がらくた置き場

□魚住君の話
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魚住君の告白は男前だと思う



*****

朝の早い時間に、開店の準備をするのは一番年下の○○○の仕事だった。

調理場と客席、手洗い場に店先の掃除。それが終わったら、その日の出勤者のまな板と包丁の準備。
そして当日の予約とメニューを確認し、下拵えをする。
下拵えを始める頃には、板前達が出勤を終え、技術を教わりながら料理を覚えていく。
翌日の仕込みが終わる頃には夜の営業も終わり、兄弟子を見送り自分も帰る。
そんな忙しい日々を繰り返していた。

店で唯一の女性調理師である○○○を、兄弟子や魚住の父も可愛がっており、ゆっくりとしかし確実に技術を呑み込んでいく姿を見守っていた。


「「「お帰りなさい、若旦那。」」」
「…若旦那は辞めてください。」

夜の営業ももうすぐ終わり掛けた頃、魚住は帰宅した。
声を揃えて挨拶する板前達に恥ずかしそうにそそくさとその場を過ぎると、自室へ入った。
三年に進級する時に、父親の元で修行したいという旨を伝えてから皆口々に若旦那と呼び始め、あっという間に定着してしまったのだが、未だに慣れない呼び名に魚住は苦笑いしてしまう。

制服を着替えると、閉店作業の手伝いに店舗へと降りて行った。


*****


「○○○!」
「はい、大将!」
「今日の閉めは純にさせるから、お前は先に上がれ。」
「はい!それではお先に失礼します。」

魚住の父が最後の客が帰ったのを見届けると、○○○に声を掛けた。
兄弟子らも、たまには早く帰って休めと声を掛け、片付けの準備を始めた。

バックヤードに下がった○○○が帽子を外し、纏め上げた髪の毛をほどいた時、魚住が更衣室から出てきた。

「若旦那、お疲れ様です。閉め、宜しくお願いします。」
「○○○さん…お疲れ様です。」

2mを越える魚住を見上げて笑う○○○は、気だるげに下りた髪の毛で何時もと違う雰囲気を纏っていた。
5つ程度しか年の変わらない筈の○○○から溢れる色香に魚住はドキリと胸が波打った。

「部活でお疲れなんですから、あまりご無理なさいませんよう。」

○○○は魚住会釈すると、更衣室に姿を消した。

*****

定休日の今日、○○○はウィンドウショッピングを楽しんでいた。
スキニージーンズにハイヒール、、Tシャツに革ジャンという格好で街を歩いていた。

日頃中々街まで出ることの無い○○○には、この平日の人の流れが丁度良い。
適当に喫茶店でコーヒーを飲み、帰路に着いたのは既に日が沈み掛けた頃合いだった。
車を運転しながら走り慣れた道を進んでいた時、飛び抜けて大きな人影を見掛け車を横付けした。

「若旦那、今お帰りですか?」
「 ?若旦那?」

スポーツバッグを抱えた魚住とチームメイトの池上は突然の声に立ち止まり、驚いた様に○○○を見た。

「…?ああ、失礼しました。○○○です。」
「○○○さん!?」

ご自宅までお送りしますよと、乗車を促し三人を乗せた車は軽快に走って行った。

*****

「へー!○○○さんって魚住ん家で働いてるんすか!すげー!」
「いえ…大将や若旦那には良くして頂いておりますよ。」
「若旦那て!魚住若旦那かよ!」

池上の質問に答えながら、運転する○○○の隣で、魚住は心中穏やかで無かった。
少しだけ派手に施された化粧に、緩く巻かれた髪の毛、ボディーラインに沿った私服。
店舗とは真逆の印象の○○○は魚住には刺激的に見えた。

「池上さん、此方で宜しかったですか?」
「○○○さんあざす!助かりました!それじゃな魚住!」

池上は荷物を取ると、颯爽と帰って行った。
○○○はハザードランプを切ると、魚住に悪戯っぽく笑った。

「ちょっとドライブしましょうか。」


*****

魚住を乗せた車は海沿いを走り、船の明かりが疎らに浮かぶ防波堤の側で停車した。

「夜の海っ私好きなんです。」

車を降り、ぐっと伸びをする○○○の後ろから魚住もゆっくり歩き出した。

「○○○さん、済みません。折角の休みなのに。」
「気になさらないで下さい!私が好きでやった事ですから。」
「むう…。」

納得いかなそうに唇を尖らせる魚住に、○○○は吹き出すと唯一ある街灯の下で魚住を見上げた。

「若旦那もやっぱり高校生ですね。」

可愛い反応とツボに填まる○○○に、顔を赤らめた魚住はツンと顔を反らした。

「○○○さんはお年の割りに大人ですね。」

思っても無い皮肉を述べた魚住に、○○○は笑いを収め、そうですねと言った。

「私がいる場所は、男性が強い世界ですから…何倍もやらなければ振り落とされてしまいます。」

暗い海に浮かぶ灯台の明かりをぼんやりと見ながら、○○○は口を開いた。

「車で池上さんにお伝えしたこと、あれ嘘じゃ無いんです。大将も兄弟子の皆さんも若旦那も、純粋に私を評価して下さいます。それに何度救われたことか…。」
「だから私…ずっと大将と若旦那の下で働きたいんです。」

○○○は花のような笑みを浮かべた。柔らかな印象の垂れ目が魚住を写しその唇は綺麗な弧を描いた。

「○○○さん、俺は…貴方よりもずっと未熟で…上に立つような器じゃない…。」

自己嫌悪しがちな魚住は、ぽつりぽつりと呟く様に、言葉を繋いだ。

「だけど…もし親父の様な料理人になれたら、その…俺の隣で一緒に働いてくれますか…?」

下では無く、隣で。
魚住は赤らむ頬を海の風で冷ましながら、俯く○○○に目線を落とした。

「だから……結婚を前提に、お付き合いしてください。」

魚住の言葉に、顔を跳ね上げた○○○はこれでもかと言わんばかりに頬を染め言葉に詰まっていた。

「わわわ、若旦那?な、何を仰って!?若旦那には、もっと若い人が…わ、私では役不足じゃ…。」

おろおろと目線を泳がす○○○に、魚住はひざまづいて顔を見上げた。

「俺は貴女がいいんだ。初めて会った時から、○○○さんしか見えなかった。」

魚住の言葉に、ぐっと息を飲んだ○○○は深呼吸すると、小さな声で返事をした。

「私も若旦那の事…お慕いしています。…その…若旦那の隣に、いたい、です。」

○○○の返事に魚住は立ち上がり、ホッと息を吐いた。


*****


ー帰りの車内ー

「そうだ。○○○さん、二人の時はその若旦那って言うの辞めてください。」
「ダメですか?…それじゃあ、純さんで宜しいですか?」
「…ま、まあ。それでいいです。」
「分かりました。あの、私もお願いが…。」
「?何ですか?」
「敬語と、さん付け辞めてください。」
「!?じゃ、じゃあ○○○さんだって。」
「あ、私は無理です。」
「……。」

主導権は○○○に軍配が上がったのを悟った魚住であった。





おしまい
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