懐石 花見月

□7.御飯
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7.御飯




結局ほとんど眠ることが出来ずに朝を迎えた。
私は同じことを繰り返し考えすぎて頭がおかしくなりそうだった。
目を閉じるとあの女の人の顔が浮かんでは消えた。人は恋をするとあんなにも切羽詰まってしまうんだろうか。あんなにサラサラの髪、大きな瞳、小さな手足、鈴のような声をもってしても焦凍くんは「ヒーロー」であの子は「ファン」のままだった。誰も悪くないのに、それはとても冷たい、理不尽なことのように思えた。

焦凍くんは彼女の質問に家族だと答えた。本当のところはどう思っているのか分からなかったけれど、それについて考えるのはなんだか怖くなってしまってすぐにやめた。
私は「家族」だから、お世話もするし話もする。ただそれだけだ。大丈夫、あの後も焦凍くんはいつもと変わらなかったし私が挙動不審だったことにも気付いてない。私がちゃんとしていればきっと大丈夫。
いつかはここを出ていく。そうしたら私もあの子と同じように外側の人間になるんだろうか。


重だるい瞼をゴシゴシ擦って、しんとうめっきゃくとつぶやいて布団から出た。とにかく朝食を作らねば。


轟家の朝食は硬めに炊いた白ごはんと具が多めの味噌汁が定番ということなので私はそれに倣っていた。たまにお新香をつけたりおひたしをつけたりしたがそのベースは崩さないようにしている。今日は豚肉とこんにゃく、にんじんと里芋と油揚げをたっぷり入れて豚汁にした。味噌を冷蔵庫に戻すときに卵が余っているのに気付いたのでだし巻き卵も作って出したら全員に好評で、私は父にせがんでコツを習っておいて良かったなあと思った。

「お母さんによろしくね」

食べ終わった冬美さんが言う。冬美さんは用事があって一緒に行けないと聞いている。私ははい、と小さく短く返事をした。





「志摩嶋、準備終わったか?」
「ひゃい」

裏返った声で返事をしたら大丈夫かと心配された。私はお母さんに会うことと、焦凍くんとこれから2人で出掛けることの2つの理由で緊張している。こんなんじゃいけない、いつも通りにしないとと自分のほっぺたを軽く叩いた。

「しょ、焦凍くんはもう出られる?」
「ああ。電車出るまであと10分しかねぇぞ。」
「うん。この格好失礼じゃないかなあ」
「大丈夫だ、よく似合ってる」

私はばっと音がしそうな勢いで焦凍くんを見てしまった。いつも通りにしたいのに、意識すればするほど焦凍くんの言葉に別の意味を見出してしまう。似合ってる、そう、私に似合う服ってだけだ。

「あ、ありがとう…」

にへら、と格好悪く笑ったら焦凍くんも微笑んだ。本当に参ったなあ。

もう蝉が鳴き始めていて太陽はじわじわと肌を焼く。ロングのワンピースで来たのは間違いだったかもしれないと思った。熱がこもって蒸し焼きになってしまいそうだ。
横を歩きながらバレないように横目で焦凍くんを見る。長いまつ毛が目元に強い影を落としていて、その綺麗なカーブに見とれた。照り返すアスファルトもさざめく緑も全てが息づいて見える。



病院に着くころにはもう汗だくだった。急な夏日に体がついていけなくてひいひい言いながらロビーに足を踏み入れた。
焦凍くんが受付をしていざ病室へ、と思ったら今度は緊張して心臓がバクバクして足が止まる。落ち着け私。

「おい、本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫、うん。大丈夫」
「…ちょっと待ってろ」

そう言って焦凍くんは私をベンチに座らせてから売店で水を買ってきてくれた。熱中症かもしれないからと塩飴とポカリと濡らしたタオルまでくれて対応が完璧だった。私はそのヒーローっぽさに素直に感心して、そんなにひどくないよと言って受け取ったタオルで顔を押さえた。ひんやりして気持ちがいい。火照った頬の熱をぐんぐん吸い取ってくれる。

「ありがとう。迷惑かけてごめんね。」
「迷惑じゃねえから謝らなくていい。とりあえず無理すんな。」
「…うん、ありがとう。焦凍くんはやさしいね」

べつに、と焦凍くんは目線を外して呟くように言った。5分もしたらぼんやりしていた頭が少しずつはっきりしてきて、体もうまく動くようになったので気を取り直して病室に向かう。
扉の前について大きく深呼吸をした。


「し、失礼します…!」
「あら」
「初めまして、志摩嶋透子と申します!本日はお招きいただきありがとうございます。あの、諸事情ありまして今おうちの方でまかないのようなことをさせていただいてまして…!」
「ふふ、焦凍から話は聞いてます」

くすくす笑う声に深く下げていた頭を上げた。

「初めまして、焦凍の母です。一度会ってみたかったの。透子ちゃん、今日は来てくれてありがとう」
「…いえ、こちらこそお会いできて嬉しいです」

ああ焦凍くんのお母さんだと思った。輪郭のカーブの仕方や笑ったときの目尻の形…私は初めて会うのにとても見慣れているような気がする。…そうだ、冬美さんにも本当によく似ている。
改めて轟家は美形揃いなんだなとしみじみ思う。またあの女の子が頭をよぎって必死でかき消した。

「焦凍がね、透子ちゃんのことたくさんおは」
「お母さん、これ着替えとハンカチ入ってるから」

焦凍くんが遮るように言って、なのにお母さんはおかしそうに笑っていて私はどんな顔をしたらいいか分からず、そしてもう一回聞き直していいものか悩んで結局黙っていた。とにかく歓迎してもらっているようで一安心して、私は買ってきたご挨拶の品を手渡した。

「暑いのが苦手だと伺いました。良かったら使ってください」
「ありがとう、とっても素敵な帽子!」

お母さんは大きなつばのキャペリンハットを少女のように可愛らしい仕草で被ってみせた。今回のプレゼントはまかない仕事代としておじさんからいただいていたお金を使わせてもらった。白い髪にパステルカラーがよく似合っていて私は嬉しくなった。

「あの角の青錦の娘さんなのね。私は家を離れていたから…焦凍たちが時々行ってたって聞いてます。」
「うん、姉さんが毎日飯作ってたから大変だろうって夏兄が連れ出してくれてた」
「週末のお昼にいらっしゃることが多かったですね。でも今回ヴィランの襲撃でお店がめちゃくちゃになってしまって、困っていたところを拾ってもらったような感じです。」
「そうね、本当にご愁傷様です。大変だと思うけどきっとまた立て直せるわ。」
「ありがとうございます!あ、ヴィランから逃げてる時に焦凍くんに助けてもらったんです。言葉通りのヒーローだったんですよ。こーんなに大きい氷で守ってくれて」
すごいかっこよくてとうっかり言いかけて自分で赤面してしまった。お母さんは頷きながらにこにこしている。こんな顔で焦凍くんのことは見れなかった。し、心頭滅却!

「透子ちゃんもお店に出てたんですってね。お料理上手なのね。」
「いやあ全然まだまだです!でもいつか自分のお店を出したいんです。なので轟さんちで色んな料理にチャレンジさせてもらえてありがたいです」
「…前向きなんだね、焦凍から聞いてた通り」

これからもよろしくお願いしますと頭を下げられて、私も慌てて深くお辞儀をした。



病院を出たら行きよりも暑くて、涼しくなったらお母さんとお散歩してみたいと思った。まだ青々しい銀杏並木を焦凍くんとゆっくり歩きながらずっとこんな風に暮らしていけたらいいのにと願って、同時にそうはいかないこともよく知っていた。


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