懐石 花見月

□6.酢物
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6.酢物





土曜日。明日は轟家のお母さんと初めて会う日ということで、ご挨拶兼お見舞いの品を買いにショッピングモールに来ている。のだけど…


「体育祭見ました…!あの、ファンです!」
「これ、スマホケースにサインください!」


私はあわあわしながら人だかりに翻弄されている。流石の焦凍くんも少し戸惑ってはいたけれど未来のヒーローとしてきちんと対応していて、背筋がしゃんと伸びていてなんだか格好良かった。私がはぐれないように焦凍くんのシャツを少しだけ掴んだら、ぎゅっと手首を掴まれて不覚にもどきっとしてしまった。
じわ、と触れているところから熱が伝播して顔が赤くなってしまうのが恥ずかしい。ちがう、全然そういうんじゃないんだけど、これは。
斜め後ろからちら、と焦凍くんを見上げたらなんてことなさそうな顔をして男の子の鞄にサインをしていた。

人がはけた頃、少し離れたところからじっと私を見る女の人と目が合った。ツカツカと近づいてきたと思ったら

「あなた、ショートの何?」

女の人は泣きそうな顔をしていた。天使の輪、揺れる髪、華奢な肩と足首…引き結んだ唇は綺麗なベビーピンクで、大きな目からは今にも涙がこぼれそうだった。
ショートノナニ?私はポカンとした顔で、確かに一体何だろうと真面目に考えた。友人…ではない、家族でもない、知人とも違う気がする、ひと月前まではほぼ他人だった。

「ええ…と」
「…何?まさか彼女?」
「ち、ちがいます!あの、私は何でもなくて、まかない、あ、そう使用人みたいなもので」
「…家族です」

焦凍くんが答えた。ぎょっとして焦凍くんを見たけど、焦凍くんはこっちを見なくてよくわからない表情をしていた。
女の人はついにぽろっと涙をこぼして「お兄さんとお姉さんしかいないはずじゃない」と独り言のような小さな声で呟いた。そのあまりの悲痛さに私は言葉が出てこなかった。踵を返して去ってしまった女の人の背中を、私は相変わらず間抜けな顔をして見つめていた。

「巻き込んで悪かった」
「いや…全然……」
「大丈夫か」
「……庇ってくれてありがとう。すごい。焦凍くんあんなに熱烈なファンがいるんだね。私、ただの居候なのにあの人に悪いことしちゃったなあ。」
「ああ、俺も驚いた。色々嫌な思いさせて悪ぃ。その…勝手に手ェ掴んだりして」
「ん!?ううん、大丈夫大丈夫!」

それからは無理に元気に振る舞った。普通のテンションでいたら照れてしまって、さらに恥ずかしいことになってしまいそうだった。
焦凍くんが掴んでくれていた手首は離されていて、なのにそこだけずっとぽかぽかしているような気がした。




轟家に帰って、夜は簡単にカレーと洋風スープにさせてもらった。ご挨拶の品は無事に買うことが出来たけれど、どれにするか悩んでいる間にも焦凍くんは老若男女問わず声をかけられていて、こんなちんちくりんが横にいてすいませんと言う気持ちになっていたたまれなかった。

お風呂に浸かっている時も、お布団に潜り込んでも、触れられた手首を思い出しては赤面するというのを繰り返した。ざらっと渇いて温かい手の感触がなかなか忘れられなかった。むしろ時間が経つごとに鮮明に蘇って、同時に焦凍くんの平然とした横顔を思い出してはちくちくと胸が痛んだ。

「わたし、きもちわるいなぁ」

今までどんなふうに接していたか、うんうん唸りながら考えていた。明日も焦凍くんと2人でお母さんのところへお出かけするのに、どんな顔をすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。




"あなた、ショートの何?"




ちがう。これはそういうのじゃない。


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