懐石 花見月

□3.煮物椀
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3.煮物椀





あれから1週間が経った。
とにかく忙しく、生活に必要なものを片っ端から買い直し、轟家の物の場所や在庫管理の仕方、そのほか諸々のルールは冬美さんに聞いて頭に叩き込んだ。その間学校には欠かさず通ったが、クラスメイトの話題はヴィラン襲撃の件で持ち切りな上に休みの先生が多くいた。そのため自習の時間が何時間もあったので正直全く身が入らず、休んでしまっても良かったのかもしれないと今更思っていた。私の家、潰れちゃってるわけだし。
制服は燃えてしまってまだ用意できていないので特別に許可してもらって今は私服で通学している。学校ではちらほらと同じような子を見かけた。怪我をしている子もいた。あの子もその子もとても暗い顔をしていて、家を無くしたんだなとすぐにわかって胸が痛む。

私は運が良かっただけだ。焦凍くんに命を救われたことも、轟さんと冬美さんの優しさのおかげで温かいご飯を食べ、ゆっくりお風呂に浸かり柔らかな布団で眠り清潔な衣服を身につけることができることも。


「透子、もう帰るの?」
「あ、弓月。うん、」

仕事があるから、といいかけてやめた。私が轟家に居候していることは先生達しか知らない。ただでさえ落ち着かない校内が更に騒がしくなっては困ってしまうし、根も葉もないことを言われる可能性もあるからと先生は私にやんわりと口止めした。私も特に言いふらす理由もなかったのではぁいと返事をして終わったのを思い出す。
元気出してね、お店もきっと直せる、私に出来ることがあったら何でも言ってねと私の手を取る弓月。弓月は幼稚園からの幼馴染で、純度100%の善意の塊のような女の子だ。私は彼女の持つまっすぐな優しさをとても尊敬している。

「大丈夫。透子はすごい人だから、どこでだってやり直せるしどこへだって行けるよ」

そう言って励ましてくれる彼女に、私は嬉しくてはにかみながらありがとうと伝えた。



私の通う高校から歩いて15分の距離に轟家はある。自宅からだと30分近くかかっていたので半分の時間で済むのは単純に嬉しかった。
大きな門にちょこんと付いているインターホンを鳴らすと、しばらくして冬美さんがスーツのまま出てきて鍵を開けてくれた。

「ごめんごめん。今帰ってきたところでバタバタしてて。寒かったでしょう。」
「すみません、お邪魔します!」

ただいまでいいよ、と冬美さんが笑う。私はくすぐったくて「ただいま、です」と小さい声で言うと冬美さんはもっと笑った。
私も着替えてくるねと言って冬美さんが自室に入る。私は薄暗い廊下を進んで、借りているお部屋に荷物を置く。室内着に着替えて、エプロンを取り出した。逃げ出した日も付けていたのでこれは手元に残っていた。
エプロンの腰紐を縛っていたらスマホが鳴った。父からの電話だった。
父と母は隣町で短期の仕事が決まったそうで、本格的に自宅兼お店の復旧の日程を考え始めていると聞いた。ただ街の復旧との兼ね合いもありすぐには難しいようで父はやんややんや言っていたが、母は父の健康診断が再検査になっていることを憂いていたので少しはゆっくりしなと嗜める。電話口でも2人の元気そうな様子が伝わってきたので私は安心して、母は「粗相の無いように、でも楽しく過ごしてね」と言って電話を切った。


「焦凍はもうすぐ帰ってくると思うけど、お父さんは20時くらいになるそうだから冷めても美味しいものにしたいな」
「それじゃあ鯖の照り焼きとか南蛮漬けとかどうですかね?あったかくても冷たくても美味しいし。副菜は…茄子が余ってるので挽き肉と豆腐と合わせて出汁でとろとろに煮てみましょうか」
「うんうん、それ採用!うちのまかないさんは優秀だねえ」
冬美さんはニコニコしていて私も釣られて上機嫌になる。じゃあ私は汁物を作ろうかなと言って野菜室を覗く冬美さんのエプロンの独特な結び目を見た。
私はまるで妹のように接してくれる冬美さんをあっという間に好きになり、広い台所で、2人でご飯を作るのを楽しみにしている自分がいた。
そして突然転がり込んできた私を快く受け入れてくれた轟家を愛した。

あと一品で完成というところで玄関の方からただいま、と焦凍くんの声が聞こえた。

「あ、焦凍帰ってきた!」

手伝ってもらっちゃおうか、と言って冬美さんはとても美しい笑顔を浮かべた。


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