黒バス

□他など望みようもなく
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 逢瀬と言っても、やることと言ったら、体を繋げるだけ。
 ボクはただ愛しい人と一緒に過ごせるだけで十分満足だと感じられるけど、赤司くんにはそうもいかないようだった。

 きょうもいつものように赤司くんを駅まで迎えに行き、家につくなり流されるまま情事にもつれこんで、そして今に至る。
 数時間前の記憶をたどり、現状を理解したボクは、ほとんど裸の姿で軽い自己嫌悪に陥っていた。


(寝ちゃってた……時間、今何時だろう……)

 壁の時計を確認し、間抜けな悲鳴を小さくあげた。

「……そういえば宿題があったんでした」

 のろのろと布団から抜ける。
 ボクの意識はすっかり宿題へ切り替わっていたため、横で寝ていた赤司くんのことを気に掛けるのを忘れていた。
 だから、自分へ伸ばされた赤司くんの手がタイミングよく空を切ったことにも、そして赤司くんの顔が不機嫌なものへ変わったことにも、この時のボクは全く気づいていなかった。

 ベッドの周りに点々と放り投げられた服を拾い集めて、不器用な所作で服を着て行く。
 リビングに置いてある鞄を取りに行こうと、ボクがドアノブに手を掛けた時だった。

「黒子」

 自分を呼ぶ声に咄嗟に振り向く。
 じっと自分を見つめる緋色の双眸に、その時初めてボクは気づいた。
 うつ伏せの姿勢で、気だるげな雰囲気の赤司くんはどうやらあまりご機嫌が麗しくないようだ。

「赤司くん、起きてたんですか」
「……どこに行くんだ」
「宿題があるんです。まだ期限はありますが、早めにやってしまおうかと思いまして」
「オレが来てるのにか?」

 さっきまで眠っていた恋人は横柄に言い放つ。
 けれどその鋭い眼差しで見つめられると、ボクは圧倒的に不利だ。
 やらなくちゃいけないんです、などと口にした所で、彼の前では許されない。
 視線を揺らし、伺うように言葉を選ぶ。

「でも、赤司くんまだ寝るでしょう?」
「一緒に寝ようよ、黒子」

 年相応の、甘えるようなその言葉。
 赤司くんがこんなに殊勝な態度を見せるなんて。
 いつも飄々として掴みどころがなく、子供らしい興味はすべて性的な方面にのみ発揮され、甘えるような事を言ったりするなどこれまでほとんどなかった、あの赤司くんが。


「黒子」

 艶めかしい声でボクを呼び、手を差し伸べる。
 そのせいで赤司くんの体からシーツが滑り落ちて、半身が露わになった。
 ボクは催眠術にかかったように、その姿から視線を外すことができない。

 あの美しい身体に翻弄され、さっきまであの布団で二人睦み合っていたのだ。
 貪るようにキスをして、恥のない声をあげ、熱に浮かされ互いの熱を分け合った。
 それを自覚して、今さらながらに心臓がドキドキと早鳴る。
 情けないと思いながらも胸が苦しくて、息をするものやっとだった。
 酸素不足の頭がくらくらする。



「……ボク、今、なんだかすごく背徳的な気分です」
「今さら何言ってるんだ。元チームメイトの同性を誘惑した変態が」
「君がそれを言うんですか。ボクは誘惑なんてしてません」

 呆れたように笑って差し伸べられた手を掴む。
 赤司くんはそれに満足したように薄く笑って、ボクをベッドに引っ張り込んだ。


 やっぱりボクの幸せは、君と居られることだ。結局ボクは、赤司くんが隣にいてくれれば、何をしててもどこにいても満足だった。

 そっと赤司くんの手を取り、頬に寄せる。あたたかな掌の体温で頬を包み込み目を閉じると、幸せの匂いしかしなかった。
 触れた場所から、じわりじわりと愛情が流れ込んでくるようで、充足していく心にはもう、君以外なにもない。こんなにも愛しいと気付くまで、随分時間がかかってしまった。

「……黒子」

 呼ばれて目を開くと、赤司くんの唇が降ってきた。優しく重なったそれに、驚きはしない。もう一度目を閉じて、幸せを堪能する。

 憧れがいつしか恋に変わり、恋はいつしか愛に変わっていた。そうだ。いつだって、彼はボクのずっと前を歩いていた。どれだけ追いつこうと歩を進めようが、遥か及ばぬ場所でいつだって。そんな彼と、今では肩を並べて歩いている。それだけで、ボクはとんでもない幸せ者だ。その上、君には溢れるほどの幸せを貰っている。
 だから、貰ってばかりじゃ、いやなんだ。ボクも、赤司くんを幸せにしてあげたい。精一杯存分に与えて甘やかしたいんだ。

 赤司くんの首に腕を回して、ぎゅうっと抱き寄せる。目を閉じているから、その瞬間に赤司くんがどんな顔をしたのか見れなかったのは、少し悔しいけれど。
 離れない、離さない。繋がったままの唇が息苦しい。でも、絶対に離さない。
 そうは思うものの、肺活量の少ないボクが赤司くんよりも長く息がもつわけがないのだ。苦しい、でも、こんな死に方なら悪くない。そんな、ばかな事を考えて、赤司くんを抱き締める腕に力を込めた時だった。

 ちゅう、と最後に音をたて、唇が彼の方から離れていった。
 薄く目を開ける。視界に映るのは、赤司くんだけ。

「は、……っ、赤司、く、」
「……黒子」

 視界いっぱいの赤司くんがぼやけ滲む。生理的な涙が顳を伝っていく。ボクはこんなに息を乱しているのに、赤司くんは、いつもと変わらぬ様子でボクを呼ぶ。
 ボクはどうすればいいだろう。
 ボクは今なにをすれば、赤司くんに幸せをあげられるのだろうか。溢れる愛しさを、どうやって伝えよう。
 そんな事を考えていると、いつの間にか腕の力が抜けていた。するりと赤司くんがボクの腕から抜け、上半身を起こす。


「また一人で余計なこと考えてるね」
「……余計なことなんて」
「黒子、オレは十分に幸せなんだよ。といると、黒子への愛しさが全ての感情を凌駕するくらい。お前が何をしようと、存在のみで愛おしい。きっと人間が一番幸福を感じるときは、人を愛している時なんだ。そう思えるようになったのだって、黒子のおかげだ。相手の全てを思いやり慈しめる愛なんて、世界中どこを探したって極まれにしか産まれないだろう。オレが黒子を愛してる。それだけでオレが、どんなに幸せか」

 そう話す顔は、いつもの表情の中にも僅かな照れが窺えた。締め付けられたように胸がぎゅうと狭くなり、熱い気持ちが込み上げる。
 何だろう、何と言えば良いのだろう。どうにもこそばゆくて、嬉しい。嬉しい。
 こんなボクなんかを想ってくれて、こんなボクなんかのために、赤司くんは真っ直ぐに愛を伝えてくれる。
 それと同時、全部、全部見透かされていたことに驚いた。
 大すきな君が隣にいてくれればそれだけで良い。君のことがすきで幸せだ。ボクたち、はじめから同じだったんだ。


 それから、と赤司くんが呟く。その後に言葉は続かず、唇が首元に落ちてくる。
 ちゅっと吸い付かれてすぐに離れたそこにはきっと、君の赤色。

「やっぱり、ふれていたいね」

 そう続きの言葉を紡いだ後、初めのようにボクの隣に横たわった。一度、二度と唇を重ねた合間に笑いを漏らす彼が心から愛おしくて、その声も体温も全て脳裏に刻みつくよう、ボクから深く口づけた。
 鼻と鼻が触れ合う距離で、不意に濃い暗闇が視界を覆う。目元にはあたたかい掌の感触。
 どうやら、赤司くんが手でボクの目を塞いでしまったらしい。

「一緒に寝よう、黒子」

 柔らかい所作で、掌が頭を撫でる。
 子供扱いしないで下さいと拒むときもあるけれど、今はその感触があたたかく、心地よく、また離しがたいものであったため、されるがままにしておいた。

 ボクは返事をする代わりに、赤司くんの空いている手を握り、眠りの淵に沈んでいった。







end

  

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