黒バス

□愛しさの向こう側もまた愛しさで
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 口付けの合間に突然黒子が歯を立て、ガリッと下唇が喰い破られた。
 一瞬広がった痛みについ眉を寄せるが、首に回された細い腕に引かれ、さらに距離が縮まる。そして黒子は貪るようにオレのその傷口を吸い始めた。
 彼は今、何を考えているのだろう。部室に響く厭らしい水音に、貪欲にオレを求める黒子のその姿。頭がくらくらする。
 ぼんやりと靄のかかる思考の隅で、下唇が腫れたらあしたアイツらになんて言おう、特に黄瀬がうるさいんだろうな、なんて余裕めかしたことも考えていた。
 せっかく黒子が珍しくオレを求めているというのに、オレは何を無粋なことを。


 まぁいい。誰が何と言おうが、黒子はオレのだ。
 だから今、妙に積極的にオレの唇に吸い付く黒子を、思い切り堪能すればいい。
そう開き直ってしまえば、もうされるがままでいる必要もない。彼の両頬に手を添わせ、一度唇を離す。今まで散々吸われ舐められ熱を持ったそこはやはり、少し腫れていた。
 そうして今度はオレから真っ直ぐに口付けて、舌を入れてやろうとした時だった。


 誰かの砂を踏む足音が近付いてくる。オレ達がいるのは部室だ。
足音の正体が部員だとしたら、きっとここに来る。
 仕方なく、もう一度離れると、黒子は首を振り抱きついてきた。


「……黒子、ちょっと待て」
「赤司くん……赤司くん、赤司くん」
「黒子、分かったから少しだけ、少しの間だけ離れろ」

 そう言っても聞く耳持たずで、相変わらず黒子はオレから離れようとはしない。
そうしている間にも足音はどんどんと近付いてきている。理性を無くした黒子はそれにも気付いていないのだろうか。
 鍵は掛けていない。オレは別に気にしないのだが、こんな姿を見られたら後々黒子が面倒だろう。



「……仕方がないな、お前は」

 水色の小さな頭を抱え、胸元に抱き込み、扉に背を引っ付けるように凭れ掛かる。そうして片手を伸ばして鍵を掛けた。
 例の足音はやはりバスケ部員だった。ガチャガチャとドアノブを捻るが、今し方鍵を掛けたばかりだ。しかしそれでも諦めず、部室の扉がドンドンとノックされ、振動で身体が揺れれば、蚊の鳴くような声でオレの名前を繰り返し呟いていた黒子も我に返ったように押し黙り、オレの胸に強く顔を埋めた。





「黒子っちー! いないんスかー?」




……お前かよ。
 聞き慣れた気の抜ける声に一気に脱力して、黒子を抱えたままその場にへたり込んだ。きょうは青峰と残ってなかったのか。なにしてるんだ、このばかは。
 だけどコイツならなんとか適当にごまかせるだろう。
 そう考え、顔を上げる。すると黒子も顔を上げ、何か言いたげに唇を動かしたが、その薄い唇に人差し指を押し当てて「黙ってろ」とジェスチャーを送れば、彼は渋々ながらも頷いた。それを確認して、ゆっくり口を開く。



「……おい黄瀬、うるさい。いつまでドンドンドンドン叩いてるんだ」
「え……ええ!? なんで赤司っち!? なにしてるんスか!」
「今、将棋中だ。邪魔するな」
「あ、あの、赤司っち、黒子っち知らないッスか? 電話かけても出ないしメールも帰って来ないんスよ! なんかあったのかな、大丈夫かなあ……」
「ちゃんと帰った、大丈夫だ。お前ももう帰れ」


 黄瀬は優しい奴だ、ばかだけど。
 まぁ今回はその優しさ故にオレ達の邪魔をしたことになるのだが、別に黄瀬に怒る気にはなれなかった。

 少し間が空いて、「赤司っちがそう言うなら……」と呟き、足音は遠くなって行く。

 コイツらの良いところを、たくさんたくさん、溢れるくらい知っている。一癖も二癖もあるような奴ばかりだけど、そんなものに覆い被さるように、良いところばかりが目に付いて仕方がない。やはりオレは、キセキに対しては少し甘かった。



「黒子、もういいぞ」
「……赤司くん」
「うん?」
「キスして下さい」
「……うん」

 ちゅ、と小さく口付ける。黒子はそれだけじゃ足りないとでも言うように、先程自分が噛み切った唇にぺろりと舌を這わせた。そのまま、またそこに集中して吸い付いてくる。
 一体なにがしたいのか分からない。初めは珍しく積極的だと喜んでいた自分も確かにいた。だが、なにかが違う気がする。少し考えればすぐに思い当たることだった。いつもの黒子がオレに傷を付けるようなことを、するはずがないのだ。

 オレから一度深く口付けて、離れる。少し俯いた黒子の顔には、前髪の影が落ちて、表情は汲み取れない。



「……黒子、どうしたんだ」
「……いや、です」
「ん、なにが?」
「……赤司くんが、ボクに、優しいのが、いやなんです」
「……どういうことだ?」


 なにを言い出すのかと思えば、これだ。黒子の言わんとすることが、まったく分からない。人のことを言えないとは思うが、元からなにを考えているのか、よく分からない奴だとは思う。それでもずっと一緒にいて、言葉を交わして、同じ時間を過ごして、愛しあって。彼のことは自分が一番理解しているはずだ。黒子の光である青峰にだって、負けないくらい。
 だけど結局、黒子のぜんぶを分かることなんて出来やしない。言ってくれなきゃ、いくらオレでも分からない。だからやっぱり、言葉は大切なのだ。



「ボク、赤司くんがすきです」
「……うん」
「でも、きらいです」
「……ん?」


 分からない。とことん分からない。それに少し怒っている気もする。あれだけオレにくっついてきて、あれだけオレに口付けてきておいて、なぜきらいだなんて言われなければいけないのか。
 普段なら考えられないこの態度。だけど黒子に怒りたくなんてない。


「なにがそんなに気に入らないんだ」
「本当に分からないんですか?」

 漸く視線がこちらに向けられたが、黒子は依然として不機嫌のままである。

「分からないから聞いてるんだ」
「……赤司くんのばか、鈍感、将棋っ」

 目の前の鈍感代名詞に鈍感と言われる日が来ようとは、夢にも思わなかった。そして将棋は悪口に含まれるのか。……コイツかなり混乱してるんじゃないか。


「もう、いいです。ボクなんて赤司くんにとって、他のみんなと変わらないんです。青峰くんや、黄瀬くんにも、あんな風に笑いかけて。緑間くんと二人で将棋なんてして、紫原くんにベタベタされたりして。ボクだけが赤司くんのこと、世界一大切だなんて思ってるんです。ボク、だけ……」
「……なんだそれ、ばかはどっちだ」


 青峰や黄瀬に笑いかけるから?
 お前にしか見せられないオレの表情が、どれだけあると思ってるんだ。
 緑間と二人で将棋なんてするから?
お前と二人でしてきたことは、お前以外となんて到底出来ないことだ。
 紫原にベタベタされてるから?
 お前がこれだけ、一番オレの側にいるというのに。
 いくらオレがキセキのことを大切に思っているからと言ったって、その中でも黒子は格別、当たり前だ。


 
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