懐石 花見月

□8.香物
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月曜日、私はいつものように食材を買って轟家に帰ろうとしていた。最後の曲がり角を曲がってたらお家の前に佇んでいる人影を見つけた。
私はその人物が誰なのか分かった時、一瞬息が止まりそうになった。


「どうも、こんにちは。」


あの時の女の人だ。









8.香物




立ち竦む私に対して、その女の人は悠々とお辞儀をしてみせた。眩しい夕日が強く差して有名な女子学校の校章の刺繍がきらきら光る。


「……」
「この間は失礼な物言いをしてしまってごめんなさい、志摩嶋さん」
「、は」
「私のこと、覚えていますか。」
「……は、はい」
「……こわいですか。私はあなたのことをよく覚えています。それによく知っています。…たくさん調べましたから」
「な、んで、そんな」
「何でもないなんて嘘でしたね、一緒に住んでるじゃないですか」

女の人は徐々に悲しそうな表情になって、「うそつき」と呟く声も湿っぽくあの時と同じ大きな瞳がうるんでいた。
彼女はきれいな仕草でバッグからハンカチを取り出して目を押さえた。私は聞きたいことが沢山あって、でも恐ろしくて口を開くことができなかった。
どうしてここにいるのか、なぜ私の名前を、ここを知っているのか、誰を待っていたのか、何がしたいのか。
彼女はずび、と鼻をすすって私を見る。

「私はショートが好きなんです。大好きです。彼のこともたくさん調べたから家族構成くらい知ってます。彼にはお父さんお母さん、お兄さんが2人とお姉さんが1人しかいません。でもショートはあなたのことを家族だと言いました。最初はただ友達か何かを庇ったんだと思いました。でも違った…ごまかすっていうことは、何かあるんですよね?」

彼女は手をぎゅうっと握り合わせて切実な顔で私に訴えた。私はその全身から醸し出される強烈なエネルギーのようなものに気圧される。

「もう一度お聞きしますがあなたはショートの何ですか?何でもないというなら、隣にいるのが『何でもない』あなたなのはどうしてですか?」
「あの、私は本当に何でもないんです。隣にいるとかじゃなくて、色々あって拾ってもらって居候をさせてもらっているだけです」
「…あなたはたまたま運がよかったから同じ家で暮らせるってだけですよね。好きでも何でもないなら、お願いですから早く出て行ってください。かわいそうなふりをして美味しいところだけなんて、ズルいわ」

感情的になっていく彼女の紡いだ言葉の意味を理解するのに数秒かかった。頭に入ってきた途端に体の血が沸騰したように熱くなって、ああ私は怒っているんだなと思った。

「ちょっと待ってください。何が言いたいかよくわかりません。それに運がよかったって何ですか?もしかしてですけど、うちの家がつぶれたことを言ってるんですか?」
「…だって、あなたはそれがあったから一緒にいられるんじゃないですか。」
「…謝ってください。それだけは許せません。」

彼女は眉根を寄せて黙りこくった。私はもう一度謝ってほしいことを伝えたが状況は変わらない。
心がとてもざわざわする。自分勝手で視界の狭い彼女の考え方にイライラして、そして同時にこの人の悲しい執着心を哀れに思った。
彼女は仮に私の存在を排除したとしても焦凍くんの何者にもなれないのに、と意地悪なことを思いとても頭が痛くなった。

「じゃあ逆にお聞きしますけどあなたは"ショート"の何なんですか?どうしてあなたに出て行けと言われなければいけないの?」

彼女の小さな体のどこにそんな力があったのか、目の前に星が飛ぶほど強くビンタされた。そして彼女は踵を返してスタスタと行ってしまった。もう日は沈んで薄暗くなった路地にローファーの音だけが響く。
わたしはじんじんする左頬をさすりながらやってしまったと思った。意地悪をしたことも、彼女を刺激したことも後悔することになるとは知らずに、ずんと重い心を引きずってがっかりしなから門扉をくぐった。








「頬どうした?」
「どうって…何でもないよ」
「何でもなくないだろ、真っ赤だぞ」

焦凍君は帰ってきてすぐに私のビンタされた跡に気付いて冷蔵庫から保冷剤を持ってきてくれて、でも理由を話す気にはなれなかった。まるで告げ口をするみたいで嫌だったからだ。
のろのろと受け取って頰に当てて、ずっと彼女のことを反芻していた。いつもより反応の薄い私を気分でも悪いのかと心配してくれた焦凍くんは優しくて、そりゃあ心酔する女の子もたくさんいるよなあと思いながら見つめた。私も含めて。


私は焦凍くんが好きだ。
もう多分前から分かっていた。こんなに優しくていつだって一生懸命困っている人を助けようとする彼を好きにならない人がいるんだろうか?でもその気持ちを認めてしまったら、さっき彼女が言ったように私はすごくズルいことをしているんじゃないかと思って、そして焦凍くんにすごく失礼なんじゃないかと思って目を逸らしていた。自分勝手なのは私の方だったのだ。




「焦凍くん、私そろそろこのお家を出ようと思うよ」


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