□奈落の底で待ち受ける
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「お前これ持っとけ」

そう言って手渡されたのは一丁の拳銃だった。
渡された意味が分からなくて首を傾げて尋ねたらため息を吐き出されたので、少し目を伏せた。

「武器何一つ持ってないだろ。いざって時のためにだ。足手纏いになって杉元たちに迷惑かけたくねぇだろ、李麻」

はぁ確かに足手纏いにはなりたくないけど、出来ればこんなもの使いたくないなあって受け取ったのは、尾形さんが一緒に行動する様になってからすぐのことだった。



そんな事を頭の片隅で思い出していた。
太い腕で締まる喉が、必死に酸素を吸い込もうとしていた。
苦しい、痛い、怖い、助けて。なんで、なんで。
囚人でもなければ金塊争奪戦に加わっているわけでもないただの輩に捕まってしまっているのだろう。足手纏いだ。私のせいで、時間を無駄にしてる。

「それ以上近付くなよこの女が大事ならなあ!」

私のせいで誰も動けない。
ああ、足手纏い。ずっとこうならない様に立ち回ってきたのに。所詮私は一般人で、ただの女なのだ。最初からこんな戦いの場に自ら向かうべきではないと分かっていたのに。
どうしても二人に付いて行きたかった。付いて行った先に、何か自分が求めるモノがある気がして。
今となって不思議に思う。どうして二人はこんな私が一緒に行動することを許してくれたんだろう。戦えない。猟も出来ない。
私はあまりにも、無力だった。
そういえば、いつの日か杉元さんが言ってくれたっけ。無力でもいいって。私とアシリパさんが手を汚さなくて済むならそれでいいって。あの時の言葉には酷く救われた。戦いの場に乗りでた以上、いつか自分も人を殺さないといけないと思ったから。
李麻ちゃんは、殺さなくていいよ、って、はっきり言葉にしてくれたのが、嬉しかった。
でも、でも。

「っ、はっ……、」

息が苦しい。全身の力が抜けて痺れてきた。このまま足手纏いなのは嫌だな。いっそのこと殺してほしい。
そんな時、尾形さんの黒い黒い目と視線があった。

「あ……」

『お前これ持っとけ』

不意に存在感を出しはじめた腰に隠した拳銃が、まるで意思を持っているかの様に私にその冷たさを主張する。
ただでさえ苦しいのに、現状を打開する道がこの一つしかないことに気付いてしまって、私の息は更に短いもの吐き出していた。
男の太い腕に最後の抵抗と言わんばかりにかけられていた腕が力を失くして重力に従った。

「あ、死んだか?」

その言葉に杉元さんが怒る気配を察した。
杉元さんは、優しいな。
でもね、足手纏いのまま終わりたくない。
私は気付かれない様にゆっくりと腰に手を伸ばした。
なんだかよく分からないことを叫び散らしている男は、私が死んだと思っているらしい。

「……ごめんなさい、杉元さん」

その言葉が杉元さんに届いたかは分からない。
拳銃なんて扱ったことないから、渡された時に尾形さんに軽く指導を受けただけだから、どうなるか分からないけど。
杉元さんの優しさを無駄にして、ごめんなさい。

パァンッ

「つぅっ……!!」

やっぱり拳銃とはいえど、つい最近まで呑気に暮らしていた私に簡単に扱えるわけもなく、撃った反動で右肩に激痛が走った。
赤い何かが視界の端を染める。
激痛で崩れ落ちる瞬間に見たみんなは、目を丸くして青ざめていた。
ただ、尾形さんだけは、心底嬉しそうに笑っていた。
肩の激痛で飛びそうになる意識の中、みんなの声が鼓膜を揺らした。

「大丈夫か!?」
「え、え!?なんで李麻ちゃん拳銃なんて持ってんの?!」
「チッ……、死んでる……!クソッ……!!」

アシリパさんと尾形さんの手によって仰向けにされながら、杉元さんの声に、ああ、私、殺しちゃったんだ、なんてまるで他人事の様に思ってた。
あんなに手を汚すことが怖かったのに。人の命を奪う感覚なんて知りたくなかったのに。杉元さんの優しさに甘えられる現状に浸かっていたかったのに。
人を殺しても、存外、なんとも思わないんだなぁ。

「李麻……」

意識が飛ぶ寸前、尾形さんに名前を呼ばれた。

「いい子だ……」

そう言った尾形さんは、やっぱり笑っていた。

***

李麻に拳銃を渡したのは、本当に護身用のつもりだった。その裏少しぐらいはあいつのことも汚したいと思っていたことは確かだが、もとより戦えない女にそんなことを求めたってしょうがない。
だから。
だから、李麻が拳銃に手を伸ばした時は不覚にも胸が高鳴った。
その拳銃の銃口が李麻を人質に取っていた男の頸動脈付近に向けられた時は昂った。
銃口から発せられた弾が綺麗に男の頸動脈を撃ち抜いた時は笑みが溢れるのを止められなかった。

「ははっ……」

李麻の細い腕がその衝撃に耐えられるわけもなく、顔を歪める様子からおそらく右肩を脱臼でもしたのだろう。英里香が崩れ落ちると全員が我に帰ったかの様に行動に出た。
真っ先に杉元が男の息を確認しに行ったのがまた面白かった。
うつ伏せに倒れた李麻を仰向けにしようと頑張っているアシリパにゆっくりと近付いて仰向けにさせてやると、李麻は虚な目で俺を見た。
そこに罪悪感の色がない様に見えて、俺はまた笑ってしまった。

「李麻……、いい子だ……」

アシリパにも聴こえないような小さな声で、李麻にポツリと言葉を落とした。



戦いの場に居て、清いままのやつが居ていいはずがない。
いつの日か尾形さんはそんなことを私に呟いた。
いつもの皮肉かなって思った。私はまだ殺してない。アシリパさんも殺してない。
私は戦えないし、暗に渡した拳銃を使わないのなら邪魔だから消えろとでも言われてるのかと思った。

「……ごめんなさい」
「なぜ謝る」

いの一番に出た言葉が謝罪で、なぜか尾形さんもこの時ばかりは少し驚いていた。
尾形さん曰く、それは戦える人に向けた言葉であって戦えない私は論外らしい。
それでもつらつらと話を零していく尾形さんは、ずっと、何か見えないものを見ている様だった。

「人を殺して罪悪感があるやつなんていない。罪悪感を恐れて手を汚さない奴が、俺は大嫌いだ」

そう言った尾形さんは、あの時、どこを見てたのかな。

「っ……」

薄い意識の中で、杉元さんの声を捉えた。

「……李麻ちゃんに拳銃持たせたの、お前だろ尾形」
「だったらどうした」
「なんで渡した!?」
「逆だな。なんで持たせていなかった。アシリパでさえ武器を持っているのに、いくら戦いの心得がないとはいえ丸腰のまま連れていた事の方が俺はおかしいと思うがな」

確かに、よくここまで何事もなく生きてこれたな。いつ死んでもおかしくない旅だったのに。
ずっと、杉元さんが守ってくれてたからかな。

「俺が守るって約束した!だから持たせてなかったんだ!」
「ははっ、守れてねえじゃねぇか。俺が拳銃渡してなかったら、今頃ここに李麻はいなかったかもな」
「っ、テメェ……!」
「ちょ、ちょっとちょっと!二人とも落ち着けって!尾形は無駄に煽るようなことを言うな!杉元も!いくら渡されてたとはいえあの場面で使ったのは李麻ちゃんの意思だろ!?」

……そう、そうだ。私の意思で拳銃を使った。私の足手纏いのまま終わりたくないという道理であの人を撃った。
だから、杉元さんが怒る必要はないのに。

「そういう問題じゃねぇんだよ……!約束したのに……、クソッ!」

約束……、約束。何か、したっけ。
なんとなく、覚えているような覚えていないような。
なんでもやりますと言った私に杉元さんは俺が守るよって言ってくれた。だから手を汚す様なことはしないでって。李麻ちゃんは、殺さなくていいよって。
他に何か、言ってたっけ。

「約束というのは、あれか……?」

私の近くでアシリパさんが静かに呟いた。

「守る。手を汚すな。人を殺すな。……もし武器を手にすることがあっても、絶対に使うな、か……?」
「……うん」

そんなこと、言ってたっけ。
どれだけあの日のことを思い出しても、思い出せない。

「そんな綺麗事を約束してたとは、お前も甘いな」
「あぁっ?!」
「この泥沼の金塊争奪戦で、そんな約束が最後まで果たされると思ってたのか?だとしたらそうとうおめでたい頭をしているな」

だんだん覚醒していく意識の中で、今にも尾形さんに殴りかかりそうな杉元さんの気配を感じた。

「んっ……」
「! 李麻!大丈夫か!?」
「李麻ちゃん……!」

身動ぐと敏感にアシリパさんが感じ取ってくれて、目を開けたらアシリパさんと杉元さんと白石さんが私の顔を覗き込んでいた。

「右肩はどうだ?違和感があったら言えよ?脱臼してたのを白石が無理矢理はめたからな」
「俺は医者に見せようって言ったんだぜ……?」
「これ俺が悪い流れ!」

三人の言葉が、なんとなく流れていく。
手伝ってもらって上体を起こすと、なんだか身体がふわふわした。

「…………杉元さん」
「ん?なに?李麻ちゃん」

さっきまで尾形さんに向けていた怒気はどこかへと消えていて、いつもの杉元さんが私と視線を合わせた。

「私、もう、大丈夫だから、ごめんなさい」
「!」

人を殺してしまったことより、杉元さんとの約束を忘れてその約束を破ってしまったことの方がよほど罪悪感が強かった。
茫然とする杉元さん越しに、少し離れた場所に座る尾形さんを見たら、

やっぱり、笑ってた。

***

「私、もう、大丈夫だから、ごめんなさい」

杉元に対してそう言った李麻の目にはやはり人を殺したことに対する罪悪感の色なんて無くて笑いが止まらない。
俺のおかげで李麻は汚れた。俺が汚した。
とんでもない優越感と満足感。こんなに満たされたのは初めてな気さえした。もしかしたら初めてかもしれない。
杉元の背中越しに李麻を見れば、視線が絡まる。
いい、それでいいんだ。戦場に立つ者としての李麻は手に入れた。あとは女としての李麻を手に入れるだけだ。
杉元の絶望など知ったことか。帰還兵の癖に馬鹿げた夢を見ている方がおかしいのだ。
清いままのやつがいていいはずがないのだから。

「はっ、ははっ……」

声が漏れないように手をあてがう。
ああ、李麻、ようやく、ようやくだ。

「俺たちと同じところまで落ちてきたなぁ」




2020.1/23

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