黒バス

□ミスター処方箋
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「黒子」
「……なんですか」
「このネギを首に巻くんだ。焼いたネギをタオルで包んだら、首がタオルで温まる。ネギの香りも鼻詰まりをよくするんだよ。それから……」
「もう勘弁して下さい……!」



 風邪をひいた。

 きょう、赤司くんと会う約束なんてしていなければ、こんな風に付きまとわれることもなく、きっと穏やかに風邪を治すことだけに集中できたんだろう。

 でも人生はおかしなもので、なんの因果かきょうは家族も出払ってて、その上赤司くんと会う約束があって、素直に風邪をひいたと伝えたら家まで押しかけられて今に至る。
 たしかに、食べやすいゼリーを買ってきてくれたり、汗ばんだ身体を拭いてくれるのはありがたい。ありがたいですけど。


「黒子、なにかしてほしいことは?」
「もう寝かせてほしいです……」
「よし、じゃあオレが特別に子守唄でも歌ってあげようかな」
(いらない……!)

 赤司くんは耳元で小さく歌い出したけれど、ちょっと赤司くん、ボク寝たいんです。そんな耳元に息吹きかけないで下さい。むしろ静かにしていてほしい。
 何回寝ようとしても、赤司くんが来てから一睡もできない。

 枕元で妙に色っぽく歌ってくれる赤司くんの腕をペチペチと叩く。
 気づいた赤司くんが歌をやめて、ボクのそばに顔を寄せた。

「どうした、黒子? ほかになにかしてほしいのか?」

 ううう、ボクが弱っているときに限ってこんなに優しいのなんて、ずるい。

 首を振る。赤司くんが「ん?」と返事をする。

「うつるから、もう帰っていいですよ」

 風邪菌にやられた喉で言うと、情けないくらい掠れた声が出た。ああほんとうに、このままじゃ赤司くんにうつしかねない。すると、ボクの言葉を聞いて、赤司くんはため息をついた。

「……なんで、すか」
「風邪のときって、心細くなるんだろう? 黒子がそんなときに、オレが帰るなんて思うか?」
「う……げほげほっ」

 思わず咳き込んだ。不意打ちのそんな甘いセリフ、反則だ。
 咳を続けるボクの肩を優しい掌で擦りながら、「それに、」と赤司くんが続ける。

「オレは、風邪なんかひかないよ」

 にこ、といつもみたいに笑った赤司くんを見て、「納得しました」と返して、ちょっとだけ、安心した。
 たぶんそれは、赤司くんが風邪をひきそうにないからじゃなくて。

 たしかに赤司くんは、とっても規則正しい生活を送ってそうだから、風邪なんかひかないかもしれない。
 でも、いくらなんでも、これはどんな人にだって風邪がうつる距離だと思う。
 眠さに負けそうで降りそうになる瞼をがんばって持ち上げる。「寝ていいよ?」なんてすぐそばで言われたけれど、とりあえず、もうちょっと離れてもらうまでは寝るわけにいかない。

「赤司くん、近いです」
「ふつうだろ」
「ふつうじゃないですよ……」

 ふつうの人は、風邪をひいている人間の枕元で顔を覗きこんだりしない。
 風邪っていうのは、空気感染する可能性は高くないらしい。だから、まだボクに触ってこないだけいいとは思うけど。けど、これはさすがにボクの良心がむり……!


「お願いですから離れてて下さい」
「……例えば、どのくらい?」
「あのドアの前くらい」

 よろよろと部屋の扉を指差す。

「そんなに?」
「早く」

 だだこねないで、ボクは眠いんだ。
 渋々というように、赤司くんが立ち上がる。いちいちこっちをチラチラ見る感じ、案外芸が細かい。だけど、きょうだけは聞いてあげませんから。
 とりあえず、これくらい離れていれば、ボクも心置きなく寝られそうだ。

「黒子」
「……なんですか」
「寂しい」
「らしくないこと、言わないで下さい。きょうのボクになにも求めないで欲しいです。……寂しいなら、ボクじゃなくて緑間くんとか青峰くんとかに会って帰れば良いじゃないですか」

 寝返りを打って、赤司くんに背中を向ける。我ながら、せっかく京都から来てくれたのにひどいことをしているなあ、と思う。でも、これが赤司くんのためだ。
 治ったら、ちゃんと謝ってお礼言って、出来なかったデートをしよう。


「……他の奴じゃ、だめなんだ」


 ふと、呟くような声がした。
 その声が、すごく細い感じで、気になってちょっと振り向く。
 赤司くんが、真っすぐこちらを見つめていた。目が合って、心臓が変な音を立てる。

「黒子じゃないと、だめなんだ」

……しばらく、思考が停止して、やっと動きだした頃には、顔が風邪のせいじゃなくてとんでもなく熱くなる。
 黒子、と赤司くんが立ち上がる。うわあああ、来るな!

 布団を頭の上まで引っ張り上げる。今の顔見られたら、むり、恥ずかしい。
 風邪菌のせいで、きょうのボクは変だ。赤司くんが歯の浮くようなセリフを言うのは、今にはじまったことじゃないのに。

「ねえ、黒子」
「……!」

 布団に潜ってぐるぐるぐるぐる考えていたら、不意に、すごく近くで声をかけられた。
 自分でも笑えるくらい、びくっと肩が上下した。それを小さく笑うのが聞こえて、ぽん、と柔らかく手が置かれる。

「黒子、さみしい」
「……柄じゃないでしょう」
「黒子にだけだよ」

 黒子にだけしか、寂しいなんて感じないよ。そんなことを照れもしないで言えてしまうあたり、きっとこの人は変な病気に頭がやられてるんだ。きっとそうだ。

「黒子」と呼ばれる。
 うっと言葉に詰まる。
 どうしよう、手、出したら、つないでくれるかな。
 わがまま、聞いてくれるかな。
 いつも、優しくなんて、めったにしないくせに。
 風邪のせいかもしれないけど、うれしくなるじゃないですか。
 ちょっとだけ、布団に隠れたままで、右手の先を出してみる。
 そっと、冷たい手が触れてきた。

「黒子?」
「……やっぱり、帰られたら、困りますから……」

 急に君がいなくなったら、さみしくて、心細くなっちゃうから、困るんです。


 そうか、と呟いて手を握る赤司くんは、たぶんどきりとするほど、優しい顔をして笑っているんだろう。
 つながる手が、冷たくて気持ちいい。
 すごい速さの心臓がちょっとうるさいけど、赤司くんの子守唄よりはちょうどいい気がするから、なんだか、ゆっくり眠れる気がした。






ミスター処方箋



 目が覚めた。
 喉が痛くなくなっていた。
 見れば、ボクの手を握ったまま、赤司くんがベッドにうつ伏せて眠っていた。
 かわいい寝顔に、不覚にもどきっとして、ちょっとくやしかったから、仕返しみたいに彼の髪にキスをした。







 

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