
その頬に触れようとする自分の右手の甲を抓る。だめだだめだ、ここまでの我慢が水の泡になる。黒子の俯いた姿を見たくなくて、キュッと瞼を閉じた。
「黒子家秘伝の風邪の治し方、教えてあげても、いいですよ」
そんなのがあるのか、黒子、と心の中で会話をする。
オレの脳内会話に合わせたように、黒子が「赤司くんになら、教えてあげます」と小さく笑った。見たかオレ達の以心伝心。
そうして、オレは次の黒子の言葉を待っていたのだが、彼は口を閉ざしたままで、秘伝の風邪の治し方とやらを、なかなか話そうとしない。
あまりのじれったさに、オレはまた少しだけ瞳を開いた。
「……っ」
驚くほど近くに、黒子の顔があった。
あっと言う間に、黒子の唇がオレの唇と重なる。小さく下唇を歯が掠って、そのまま離れていった。唖然として、黒子を見る。
静かに瞳を上げた黒子と目が合う。オレの顔を見て、黒子も鏡写したみたいにオレとそっくりな顔をした。
「く、くろこ……」
「〜〜っ、最低です!」
オレは何もしていないのに、と言い訳しておくけれど、真っ赤な顔の黒子がイグナイトの姿勢をとる。
弱り切ったオレはなす術もなく、光の速さで向かってくる掌を腹で受け止めた。視界が真っ暗になった。
夢を見た。
黒子が風邪をひいたオレに、「風邪の治し方、教えてあげます」と口付けてくる夢だ。
幸せ過ぎる。このまま風邪が悪化して気管支炎を起こして肺炎になって呼吸停止で死んでもいい。
目を開ける。見慣れた木目の天井が、霞んだ視界に浮かび上がってくる。
「赤司くん、起きました?」
驚いた。
さっきまで夢で逢瀬を交わしていた黒子が、夢と変わらずそこにいたからだ。
そっと優しい仕草で、冷えたタオルを額に乗せてくれる。
「黒子……」
「ごめんなさい、ボク、赤司くんが風邪ひいてるの知らなくて、部活ないって聞いてたんで遊びに来てしまいました」
「いや……」
そうか、だからいるのか。
納得はできた。
きっと、黒子が近くにいたから、あんな夢を見たのだろう。
「喉渇いてないですか? 何か食べます? 持ってきますよ」
「いや……」
いつもより言葉少なに答えると、「そうですか」と黒子は眉を下げた。
どうして黒子がそんな顔をするのか尋ねると、「赤司くんが風邪ひくなんて思ってもなかったから、どうしたらいいか分からなくて」と言われて、苦笑した。
笑って目を細めたついでに、また瞼を下ろす。
先程まであんなに眠っていたのに、また寝ようとしている自分の身体に呆れる。せっかく黒子がいるというのに、重い口は彼を思いやる言葉を紡いでくれない。
「赤司くん、ゆっくり寝てくださいね」
「ああ……」
冷たい手が、頬を撫でる。
大事な手をこんなに冷たくして、オレのためにタオルを絞ってくれたのか。
胸が熱い。今すぐ抱きしめて、ありがとうと頭を撫でてやりたい。
でも、今近づいて、風邪を黒子に伝染したら大変だ。我慢する。
ゆっくり、やさしい掌に身を委ねる。
睡眠と覚醒を繰り返して、もうこれで何回目だろうか。目覚めたとき、黒子はいなかった。
額の上のタオルが、オレの体温でぬるくなっている。
「黒子……」
呼ぶ。
もちろん、返事はない。寝てばかりのオレの近くにいても、仕方なくて帰ったのだろう。いや、伝染されたくないからか。
どちらにしろ、風邪なんてひいた自分を心の底から恨みたい。
弱っているせいか、黒子がそばにいないのが、こんなにも……。
「あ、赤司くん」
「は……?」
部屋のドアが開いて、黒子が顔を出す。その手には、氷水の入ったボウルがあった。
「水、ぬるくなったから変えに行ってたんですよ」
また、眠る前のように、ベッドの傍らに黒子が腰を下ろす。
何度も何度も、水がぬるくなる度に、こうして変えに行ってくれていたのか。オレのためにそんなにしてくれていたのか。
「あ、タオル濡らしますね」
そう言って、黒子の手が額のタオルに伸びる。
その手首を握った。
きょとん、と黒子がオレを見てくる。
「赤司くん?」
「……くな」
「え?」
手首をもう一度強く握る。
その手を引いて、黒子に顔を寄せる。息が頬にかかるほど近くで、目が合う。
「あ……」
「オレに黙って、どこかに行くな」
それだけ言ったら、頭がくらりとして、黒子の手を掴んだまま枕に倒れた。
上瞼が勝手に下瞼とよろしくやって、とろんとした夢にまた飲み込まれる。
いい夢が、見られそうな気がした。
「……赤司くん」
揺すっても抓っても起きない彼に苦笑する。
体調が悪くても、いつもみたいにボクを引っ張ってくれる掌がすきだ。
「もう少し、王様気質が治るといいんですけどね」
さっきの顔が熱くなるような台詞を思い出す。本当は、嬉しかったんだ。
どうしたらいいのか分からなくて、どうしたら赤司くんのためになるのか分からなくて困っていた。なのに彼が手を握ってくれたから、ああよかったと安心した。
赤司くんに必要とされること。
それが、こんなに嬉しいなんて。
小さく笑って、眠る彼にもう一度だけ、風邪を治すおまじないをかけてあげる事にした。
良薬は口に甘し
「そうだ。黒子、聞いてくれ」
「はい?」
次の日にはすっかり熱も下がり、喉の痛みもキレイさっぱりなくなっていた。
「夢を見たんだ。死ぬほど嬉しい夢」
「どんなですか?」
「黒子が秘伝の風邪の治し方を教えてくれる夢なんだけどね、」
「ぶっ!」
何を思ってか、突然黒子は吹き出した。それから、それはそれは真っ赤な顔をして見つめてきた。
「夢って……っ!」
なんだ、その顔は。
あまりの赤さに驚いて、「黒子、熱でもあるのか」と頬に触れてみる。
途端、彼はふらっと倒れてしまった。
「黒子っ」
顔も身体も熱い。
どうやら、今度は黒子が風邪らしい。
「オレの看病なんてするからだ」
そう言って、彼を背負う。
(せっかく教えてもらったしな)
黒子家秘伝の方法をすぐにでも使ってやろうと思って、オレは黒子の名前を呼んだ。
end
✱ ✱ ✱
素敵なアンソロ企画、sweet赤黒に提出させて頂きます。
ひたすらお互いでれっでれです(笑)
読んで下さってありがとうございました!