gift

□雪夢に微睡み、幸せに手を
1ページ/2ページ




雪。
降り積もる大空の純真。
小さな、小さな、汚れなき結晶。自然界で純白を許された唯一の結晶。

そして、雪はとけて水へと変わり、いつしか空へと還ってゆく。
永遠に変わらない純真へのループ。そんな雪が好きだった。


汚れてしまった大地を、純白に染めて浄化する。空から舞い降りた小さな純真。それは、儚いけど強いと思った。
積み重ねた一歩一歩は、世界を純白へと変えてゆける…そんな夢を何度も見た。



だけど、汚れてしまった雪はどうなるんだろう?
ふと、そんな事を考えた。

汚れとともに大地に吸われ、泥にまみれて地の底へ。空を見上げて届かぬ腕を伸ばしても、とこしえの闇へ呑まれて消えてゆく。


それは、堪らなく怖い夢。

それは、堪らなく怖い夢だったんだ。













雪夢に微睡み、せに手を



- The scarlet of tender -







〜 雪月花 儚く 刹那に消えてゆく
       虚像は 悲しく 美しい 〜










「ねぇ、こんな夢を見たんだ。白い雪に真っ赤な血。結晶になれない赤い水はもう、空には還れない。ボクは、地に呑まれて消えてゆくだけ」
そうミトスは言った。
囁かれるような、小さな声。なのに、耳に響いてジーニアスは押し黙る。




アルテスタ邸へと泊まった夜、ミトスとジーニアスは同じベッドで寝る事になった。なにぶん、8人もの大所帯だからアルテスタ邸のベッドは直ぐに満員になり、客間のベッドは女性陣と居住者であるミトスが使う流れになった。
そんな中、ジーニアスなら入れるという理由からミトスが提案したのが2人で1つのベッドを使うという物だった。
選別から漏れたロイド達は今頃、リビングで眠っているだろう。


「うっ…うぅぅ…」
流石に姉やコレット、しいなやプレセアが寝ている横で、楽しくハシャぐ訳にもいかずにジーニアスもミトスも大人しく眠りについた。多少はくすぐったりして笑いあったりはしたけど、ミトスの寝息が聞こえてからはジーニアスも瞳を瞑って寝ようと努める事にした。そうだ、明日も早いんだ。

しかし、寝ようと思うと逆に目が冴えてしまい、ジーニアスは何時間かも判らない時間を過ごす羽目になった。
すると、隣りで眠るミトスがうめき声をあげた。悪い夢を見ているのか、額に汗を浮かべて表情も苦しげで、ジーニアスは起き上がる。
ミトスと一緒に眠った事はないが、このうなされ方は尋常ではなくてジーニアスは少し考えてからミトスの肩を揺すった。
夢は眠っている限りは現実と変わらない。なら、いまミトスは現実のように苦しんでいるはずだ。起こされて迷惑かもしれないが、ジーニアスはミトスを起こすと決めて続いて軽く呼び掛ける。
すると、比較的すぐにミトスは目を開けた。


「……ジーニアス?」

「平気?ごめんねミトス…うなされてたみたいだから」
澄み渡る空ような青い瞳。普段は、そんな印象を受けるのに今は澱んだように曇っていて、ジーニアスはミトスを覗き込む。
すると、顔に張り付いたくせっ毛を、煩わしそうにのけたミトスは、しばらく真っ暗な天井を眺めてからようやく気がついたようにジーニアスを見た。そして、肩で息をすると腕で瞳を隠す。
そんなミトスに、ジーニアスは少し申し訳無さそうに謝ると、ミトスの髪を撫でた。髪が張り付いて気持ち悪いだろうと思って無意識にしてしまったその行為に、ミトスの肩がびくりと震える。


「ミトス…?」

「あっ…うん、ごめんね?ありがとう…」
普段、大人しいなりに情緒が安定してるミトス。そんな、彼らしくない姿にジーニアスは声をかけた。
物静かではあるが、ミトスはいつもどこか凛としていた。なのに、今のミトスは余りにも淡い。そんな、ジーニアスの心配を察したのかミトスは体を起こすと少し辛そうにだが微笑んだ。
そして、立ち上がると窓際へと歩を進める。窓から差す月の灯りに照らされたミトスは幻想的に見えるのに、なんだか酷く淡いとジーニアスは思った。
このまま、月の灯りに融けて消えてしまう。そんな、焦燥感で胸がドキドキしてジーニアスは思わずミトスの名前を呼んだ。


「ねぇ、こんな夢を見たんだ」
するとミトスは一瞬だけジーニアスへ視線を移すと、微笑んだ。その瞬間だけ、淡かった存在を確かに取り戻したように見えたミトスは再び窓へと視線を戻すと唐突に、そう言った。
闇に呑まれて消えてしまうような淡い声、だけどジーニアスは耳元で囁かれたような気がして、自分の肩を抱く。なんだか、寒気が体を走り抜けたような気がした。


「そこは、幸せな世界なんだ。ボクも、姉さまも、笑っていられるんだ。毎日、毎日が辛いのに…確かな幸せがある。そんな、矛盾した世界」
しかし、ミトスは喋りつづける。
まるで、独り言のように。まるで、昏々と眠りの中にいる夢現な戯れ言のように。なのに、まるで、大勢の前で懇々と訴えるようにミトスは続ける。
それは、なんだか開けてはいけない箱の中に潜む魔物のように甘美で、この世の物ではない禍々しさが込められていて、ジーニアスはミトスの心の底にいま触れていると悟った。
そこには、壊れた幸せを思い出す悲しみや憎しみ。壊れた幸せにすがる弱さと、懐かしさが詰まっていてジーニアスは体中の毛穴が開くような錯覚に震える。


「だけど、壊れてしまうんだ。呆気なく、理不尽に……そして、世界には虚しさと悲しみが残るんだ。青かった空は朱に染まり真っ赤な涙を流し、海は腐り、大地は涙でどす黒く染まる」
ミトスが、どんな世界で生きてきたのか、ジーニアスは知らない。ミトスは話さないし、ジーニアスも聞かなかった。だから、この物静かな友人がこんなにも心に漆黒の孤独を飼っていたなんて、ジーニアスは想像も出来なかった。
浅はかだったと、ジーニアスは思った。自分には姉がいて、ロイドがいて、コレットがいた。自分が恵まれているという事を、ジーニアスは考えていなかった。


「姉さまは雪のような人だったんだ。汚れた大地を純白に清め、汚れを空へと還してくれる。その世界は、姉さまがいたから美しかったんだ。どんなに薄汚れていても、だから美しくて…幸せだったんだよ」

「人間が…憎いんだねミトス」
ジーニアスは、一瞬だけ浅はかだった自分を悔やみ、表情を歪めた。
しかし、次の瞬間にはジーニアスの瞳には悔やみは消えていた。
そう、ミトスには自分がいる。姉の代わりは出来ないけど、ロイドやコレットのようにはなれる。だから、ジーニアスは言葉を挟んだ。
ミトスの垂れ流された憎しみや悲しみに、敢えて突っ込んでいった。その瞬間、確かにミトスの心に広がる世界に触れたような気がした。

ジーニアスの介入に、ミトスは、少し驚いたように振り返ると小さく頷く。そして、泣きそうな顔をしながら笑って、憎いよと呟いた。


「ねぇ、ジーニアス…幸せだった記憶は、なんでこんなに不幸になるのかな?暖かかった記憶は、なんでこんなに冷たく凍えてしまうの?ボクは…何を間違えたのかな」

「ミトス…」
そっと伸ばした指先に触れた世界。その世界でミトスは屈託なく笑っていた。自分には見せたことがない年相応な笑顔。
ジーニアスの脳裏に、確かな幸せを噛みしめるミトスが刹那に浮かんで、消えていった。
それは、あまりに悲しい映像でジーニアスはミトスを抱き寄せた。言葉なんて浮かんで来ない。ただ、こうして温もりを与えてあげる以外にジーニアスは何も思い付かなかった。
ミトスはジーニアスを抱き返すこともせずに、声をあげて泣いた。幼い子どものように、わんわんと、泣いた。


「ボクじゃダメかなミトス?ボクじゃ君を助けてあげられないかな」

「…ありがとう、ジーニアス」
しばらく、泣き続けるミトスをジーニアスはずっと抱きしめていた。眠っている筈の姉や女性陣は起きてこず、なんだか自分達が隔離された世界にいるような錯覚を覚えた。
しばらくして、泣き止んだミトスへジーニアスは声をかける。幸せな過去が辛いなら、今を幸せに…そうジーニアスは思った。昔、自分が孤独だった頃はそんな事、思い付きもしなかった。だけど、自分には大切な友人達がいてくれた。
だから、自分は笑えている。自分も、ミトスのそんな存在になりたかった。

ミトスは、少し呆気に取られたような顔をしてから、微笑んだ。辛そうな笑みだったけど、ジーニアスはミトスの手を取って笑いかける。
それを見たミトスは、つられるようにようやく笑った。


「明日、どこかへ出掛けようよミトス!きっと楽しいよ」

「うん、楽しみ。おやすみジーニアス」

「おやすみミトス」
泣き止んだミトスとベッドへと戻ったジーニアスは、寝転ぶ前に明日の予定を提案する。それは悲しい記憶を少しだけ隠せるかもしれない小さな欠片。
ジーニアスなりの精一杯の提案に、ミトスは小さく笑って背を向けて寝転んだ。しばらくして聞こえて来た寝息にジーニアスは安堵の息をつくと眠りへと落ちていった。何故だか、急速に意識が遠退いた瞬間、誰かに髪を撫でられたような気がした。


その夜、ミトスはジーニアスの前から姿を消した。ユアンを一撃で吹き飛ばし、アルテスタとタバサを傷付けたミトスはお前なんて信じていなかったと言い放ち、闇夜へと消えていった。
虹色に輝く翼をはためかせて闇に融けていくミトスは、やっぱり泣いているようにジーニアスには見えた。伸ばした指先は、もう彼の世界に触れる事は出来なかった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ