月映
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「赤司くんって、」
不意の呼び掛けに、思考を止めて黒子に振り向いた。彼は見えない筈の目で、オレを真っ直ぐに捉えていた。
「どうした?」
少しだけ、嫌な予感がしていた。
安寧な未来を崩す様なものを、見透かされた気がしていた。
黒子はいつもと変わらぬ表情で、変わらぬ声音で言う。
「何かボクに隠してますか?」
見えている。
黒子には見えている。どうしよう。これ以上、こいつに、こんなに大切な奴に、嘘を吐くのか。
でも。言ったら。
「……ごめんなさい、言いたくないなら良いんです」
沈黙の意味を察した黒子が、そう続けた。黒子が謝る事なんて、一つだってないのに。
彼は、こわいのかもしれない。
初めてできたと言っていた友達を失うのが、こわいのだろう。だから踏み込めない。だから聞けない。だから気を遣う。だから相手を守ろうとする。
黒子がオレから離れていく事はない。
そうと分かっているから、オレからも動かない。今のまま、を保とうとする。
黒子が望む友達は本当にこれなのか。
「黒子は、オレの事、すき?」
「え?」
きょとん、とオレを見つめてくる視線を、真正面から受け止める。
「はい、すきですよ」
黒子は照れもせずに言った。だからオレも、「オレも黒子がすきだよ」と言った。そしたら、黒子は笑った。
友達なら、当然だろう? 相手がすきじゃなかったら、一緒になんていられないだろう? オレは黒子がすきだよ。すき、だよ。
すきだすきだと心で呟く度に、何かが軋む音がした。オレが伝えたかったものとは、まるで違う言葉。対極の位置にあるような言葉を繰り返す己の舌を、引き抜いてしまいたくなる。
嘘を紡ぐ汚い声など、消えればいい。
いつか、近い未来、この思いは溢れて零れて、黒子を飲み込んでしまう気がする。
はっと目を見開いた瞬間に過ぎった黒い光は、間違いなく確かな未来を示唆していた。
「『――赤司くんが来てから、病院での生活が少し、楽しくなった。単調な毎日に光が差したみたいだったんです――』か。こいつ……良い奴、だな」
「……ああ」
「……純粋で、真っ直ぐで、友達思いで。……まぁ、俺がこんな事を言うのも自分で鳥肌が立つがな。だが、本当にお前がすきなんだろう」
「……ああ。だからなんだ」
「だから?」
緑間の目に疑問の色が浮かぶ。
そうだろうなと思う。オレの感情が分かるのは、結局オレだけだ。家族にも、仲間にも、友達にも、分からない。
「……だから、壊したくなかった」
「……」
「でも、オレは、本当はそんなに器用な人間じゃないんだ。程々に人をすきになる事なんか、できないんだよ」
「赤司……」
今でも、瞼の裏に焼き付いている。
月夜に滲んだオレの罪。
『――早かったなあ。早かった。赤司くんが来てから、毎日があっという間で、いつも明日が来るのが楽しみだった――』
「ボク、夜がすっごく嫌いだったんです」
黒子が唇に微笑みを乗せて、窓の外の白い月を仰いで言った。見事な三日月だ。
オレが返事をするより早く、次の言葉が夜に凪ぐ。
「光がない時間が嫌だったんです。ボク以外の人にも、光が見えないなんて、何か変な感じで。しかも、もしボクの目が見えるようになった瞬間がまたあったなら、夜だったら意味ないって思って。夜なんかなくなっちゃえば良いって思ってました」
くすっと黒子が笑う。
オレも少しだけ笑う。
「じゃあ、今は?」
「はい。今はすきです。夜が明ければ明日になる。また新しい光が来る。……それに、前、赤司くんが教えてくれたでしょう?」
「何か言った?」
「月があるって」
「……ああ」
夜には光がないと黒子が口にしたのは、初めてではなかった。初めに彼が言った時に、オレは白銀の光を思い出した。夜にだって、光はある。静かに包み込む絹のような光があると、黒子に言った。
オレは月の光がすきだ。
太陽のような鋭さがない、柔らかい光だと思う。冷たい色だとか、弱々しい光だと言う人もいるだろうけれど、死線を駆けるには、心の支えになってくれるような月が空に浮かんでいる事が、落ち着きをくれるみたいで、大切だったのだ。
太陽は、世界を照らし、肌を焼き、地を元気にする。
けど、そうじゃない輝きだってある。
月ほどに柔らかい白光は、他にない。
黒子は、月に似ているのだ。
「赤司くんが、ボクが月に似てるって言ったでしょう?」
「ああ」
「嬉しかったです」
「……ああ」
綺麗な三日月のように微笑む黒子は、何を思って嬉しいと口にしたのだろう。
優しいと言われた事か。
光と呼ばれた事か。
オレがすきだと言ったからか。
(……最後のだったら、一番嬉しいんだけどな)
空に浮かぶ光がオレの瞳にこれからも、変わらず映り続けてほしい。
そして、いつの日にか、黒子の目にも、優しい温もりを伝えてあげてほしい。
彼の為を祈る振りをして、オレはまた、夜空を見上げて、月夜に映える流れる星を探し仰いだ。