黒バス
□Miraculous Catch!
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ばーかばーかばーか。
黒子のばーか。
……あーあ、何かどんどん惨めになってくな。
溜め息を吐く。それさえも自分の愚かさを浮き彫りにする様で嫌になる。
ちくりと、頬に痛みが射す。
無理矢理言わせたって、何の意味も無いんだ。なのにオレ、なぁにやってんだか。
端的に言えば、オレは黒子に「すき」って一言言って欲しかったんだ。別に悪い事じゃないだろ? なのに、(オレの迫り方に非があったのかもしれなくはないが)黒子は酷いと思う。はたくなんて。しかも往復ビンタな。
……思い出したら、余計痛くなってきた。
遡る事約三十分。
その時はまだ黒子はオレの隣で本を捲っていたんだ。文字を追って少しずつ動く、大きな青い瞳に、しばらく見とれていたのも覚えている。
で、だ。
むくむくと迫ってくる独占欲に似た気持ちに、負けた。本を黒子の眼前で閉じる。きょとんとした黒子の表情に、きゅんとする。
ああ、やっぱすきだなぁなんて思う。
そこで、黒子はどうなんだろうって、思ったんだ。
一緒に居てくれるって事は、嫌われてはいない筈だ。付き合ってるって事は、好意に近いものは抱かれている……筈なんだ。
けど、黒子は最近そういう事を口にしてくれないから、不意に、少しだけ、本当かななんて不安になって。
……急に押し倒したりして、すんませんでした。
その一言を言うよりも早く、黒子は強烈な往復ビンタを残して部屋から去って行った。
「はぁ……」
何とも空虚な溜め息だ。
時間は刻々と過ぎていく。黒子が去ってから、もう一時間は経つんじゃないだろうか。
何も出来ないまま、過ぎてしまった時間。全く、オレらしくもない時間を過ごしてしまった。
このままにしていたくなくて、立ち上がろうとした刹那、ピーンポーンなんて間抜けな玄関のチャイム音が響いた。
どうせアレックス辺りだろうと、再び腰を下ろす。立ち上がるタイミングを逸らされ、決まりが悪くて後ろ髪を掻く。
「なんでオレが、こんなうだうだしてなきゃなんねえんだよ……」
もう不安な気持ちも醒めたというのに、何にブレーキを踏まされているのか。
もう一度でかい溜め息を吐くと、部屋の扉がノックされた。
よくよく考えると、あの女がそんな礼儀を持ち合わせているとも思えない。
「はぁい」なんて気の抜けた返答をする。
何だかもやもやした気持ちが消えなくて、今は誰とも話したくない。
「かーがーみくん」
オレにも負けない位気の抜けた声が、扉から伝わってきた。
びっくりして、立ち上がる。アレックスのものでも、他の誰のものでもない声。
この声を、忘れる筈無い。
急いで扉を開ける。と。
ガンッ!
「痛っ」
「あ、わりぃ」
黒子の額が赤くなった。
オレが勢い良く開けた扉に、ぶつかったのだ。
「わざとじゃねえからな!」
なんて言っても、黒子はオレと向き合って相変わらずすごく冷たい視線で見上げてくる。
ああー、また怒らしちまったかも……なんて項垂れそうになる思考を静止させたのは、黒子の艶のある声が発した、拍子抜けする様な台詞だった。
「火神くん。ちょっと練習、付き合ってください」
「帰ったんじゃなかったのか」
「帰りましたよ。ボール取りに」
「…………」
しれっと言ってのける黒子に、呆れて言葉が出てこなかった。
その間も、ドリブルの小気味良い音を響かせて、公園の小さなコートを行き来する。
なぜわざわざ取りに行ってまで、バスケをしようと思ったのか。オレには分からない。
多分訊いた所で、何となくとか言われるのがオチだろう。けど、オレも何となくだけど、こうしてふたりでバスケをするのが楽しくて、嬉しくて。
ちょっとずつペースを上げていく内に、ちょっと話したくなって。
肩が温まってくる。
確かな熱が掌に返ってくる。
身体が汗ばんできて、血液が走り出す。
火照った頬に大気が呼応して、辺りが少しずつ温度を上げる。
気持ち良い。
何気なく繰り返したボールのやり取りが、こんなにも気持ち良い。
「黒子」
「はい?」
「オレさ、」
「はい」
「お前がすきなんだよ」
「……はい。知ってます」
それっきり、会話が無くなる。
でもオレは、この手の中のボールに想いを託すつもりで、何度も何度も、ゴールへと投げる。黒子からのパスを受け止める。
黒子は、感じているのだろうか。
知ってると、黒子は言った。
けど、多分。
お前が思ってるよりもずっとずっとずっと。オレはお前がすきだよ。黒子。
頭上を、白い雲がゆっくりと流れていく。その間に紡がれた青が、ひどく美しい。
太陽の輝きも、風の囁きも、黒子と居るから美しい。
ボールも、ゴールも、コートも、この身体が在るから意味がある。
なぁ黒子。
黒子にも、世界はこんな風に見えているのか。一つ一つが目を細める程目映い意味を放つのを、お前は知っているか。オレはさ、お前と会って初めて知ったよ。
世界は、バスケは、日々は、こんなに綺麗なんだって、お前と会って初めて知ったんだ。
そんな風に感じる程に、オレはお前がすきなんだ。
黒子。黒子。黒子。
世界で一番、大切な名前。
不意に、ボールが返って来なくなった。
両手の中にボールを収めて、黒子が近寄ってくる。もう終わりのようだ。
少し残念に思いながらも、息を整える。
口にしなくても、想いはボールに宿っている。なんて寒い事は言わないけれど、少しでも、黒子に伝わったら良い。
そう思う。
黒子がオレの正面に立つ。
少し俯いているのと逆光のせいで、黒子の表情は分からない。
す、とボールが差し出される。
受け取ろうと手を出すと、そこにボールは入れられず、オレの胸に軽く触れた。
「黒子?」
首を傾げると、黒子が一歩進み出て、オレの隣へと動く。
胸に押し宛てられるボールが、とくん、と鼓動した気がした。
「――――、火神くん」
「え……?」
擦れ違い、黒子がオレの視界から去る直前に、耳元で囁かれた言葉。その甘さに、渡されたボールを取り零す。
「すきですよ、火神くん」
……何だよ何だよ何だよ。
そんなっ、何なんだよ……!
思考が停止する。
黒子の去っていく足音が、耳を素通りしていく。
まともに考えないまま、振り返って黒子の背を追う。
ゆっくりと歩いていくその小さな背中を抱き締める。驚いた様に、黒子の顔が上がる。
「火神くん……?」
「黒子、ずりぃ……」
「はい?」
朱の差した耳を、唇で挟む。
びくりと、黒子の肩が揺れる。
「ずりぃよ、黒子。オレ、怒らせたと思ってたのに」
「……怒ってたけど、そうでもなかったんです」
「ははっ、何だそれ」
笑う。
もうなぜだか分からないくらい胸が熱くて熱くて、何も考えられなかった。
ただ、そう。この気持ちが。
幸福って、ものだったんだ。
多分、幸福って、抱き締めた途端に遠くなる。そんなものだと思う。
掌で包み込んだ途端に、ふわっと見えなくなってしまう。
けど、それでも。
今オレの幸福はこうして確かに腕の中にあって、温かくて落ち着いて愛おしくて。
オレはこの気持ちに、幸福以外の名前は見付けられない。
そして、黒子とじゃなきゃ味わえない、この気持ち。
今お前と居られる奇跡を、何と名付けよう?
そう、それは、きっと―――。
Miraculous Catch!
end