夢と現の境界線

□01.私と邂逅
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開宴
 天気が悪く、暗く澱んだ夕暮れの中で始まったそれは、不穏な気配を孕んだまま進められた。
招待客にウェルカムドリンクが配られ、私は最後に茉莉が持ってきたオレンジジュースを手に取って、舞台袖から壇上の父がマイクに近付くのを見ていた。
想定していた、この家の壊滅は遥かに早く、開宴の挨拶が始まろうとしたその瞬間に、壇上でマイクの前に立った父は、突然べしゃりとひしゃげた。真っ赤なインクを撒き散らした高級羽毛の絨毯のように成り果てた父をポカンと見つめる祝宴の参加者達。その全員の視界に、小柄な影が映った。壇上のマイクを奪い、小柄な夕焼け色の影が嗤いながら言う。
「逃すんじゃねェぞ。殺せ」
言葉尻のS音が耳に届くか否かという段階で、私は舞台袖に置かれている、ステージへ掛ける為の五段ほどの階段の裏に滑り込んだ。なんて酷い娘だろう。父が目の前で潰れて死ぬのを見た途端保身に走るとは。
 けれど私はその時、それどころではなかったのだ。
夕焼け色の…中原家の子…否。否、否!ポートマフィアの中原中也を私は知っている。そのことを思い出したからだった。父がひしゃげた瞬間に、まるで記憶にかかっていたフィルターが剥がれる様に思い出したのだ。
そして父の死体の潰れたものの上へ、まるで天使の様にふわりと降りた中原さんを視界に収めた地点で、私は身体の重心を全て、階段下のスペースへ向かう為に動かして。
殺せ≠ニいう命令の瞬間に駆け出した。
滑り込んだ階段下のスペースで、私は頭をフル回転させる。このままでは死ぬ。ポートマフィアに楯突いた裏切り者の、その実の娘だ。見せしめに殺すには良い。冗談じゃない!!
悲鳴があがる。扉を叩く音が聞こえる。ああ、広間の扉は施錠されたらしい。家の者たちが裏切ったのか。否、裏切ったのは此方だった。あゝ矢っ張りこうなった!!
 かつん。私の耳が、女中が履くエナメルの靴の音を拾った。茉莉だ!私は声を上げようとして、そして両手で口を抑えた。
有り得ない。この殺戮の混乱の中で、只の女中である茉莉が生き残っているわけがない!
「嶺様、嶺お嬢様。どちらにいらっしゃいますか?」
何時も通りの茉莉の声だった。お八つの頃に、中庭に居る私を呼ぶ時の様な。
黒いエナメルの靴が目の前に見える。居場所がばれている。次の瞬間私は勢いよく飛び出した!
「きゃ!」
いつも大人しい私の突然の体当たりに、体勢を崩した茉莉が尻餅をついた。私はそれを視界に収めず、直ぐ様踏み出した右脚で木製の床を強く蹴った。
「見つけました!!!」
私の背後で茉莉が叫んでいる。ああ、茉莉。私の生まれた頃からの大親友。真逆貴女に売られる日が来るなんて!私は信じたくない現実から目を逸らす様に舞台袖から飛び出した。
 壇上から見下ろす広間は酸鼻をきわめる有様だった。真っ赤に染まった床。未だ続く断続的な破裂音は、機関銃の音。死体を踏みつけ押し退け、扉へ殺到する招待客達。そんな彼らを背後から撃ち殺す黒服の男たち。目を見開いて広間を見た私の肩を、背後から地面に押しつける様に茉莉の手が掴んだ。
「あっ!」
左肩を地面に押し付けられて、左頬が地面に擦れる。右目で天井を背にする茉莉を睨んだ。
「止めて!茉莉!離して!」
「嫌よ!いつもいつも同い年の私よりも可愛くもなんともないアンタなんかにニコニコ愛想笑いして!旦那様の嫌らしい手つきにも耐えて!!こんな生活もう嫌なのよ!お金さえあれば!マフィアだろうとなんだろうと手引きするわよ!アンタなんか殺されたって私は何も思ばっ!」
茉莉の、悲鳴染みた心の吐露は言葉尻が変に濁って終わった。
私は頭から茉莉の頭部だったピンク色の肉と血の塊を被った。
「茉莉?」
私が真っ赤に染まった茉莉の頸から上をぽかんとして見上げていると、声が降ってきた。
「悪ィな。そんなに時間かけてらんねェんだ」
彼の、中原さんの手が、私に伸びる。殺、される。
「異能力!『夢と現』」
 その途端、私と彼の間を断絶する様に、突然大きなダイニングテーブルが、空間を切り裂く様にして現れた。私の、奥の手だ。
「異能力者か!聞いてねェぞ太宰」
中原さんは舌打ちに続いてそう云った。
視線は私を貫き続け、次々にテーブルや椅子の木片、砕けた壁の瓦礫や鋭いナイフが飛び出すのを、私は矢継ぎ早に夢≠開き今迄に溜めた巨石やテーブルを盾として応戦する。今世(前世は如何だか知りませんけど)の私は対人戦闘の経験など毛程も無く、防御が精一杯の抵抗でした。
「おい、お前」
私の命を奪おうと迫り来る物が、木片や瓦礫からナイフや物凄い勢いの銃弾に変わり始めたところで、中原さんが問い掛ける。何でしょう!、と大きなマホガニー材の、元々父が愛用していた執務机(一番下の段の引き出しが過重で壊れたので廃棄になった)の影に入って飛び掛かるナイフを回避する。
「死にたくねェな?」
「はい!」
 私は夢≠フ中で、盾ではなく武器になりそうな物を物色しつつ、そう返した。こんな会話で生かして貰えるなら、苦労はしないのだけれど。ゆっくりと気づかれない様に彼の背後に夢≠フ出口を創り、銀食器の肉刀を勢いよく射出しようとして。
ドッ、と後頭部に大きな衝撃を感じて、そして地面に倒れこんだ。
視界が揺らぐ。せっかく開いた夢≠フ出口が保てずに霞の様に消えていくのが見える。私からは見えない背後から、若い声が聞こえた。
「一寸、中也。如何云う心算?」
ぶつんと意識が途絶えた。
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