黒バス

□未来共有
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 東校舎一階、奥の奥。資料室や空き教室が並ぶそこは人の往来が極端に少なく、基本的には静寂を保っている。そんな並びの最後尾に続く角部屋。

 彼は、そこにいる。


 色褪せたカーテン、脚がすり減り傾ぐ卓袱台。そして、足元に溢れかえる古びた本。そのひとつを手にして、白い指でページを捲る、日溜まりを乗っけた横顔。

 ここは所謂廃教室。窓際に位置する、どの教室のものより幾分古めかしい机と椅子は、彼の指定席になっていた。
 そして部屋の隅に佇む、ピアノの黒い椅子も、オレの指定席だ。黒い革が所々剥がれ落ちたそれを彼の指定席の前まで引っ張って、机越しに向かい合わせになるようにして腰掛けた。

 さらりとした水色の前髪。頬に影を落とす長いまつげに見とれる。
 思わず触れたくなって、手を伸ばす。指先で、するりと白い頬を撫でた。


「……赤司くん、なにがしたいんですか」
「黒子がかわいいから触りたいんだ。なにか問題あるか?」
「あります。読書に集中出来ません」
「じゃあ読むのを止めればいい」

 そう言って取り上げてやろうとしたのだが、黒子は本を握る両手に力を込めて離さなかった。

「……離せ」
「……そっちこそ」
「黒子、いちゃいちゃしよう」
「ボクは本を読むんです」
「恋人相手になんて冷たいんだ」
「今現在ボクの恋人はこの本です。読み終わったら赤司くんに戻してあげても良いですけど」

 むっと黒子を睨みつけるが、彼は指先に力を込めているせいか、いつもより少し力んだ表情で読書を断続していた。
 頑固な彼のことだ、これ以上しつこくちょっかいを出したって、意地になって余計無視を決め込むに決まっている。
 溜め息を吐いて本から手を離すと、引っ張られていた本の突然の軽さに、黒子がガクッと前によろめく。
 その様子に笑って立ち上がると、ようやく黒子の視線がオレに向けられた。

「邪魔してすまなかった、教室に戻る」
「え、」

……オレは確信犯だ。こう言って離れる素振りを見せれば、黒子はきっと。

「あ、赤司くんっ」

(ほら、)

 こうして、オレの制服の裾を掴む。「何?」と聞きながら振り返れば、黒子は控えめな声で言った。

「あの……、あんまり邪魔しないなら、一緒にいてくれていいですよ」

 これが、彼の精一杯。くしゃりと水色の頭を撫でて、再び腰を下ろす。


「さっきも思ったんですけど、赤司くんの手、いつにもまして冷たいです」
「ああ、二限は体育だったんだ。きょうは寒いよ。朝と温度が変わっていない」
「……そう言えば、冬の内にいつか焼き芋を作ろうって、紫原くんと話してたんです。その時にはみんなも呼ぼうと思ってるんですが、そしたら二人で半分こしましょう」
「……半分?」

 やわらかな笑みにそうだなと頷きそうになったが、その寸前で小さな疑問が湧いた。

「少ししか作らないのか? 焼き芋」
「いいえ、いっぱい焼きますよ。でも半分こしましょう」
「また、何でそんな事を」


 意図が掴めず眉を顰めるオレに、黒子は読んでいた本を閉じてこちらを覗き込んできた。少し考える素振りを見せたかと思えば、一呼吸程の思案の後、ほら、と目を細めた。
 慈愛にも似た視線の先には、オレの手を包む小さな手。普段は比較的体温の低い掌は、暖かい室内に居たため熱を帯びていた。

「こうやって時間を共有して、手を繋いで体温も共有してると、何だか温かい気持ちになりませんか? 大すきな人と何かを共有するって、すごく素敵な事だと思うんです」

 だから今度は赤司くんと、美味しいを共有しようと思いまして。

 僅かに頬を紅潮させながら、黒子は嬉しそうに微笑んだ。
 掌から伝わる熱は心地良く、同時に焼け付くように熱く感じられた。体温の低いオレの手がじわじわと温められてゆく一方で、黒子の掌は熱を奪われ、そうやってオレ達の温度は同化していくのだろう。
 これが彼の言う体温の共有というものなら、なるほど、確かに悪くない。


「黒子、それならひとつ提案があるんだが」
「何ですか?」
「オレもお前の意見に大いに賛成だ。だから、」

 そこで言葉を区切り、首を傾げる黒子を引き寄せて唇を重ねた。一瞬の熱の共有の後、何をされたか理解した黒子の頬に紅が広がる。熱量を増した掌に笑いを噛み殺しながら先を続けた。

「オレ達が社会人になってからで良い、二人で生活を共有しよう」
「え……っ」

 黒子が口を開いたと同時に三限目の始まり五分前を知らせるチャイムが鳴り響き、その後に続く筈だった言葉を掠めていった。
 さて、休み時間が終了してしまった今、オレも黒子もそれぞれの教室へ戻らなければいけない。真っ赤な顔で口をパクパクと開閉させる黒子に先に行ってるよ、と短く挨拶を残し、オレは引き戸に手を掛けた。

「ちょ、ちょっと赤司く……」
「ああ、さっきの返事だが……そうだな、焼き芋の時にでも頼むよ」
「え、待っ、ちょっと!」

 黒子の声を遮るように戸を閉める。
 そのまま廊下を進んでいると、数秒遅れで何とも形容し難い感情が胸に広がっていくのが分かった。言葉になんて出来ない、どんな言葉も、この気持ちには追い付けない。
 あの黒子の赤い顔の、なんと愛しかったことだろう。
 高鳴る鼓動を抑え込んで、未だに熱を保つ右手をポケットへ突っ込み、くすりと笑いながら教室へ戻る足並みを速くした。





未来



「赤司くんは一方的過ぎます……!」

 あんなの、ずるい。きっと赤司くんはボクの気持ちを見透かしている。
 驚きと興奮と、嬉しさ。そんな入り混じった自分の気持ちに気付いているボクの出す答えなんて、一択しかない。
 ついさっき触れ合った唇を噛んで、胸を押さえた。ドクドクと激しく脈打つ鼓動が掌に響いて、倒れてしまいそうな胸の響きに顔が熱くなる。

「大丈夫、ただの焼き芋です……いくら赤司くんでも、みんなの前で言わせるはずがありません」

 だからせめて、二人きりの時にまた――

 窓の外で舞い散る枯れ葉を目で追いながら、それ以上は頭が爆発してしまうから考えないようにして、ボクは教室へと戻ったのだった。









end

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