星矢
□この気持ちが聞こえたら
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「瞬、一輝と喧嘩でもしたか」
「どうして」
「機嫌が悪い時、いつもその顔してる」
ぶう、と頬を膨らませ、氷河がぼくの頬を指でつついてくる。ぼくの顔のマネらしい。
「……ほっといてよ」
氷河の手を払いのけ、そっぽを向く。
氷河の時々ひどく鈍感で無神経なところが苛立たしかった。
……違う、これは自分のせいだ。勝手にイライラして、氷河に当たっているだけだ。分かっている。
兄さんと喧嘩した。
下らない口喧嘩だった。今となっては何を言ったのかすら曖昧だけれど、とにかくぼくも悪いってことはうっすらと自覚しているんだ。どれだけお願いしても無理だってことはちゃんと分かっている。分かっているけれど、やっぱり兄さんにはいつも側にいて欲しいし、できることなら、もうどこにも行かないで欲しい。
そうして今、隣にいる氷河に当たっては、自己嫌悪に悩まされる。
せっかく慰めようとしてくれているのに、こんな態度をとってしまって、笑ってしまいたくなるほど、今の自分が惨めでかっこ悪かった。
「ほっとけなんて言われると、」
不意に、氷河の手がぼくの手に重なってきた。思わず手を引く。ああ、また氷河に当たってしまいそうだ。
「余計に構いたくなる」
ずいと迫ってくる氷河の顔を無視する。そんな気分になれない。
たぶん心の奥の奥の奥の方では悪いと思ってはいるんだろうけど、今のぼくに、そんなのを引っ張りだすことはできそうにない。
無意識の言葉で氷河に当たってしまいそうだ。気付かぬままに氷河を傷つけてしまいそうだ。だから、触れないで欲しい。
「……ごめん、氷河。今、構わないで」
「断る」
「こっち来ないで。触んないで」
「瞬」
「……やだ」
睨みつけると、氷河は小さく笑った。
ぼくの本気を簡単に受け流せてしまう氷河に悔しくなる。こんなことで悔しくなる自分に悔しくなる。
唇を噛んで目を伏せると、いきなり頬に吐息がかかった。
驚いて顔を上げると、氷河の顔が目の前にあって、小さく口唇を合わせてくる。
掠るような口付けに、思わずぽかんとする。「は……」なんて間抜けた声が漏れる。
「氷河、今、何……した?」
「チュー?」
「…………ばか」
ぼくは下手なネズミの真似なんかに、騙されたりなんかはしないぞ。ちゅーしたでしょ、ちゅー。
バシッと音がなるくらい強めに、氷河の肩を叩く。それでも、また氷河は笑った。
「瞬、赤くなってるぞ?」
「氷河のばか!」
ああ、またやってしまった。氷河にこんな言葉、吐きたくないのに。こんなことならいっそ、口を開く間すら与えないでほしい。
ーーーそうか、そうだよ。
「氷河」
「ん?」
「ん」
目を閉じる。
顔を少しだけ上向けると、頬が自然に熱くなるのを感じた。
「……どうした?」
「んっ」
ばか鈍感ほんと最悪。
口を開けばまたこんな汚い、言いたくもない言葉を言ってしまうから、だからこうして口を噤んでいるのに。
氷河の大きな掌を握って、もう一度顔を向けると、くすっと小さな笑声がきこえた。
(氷河のばかばかばか)
分かっていて焦らしているのだと知って、軽くその手を抓ると、「わかったわかった」と笑いながら言うから、また顔が熱くなった。
口を開けば当たってしまう。
だったら、開かなければいいんだ。
開かないでも、氷河となら、繋がることができるって、知っているから。
そっと頬に触れてくる優しい掌。小さく吹く吐息に、前髪が揺れてくすぐったい。
やがて重なる唇は、いつもと同じ、あまい氷河の味がした。
きつい言葉を言って、ごめんなさい。でも、あんまりに無神経な氷河にだって、非があるんだから。
なんてまた、かわいくないことを言い出したら、その時は、氷河がちゃんと、この唇を塞いで。
その、ぼくの惚れてるあまさで。
この気持ちが聞こえたら。
(黙ったままで、キスをして)
「こっち向け、瞬」
「……どうして?」
「瞬の声が聞こえたから」
「なんて?」
「キスしてって」
「嘘つき」
「瞬こそ」
「ふふ、うん」
* * * * *
おまけ。
バリーン!!!!
「しゅーーん! すまなかった!」
「兄さーん! やっぱり戻ってきてくれたんだね!」
「きのうはすまない、オレはまた行くが、謝りに来たんだ」
「ううん、ぼくこそごめんね、わがまま言っちゃって……」
突然窓を突き破って飛び込んできたのは、言わずもがな、瞬の実のバカ兄貴だ。
常識外れの登場の仕方に瞬はツッコミもせず、兄を見た途端に溢れだした目尻の涙を拭い、オレの腕を振り払って一輝に抱きついて行く。
「なんの音だ!」
「なに暴れてんだよ!」
バタバタ騒がしい足音がして、星矢と紫龍が部屋の扉を開く。無残に散らかった窓ガラスと、熱い抱擁を交わす瞬と一輝。
「……説明は必要か?」
「いや、いい。だいたい分かった」
「うむ。だいたい分かった」
抱き合い謝り合う瞬と一輝。不機嫌であろう、オレの顔。
星矢も紫龍も、そして今この場にはいないアテナもきっと、分かりたくもないのだろうが、だいたいの経緯は分かってしまうのだ。