黒バス
□夢見草の祈り
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へっくしょん。
アホみたいなくしゃみが聴こえた。
隣からだ。黒子が空を仰ぎながら、鼻をすすっている。
「……風邪?」
「いえ、たぶんちょっと風が冷たかっただけです」
「間違ってもオレに伝染すんじゃないぞ」
「……赤司くんは一生風邪とは無縁でしょうね」
あ、しまった。黒子が不機嫌になってしまった。
むすりとオレから目を逸らして、振り向いてもくれない。
なんて気分屋だ、と心の中で苦笑する。出会ったばかりの頃の印象は、季節を巡る毎にずいぶん違うところまで来てしまったと思う。
それでも、惚れた弱みだろうか、そういうところも含めて、オレは黒子テツヤという人間がすきなのだと思う。
目の前を、桃色が駆けていく。
黒子に倣って虚空を仰げば、同色の空が腕をいっぱいに伸ばしていた。
「赤司くん」
黒子がこちらを見ないまま、声をかけてくる。オレも桜の色から目が離せなくて、そのまま「うん?」と答えた。
「桜の別名、知ってますか」
「知ってるよ、夢見草だろう?」
「はい。ボク、はじめて聞いたとき、ずいぶん似合わない名前だと思いました」
「ああ、分かるよ。なんで草なんだってね」
「そうなんですよね。その異名をつけた人は、なにを思ってこの木を草と言ったんでしょう」
「さぁね」
「……赤司くんの夢って、なんですか?」
唐突な質問に、少し面食らう。
そんな事、考えた事もなかった。だって今まで、オレに出来ないことなんて何もなかった。
……夢。空想。……理想の未来。――ああ、それなら。
視線をあげて黒子を見ると、澄んだ瞳でオレを見ていた。
「……黒子は?」
「ありますよ、一応。叶うといいなって、思ってます」
「黒子らしくないじゃないか、そんな弱気」
そう言うと黒子は、困ったように笑った。
叶うかどうか分からない夢。それは苦しいのだろうか、辛いのだろうか。たとえそうだとしても、オレが黒子にしてやれることはないに等しい。
でも、悩むことが苦しいものとは限らないと思う。
黒子に出会って、それを知った。
黒子のことで悩むこと。
オレのことをどう思っているのだろうとか、何をすれば喜んでもらえるかなとか、なんであんな顔をしたのかとか、そんなことで一日中頭をいっぱいにして悩んだ日があった。
いつもオレが出した答えは、きっと自分勝手なものばかりだ。自覚している。
彼の言うことをよく聞かないままに、隣にいると勝手に決めた。黙って彼の手を引いた。
それが間違っていたとは思わない。
何を悩んで、どんな答えを出すのかは、ひとりひとりが違う。それでいいのだと思う。
少なくともオレは、黒子のことで懸命に頭を使った時間を、尊いと思った。黒子のことを考える時間は、単純に胸が熱くなった。
大きな木を仰ぐ。
夢見草という名の木だ。
逞しく、美しい花を咲かせる木だ。
こんな夢が見たい。
この桜のような夢を見たい。必ず、この手にしたい。
くしゅん。
間抜けたくしゃみが聞こえた。
ぐずりと鼻を鳴らす黒子の唇に、小さくキスをする。
いきなりでびっくりしたのか、彼の肩が揺れた。細く綺麗な髪に指を通す。
すると、華奢な腕が肩にまわって、思わず心臓が跳ねた。
黒子とこの空を仰げて、よかった。
例年よりずっと暖かい日だった。
「春はバカが増えるって言いますよね」
「ん? まあね」
「だから、赤司くん。バカの言うことだと思って、適当に聞いてほしいんですけど」
「……なに」
「借りてた本が消えました」
「……黒子、お前……」
「すきですよ、赤司くん」
ちゅ、と唇に何かが掠る。
黒子が背中を向けて遠ざかって行くのを、オレは呆然と見ていた。
途中でくるり、黒子が振り返る。
「赤司くん、ボクの夢、キミ次第なんです」
力が抜けて、へなへなとその場にしゃがみこむ。だんだんと口元が緩んでにやけてくる。
桜が揺れて、柔らかに笑うように花弁が風に吹かれている。
「あれは反則だ……」
頷くようにざわめく桃色に、オレも小さく微笑んだ。
夢見草の祈り
(ずっと一緒にいて欲しいのです)
end