出航!

□第十章 トットランド編
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女がケーキを食いながら泣く姿が見えたので、社(やしろ)の外へ俺は早急に立ち去った。






ここはミロワールド。






妹ブリュレの能力でしか入ることのできない世界。

女の話は一概には信じがたいが、あの開いた扉の先の“白い景色“が、ここミロワールドではないことは確かだった。見聞色で警戒はしていたが、害はないようなので様子を見ることにしたが、初めに感じたあの感じは、一体、なんなんだ。


ドクンと胸が、ギュッと締め付けられるような……。



裸足に、背中の空いた青いドレス。よほど歩き回っていたのか、髪は緩くほぐれかけている。
そもそも、あの格好で、元四皇の将星の部屋に乗り込む馬鹿な奴はいない。



近くの鏡をコンコンとノックした。


「ブリュレ、オペラのところへ案内しろ」

「分かった、今行くわ、お兄ちゃん」



鏡の中から声が聞こえた。



 




チャプン…


天井まで本がぎっしり詰まった図書館の鏡から、ブリュレと飛び出した。




「オペラ、さっき渡したメモの件はどうなった」

「記事は少ないが、あるにはあったぞ」

「そうか、見せろ」

「一番最近のが、これ2日前のノース・クー」


<見出し「セント・アンドルーズ楽団、エドガー卿御来訪特別コンサート」
写真は、エドガー卿と楽団長らしき人物とドレスを着たあの女が跪いている。
12月20日に行われたコンサートの様子が書かれていた。
女の言っていることは嘘ではないらしい。
隅の方に、女の略歴が小さく書いてある。
“セント・アンドルーズ楽団に所属。作曲家兼ピアニスト。既婚。夫はセント・アンドルーズの奇跡の人。三人の子供の母親でもある。”



「次は、これ。2年前かな」


<見出し「”ブルー“世界的大ヒット」
 写真は、あの女がピアノを弾いている姿。記事にはその女が作曲した曲が、クラシック曲としては異例のヒットしていることについて書かれていた。
俺は、音楽には疎いせいか、そんな曲や話は聞いたことが無かった。



「わ、お兄ちゃん、“ブルー“知ってるの?」

「……お前は知っているのか」

「ええ、すっごい素敵よ! お兄ちゃんも聞いてみたら?」


「……オペラ、次はなんだ」

「ええと次は、4年前」

<見出し「スノウ、ライサンダー家の当主と婚約」

写真は、あの女が真面目な顔で赤子を抱いて、隣には笑顔の品の良さそうな夫人。
その女が、近々ライサンダー家の当主と結婚をするということが書かれていた。




「あとは、これかな」

< 見出し「セント・アンドルースの奇跡」
写真には、その女と、車いすに乗った、やつれた感じの金髪の男が、共に笑顔で映っていた。
記事には、医者も見放した行倒れた浮浪者を、その女が看病し、助けたということを奇跡として書いていた。


賊ではないのが分かったが、なぜその女がここに現れたのかが、わからない。
その女自身も制御できぬ何かの力がそうさせたのか…。




「ねぇ、お兄ちゃん。なんでそんなに“スノウ”のことを調べてるの?」

「…気になることがあってな。ほかに、記事はないか」

「もっと調べてみるよ。見つかったら連絡するよ」
 
「ああそうだ、オペラに、ブリュレ。……触れただけで、胸が締め付けられることはあるか?」

右手を見つめた。

「ええと、どのような感じで?」

「ドキン、とか。ドクンとか。そういった感じだ」


胸を押さえて見せた。


「ええっ、お兄ちゃんそれは、恋よ! きっとそう! キャー」

「恋……だと? ……そんな非科学的な答えを聞いてるんじゃない。医学的にどうかときいているんだ」

「どうかと言われましても……医者を呼びましょうか?」

「……いやいい、…行くぞ」

「はい、お兄ちゃん」



チャプン…





「ブリュレ今日の事は、口外するな。わかったか。あと、毛布を一つくれ」

「ええ、わかった。毛布ね、今とってくる」


ブリュレは、近くの鏡からすっと入り、すぐに毛布を持って出てきた。


「はい、お兄ちゃん。今日のことは黙っておくね。おやすみ」





ブリュレが鏡に入ったのを見送り、社に戻る。





「ブッ、ハハハハハハハハ…アハハハハ…ヒィ…ハハハハハハハ…ヒィ…ハハハハハハハ…」


堰を切ったように笑い声をあげた。

実は数分前から中の様子が見えてしまっていて、必死に笑いを堪えていたのだった。
食べかけのカップケーキの上に顔を乗せ爆睡している女。ドレスがめくれ上がり、モチの格子から飛び出した足に、ティーカップがさかさまに乗っていた。
なぜそうなった?


「アハハハハ…」


作曲家兼ピアニストというくらいだから上品で奥ゆかしい女と思っていたが、予想だにしない寝姿に張り詰めていた緊張が一瞬で解けてしまっていた。



「おい、起きろ」


ZZZZZ…



「おい」

 
声をかけるも、起きる気配もない。
よほど疲れているのか。

檻を解除し、ブリュレの言った“恋”という言葉に、そんなはずはないと確かめるように、そっと人差し指を伸ばし、肩に触れてみた。


ドクン


心とは逆に跳ね上がる心臓。


「くそっ……」


手を放しても、徐々に動悸は増すばかり。
本当に俺はどうしてしまったんだ。
こんなことは今まで無かった。
女のめくれ上がったドレスを元に戻し、背中に毛布をかぶせる。
ドレスは見た目よりも厚い生地で出来ており、ノースブルーから来たという証言に嘘はないのだと納得せざるを得なかった。

地面を隆起させ、ベッドを作った。
その女を抱き上げ、ベッドに寝かせた。
顔をよく見ようと女に跨り、顔を近づけた。
整った顔立ちにチョコレートのいい香りがして、見ると、こめかみにケーキの屑がついていた。



「おい、おきろ」

ZZZZZ…
 
すやすやと寝息を立てる頬に、またそっと触れてみた。


ドクン 


「…ん」
 

女がむずがゆそうな顔を一瞬したので、さっと離れ背中を向ける。
動悸が速くなる。
まずい、起きたか?
先ほどまで、起こそうとしていたのに……。
俺は何を恐れている。感情が揺れ動く。

その心配とは裏腹に、女は2回転ほど寝返りをして、ベッドから落ちそうになっていた。
 

「おっ……と」

腕をつかみ引き寄せるも、また転がりだす。
かぶせた毛布もなぜかすぐに剥ぎ取られ、用をなさない。
仕方なく、毛布を肩に縛り付け、ベッドに柵を作った。


この女、寝相が悪すぎる。

 
その女を横に、寝転がり、先ほどオペラから調べてもらった新聞の記事をじっくり読んだ。
 
 
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