がらくた置き場

□牧君と不思議ちゃん
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気になる人





*****



先程の事を思い出し、熱くなる胸を誤魔化す様に、牧はゴールにシュートを決めた。
チームメイトは牧とハイタッチを交わし、ゲームに勝利したコートからゆっくりと退場した。


海南大バスケ部の練習は尋常でなくキツい。
三年目に入り主将として慣れてきたものの、牧もやはり人間。滴る汗を拭い、水分を補給する体は程好い疲労感に揺蕩っていた。


「おい牧。お前のクラス、"外人"がいるだろ?女子がスゲー騒いでたぜ。」


汗だくの体をタオルで拭いながら、同級生の武藤が牧の隣に腰を下ろした。
牧は崩れかけた前髪を整え、横目で武藤を見た。


「彼女は日本人だぞ。日本語ペラペラだし。」
「そうなのか?遠くから見たけど全然そんな風に見えないな。」
「本人はハーフって言ってるから、そうなんだろ。」


へえ、と納得したように頷く武藤は、ペットボトルを飲み干し大きく息を吐いた。
その横で、牧も一つ息を吐いた。



牧君も、とても綺麗よ。



微かに微笑んだ彼女の顔を思い出し、牧は目を閉じた。
あの柔らかな声と微笑みが、牧の脳裏に焼き付き、離れない。
去り際のチークキスで触れた、頬の感触と熱が、まだ牧の頬で燻っていたのだ。


振り払う様に、牧は再びコートへと入っていった。
ただ、がむしゃらにボールをゴールに叩き込んだ。



*****



「今日越してきた××です。よろしくお願いします。」


両親と、隣近所へ挨拶回りをしていた○○○は、牧と掲げられた表札にクラスメイトを思い出した。
長身で褐色の肌の彼は、実に誠実な印象を受けた。
態々、帰り際に非礼を詫びてきたのだから、彼女がそう感じたのも無理はない。


そして、彼女の目を美しいと褒めたのだ。過去に、同じ様に言われた事もあったと、○○○はぼんやりと思いを馳せた。


「あの、もしかして、演奏家の…?私も主人もファンなんです。すごい奇跡だわ。」


玄関口で握手を交わす女性は、○○○を見て再び口を開いた。


「お嬢さんは確か…高校生ですよね。うちにも三年生になる息子がいるの。その制服は…あら、うちの子と同じ学校だわ!」
「○○○、良かったじゃないか。」
「え…うん。」


あれから二言三言交わし、牧家を後にした一家は、自宅へ戻りリビングで寛いだ。
母の手製のクッキーと紅茶を味わいながら、寄り添う両親を○○○は向かいのソファーから見つめた。


寒冷地出身の父親は、一人娘の母と結婚する為に、帰化し母の家を継いだ。
母も、日本と欧米の祖父母から産まれ、仲睦まじい両親を見て育った。
だからなのか、愛する夫との距離感は、例え娘が目の前にいても関係無しに近かった。


クッキーを囓りながら、両親の様に、永遠の愛を誓う相手と並んで座る日が来るのだろうかと、○○○はぼんやりと思った。


どんな相手なら、自分を受け止めてくれるのだろうか。


○○○は、姿の見えない相手を思い、暖かい紅茶を飲み干した。



*****



翌日、朝練を終え教室へ向かうバスケ部と遭遇した○○○は、牧に挨拶した。


「おはよう牧君。」
「ああ…おはよう。××。」


噂の彼女を、部員達は物珍しそうに覗き込んだ。


「牧君のお友達は、大きい人が多いのね。」
「お友達か。面白いな!」


○○○の言葉に反応した武藤はケラケラ笑いながら、牧の肩を叩いた。
また教室で、と階段を昇って行った○○○の後ろ姿を見送り、牧たちも階段を昇り始めた。


「綺麗な方ですね。」


牧の少し後ろから、神が呟いた。
彼は、ぱっちりとした黒目と目が合った。
それに、ああ、とその場にいた全員が同意の言葉を吐いた。



*****



自己紹介の時間に、生徒達は三年間で見知った顔が多いだけに、手短に自己紹介をして終わっていた。


あっという間に回ってきてしまった順番に、○○○は席を離れて教壇の前に立った。


「××○○○です。両親の仕事で、海外に…。春に帰国したばかりなので、知らない事ばかりです。よろしくお願いします。」
「帰国子女だって!すごーい!」
「あと、まだ慣れなくて…ゆっくり話してもらえると助かります。」


ぱちりと瞬きすると、○○○は自分の席へ戻った。
よろしくと掛けられる声に相槌を打ちながら、窓の外へ視線を投げた。


外は雲一つ無い快晴が広がっていた。



*****



翌日の健康診断で体育館を使用する為、休みとなった部活に、ならばと牧はサーフボード片手に海岸へ出た。
部活が休みの日は、こうして海へ出ることが、牧の楽しみの一つだ。
ウエットスーツに身を包み、まだ冷たい海水に身を入れると波を捕まえに、沖へ出ていった。


平日の昼間で人気も疎らな海で、サーフィンを楽しんでいた牧は何処からか流れてくる音に耳を傾けた。


日本を代表するアニメーション映画の音楽が、風に乗って牧の耳に止まった。
それだけならば、別段気に止める事も無いが、哀愁を含んだ様な独特の音が奏でるそれは、牧の動きを止めた。


陸に上がった牧は、濡れた髪をタオルで拭きながら歩道に視線をさ迷わせた。
そして、木陰のベンチに腰掛ける人物がその音の主だと気付いた。
目を凝らし、見つめた牧は、その見覚えのある人物に息を飲んだ。



*****



薄手のニットに、タイトスカート、ショートブーツを合わせた○○○は、二ヶ月後に開催される演奏会の練習の為、海岸に足を運んだ。
住宅街から少し外れたそこは、彼女にとって丁度良い場所だった。
ケースから、二胡を取り出すと弓に松脂の乗せ、早速その調べを奏で始めた。


人に最も近い音を発する楽器に魅せられた幼少期から、一日も欠かさず稽古した○○○の弦を押さえる指は、他の指よりも硬い。
他の楽器や声楽の練習を怠らないが、やはり二胡への熱意と比べると段違いだった。


頭に記憶された楽譜を追いながら、彼女は円やかに発せられる音に目を閉じた。



*****



「××…。」
「…あれ、牧君がいる。」


いつの間にか目の前に立つ牧に、○○○は弓を止めた。
サーフボードを脇に抱え、肩からタオルを掛ける濡れた牧は、端から見ても色っぽい。
楽器が濡れない様に、ベンチの端にずれた○○○に一つ距離を置き、牧は隣へ座した。


「家、この近くなのか?」
「うん。すぐそこ。牧君も?」
「ああ。」
「ふうん。牧君サーフィンもするんだ。」


アクティブだね、と眉一つ動かさず○○○は再び弓を滑らせる。甘く響く弦の音に、牧は口を開いた。


「凄いな。」
「そう?私からすれば、牧君の方が凄いけど。」


手を止めず返事をする彼女の横顔を見ながら、牧は己の心が凪いでいくのを感じた。
と、突然弓引く手を止めた○○○は楽器をケースへ置き、牧へ顔を向けた。


「努力は…出来る環境と、心が無いと、続けられない。だから、牧君は…強い人なんだと思う。」
「なら、××も、強いんだろうな。」
「…そう、かな。昔よりも強くなれたから、日本へ帰って来られたんだと思う。」


言い聞かせる様に目を伏せた○○○は、次の瞬間花の様な笑みを牧に見せた。言葉を失った牧に、○○○は笑顔のまま、話を続けた。


「こんなに穏やかな気持ちになったの、久し振り。」
「…が、いいな。」
「?何?」
「××は笑った方がいいな。」


牧は微笑み、胸を満たす思いに視線を落とした。
○○○は僅かに目を見開くと、唇を噛んだ。


「私…もっと笑いたい。」
「…え?」
「でも、どうしても、出来なくて…。」
「…。」
「仲良くなった頃に、引っ越してばかりだったから、諦めてた。」
「そうだったのか…。」
「今でも交流のある人はいるけど、中々会えないし、ね。」


遠くを見つめる○○○の横顔に、牧は胸に込み上げた言葉を思わず口にした。


「少しずつ、笑えばいい。きっと、周りも待ってるよ。」
「牧君。…。」
「って何で泣くんだよ。」


ぽろりと落ちた涙に、牧は慌ててタオルを渡した。頬を伝う涙を拭いながら、○○○は笑った。


「ありがとう。牧君。」


そう言った○○○は、牧がいままで見てきたどの人よりも美しかった。



*****



並んで歩く二人は、他愛も無い会話に花を咲かせた。
牧のバスケの話や、○○○の異国での話。ネタに事欠かない二人だったが、○○○が足を止めたことで話は終わった。


「お家、ここなの。」
「何だ。すぐそば俺の家だぞ。」


二階建て、鉄筋造りの新築の家の玄関先で、牧は向かい側に並ぶ建家を指差した。


「…やっぱり牧君のお家だったんだ。」
「そう言えば母さんが言ってた様な…。」


重なった二人の声に、思わず吹き出すと、手を振って別れた。
牧が自宅へ向かおうと踵を返した時、○○○が牧を呼んだ。


振り返った牧に、駆け寄った○○○は、背伸びしてソッとチークキスをした。リップ音のおまけ付きで。


「牧君、また明日。」


いつもの無表情で、○○○は自宅へと入って行った。
牧は固まったまま暫く佇んで、体を駆け巡る熱に急いで自宅へと帰った。



*****



今日はとても色々な事があった。
互いの事を話し、涙し、笑い、満たされた各々の胸には、柔らかな笑みを携えた彼の人がいる。


「お休みなさい。」
「お休み。」


静かに目を閉じ、眠りに付いた二人は、胸を彩る感情にまだ気付かない。



*****



気になる人
おしまい

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