出航!
□第一章 黒のテンペスト
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3
「どうした」
以外にも声をかけてきたのはダズさんで、湯気の立つコーヒーカップを二つ手に持っていた。
「あっ、その、どんな格好をしたらいいか迷って」
「そうか」
スッとクロコダイルの方へ行き、カップをテーブルに置いて、一言二言話をしていると、クロコダイルが立ち上がってこっちに来た。
「今夜、ここをすぐに発ち、しばらく身を隠す」
「身を隠す?」
「ああ。逃亡すると言えば解かるか?出来るだけ動きやすく、肌の隠れる服装で頼む」
「は、はい」
逃亡という聞き慣れない、単語に動揺しながらも、クロコダイルの言った事を聞き逃さないように頭の中で繰り返した。
「ボサッとしてねぇで、さっさと着替えろ」
「はっ、はい」
ざっとハンガーに掛けられた服を見て、動きやすい、肌の隠れる服を適当に選び出した。
黒のジーンズにフリルの付いた薄紫色のブラウス、靴は深い茶色のトレッキングブーツ。防寒用に紺色のパーカーをチョイスした。スーツケースから、サイズの合う下着を選んでいると。
「決ったら、この部屋で着替えるといい」
ダズさんがバスルームとは反対側の、奥の扉を開けた。
その部屋は、白で統一されたベッドルームになっていて、窓際に大きな姿見があった。
部屋の中は綺麗に整えられ、生活感が無い。
窓の外は、さっきのプールサイド。
ここから逃走しようとしても、隣の部屋の大きな窓から丸見えなのですぐバレてしまう。
一か八かで逃げようかとも思ったが、まったく土地勘のない場所である。
逃げたとしても、すぐに彼らに捕まってしまうと諦め、カーテンを閉めて、着替えた。
そして、バスルームにあった黒いゴムで髪を一本に束ね、パーカーとバスローブを持って部屋を出た。
「あ」
部屋を出ると、ダイニングでサンドウィッチを食べているクロコダイルと目が合った。
食事中の彼にとっては“不意”だったのか、一瞬、口を開けたまま固まったように見えた。
もしかして、服の選択が気に入らないとか。
だとしたらマズイし、不都合な点があるかもしれないと思い、クロコダイルに意を決して聞いてみた。
「あのっ、こ、この格好でよろしいですか?」
3-2
「 ん、………………………… まあまあだ」
さっきまで来ていたおかしな服とのギャップがありすぎて、不覚にも正直驚いていた。
しかも“よく似合っている“
褒めてやっても良かった。
だが、上手く言葉に出来ずに適当な返事をしてしまった。 アサヒのファッションセンスは、着ていた服装からは全く無いと予想していたが。ブーツに細身のブラックジーンズ、フリルの付いたブラウス、太すぎず細すぎないアサヒの体の線が綺麗に出ていて、ほぼ完ぺきだった。
「良かった」
ホッとして屈託のない表情で笑うアサヒと目が合った。
「俺達と一緒に来る気になったか」
「あ、それは」
さっきまでの明るさから、一瞬にして表情が曇った。俯いて考え込むアサヒ。
気持ちは分からないでもないが、せっかく見つけた変わった能力者を、みすみす手放すわけにはいかなかった。が、常に見張らなければならないというのも面倒だ。
脅すか?
いや、そうしたところでこいつが納得する筈がねェ。
返事を急がせても何も得られねぇ。
「それじゃあ、次の街に着くまでに決めろ、いいか?」
「はい、でも、行かないと言ったら?」
「そうだな、」
この期に及んで、そういう選択肢もまだあるのかと、こいつの馬鹿さ加減に半ば呆れた。返事に困っている俺を、アサヒは真剣な眼差しで見つめ返事を待っている。
「フッ、その時決める」
「その時ですか?」
大きな瞳が不安げに揺らぐのが見えた。
「殺したりはしねぇよ」
「本当ですか!」
すると、みるみるうちに表情に明るさが戻り、俺を見上げた。
こいつは本当に馬鹿なのか?
無理やり連れてきて、勝手なことを言っている俺を信用しているかのように、まっすぐな瞳で俺を見つめるので、いたたまれず思わず目を逸らした。
3-3
暗い浜辺で書類の入った箱に、右手を当てると、それらは砂へと変わり塵となって消えていった。
殺しはしない、って言ったけど、この人に逆らえば私も、こんな風に砂にされちゃうのかな。
怖い想像ばかりしてしまう。
「行くぞ」
ここに来る時に乗ったボートよりも少し大きめの木造船に、クロコダイルは私を担ぎ、船に下した。
ダズさんが居ない事に気がつき振り向くと、浜辺で、さっきホテルに居た秘書らしき女性と、こっちが恥ずかしくなるくらいの、熱い口づけを交わしていた。
あの女性とは、着替えた後、必要かもしれないとリュックを部屋に届けてくれたとき、少し話しをしたのだった。
「私はね、ここの後任を任されたけど、落ち着いたらまたボス達と合流する予定よ」
私の着替えをリュックにつめながら淡々と話をした。
「あの、クロコダイルさんはどういう人なんですか?」
「ふふっ、あなた社長のファン?」
「いいえ、そうじゃなくて。私、ついて来いと言われたんですけど」
「そう。良かったじゃない」
「良くないです!」
「私も一緒に行きたかったな」
寂しそうな顔で笑うので、そこから何も言い返せなくなって黙りこんでいると。
「ほら、顔を上げて」
私の頬を両手で包み込み、耳元で囁いた。
「安心して、こんな風にして連れて来られた女の子はあなたが初めてよ。きっと社長も、あなたを悪いようにはしないと思うわ」
「…………」
ダズさんが乗り込むと、エンジンが回り、船が動き出した。
3-4
夜明け前にどこかの陸地に着いた。
船から降りると、クロコダイルは証拠隠滅の為か、船を砂にし、葉巻をくわえて歩き出した。
まさか、徒歩!?
辺りを見渡す。岩がゴロゴロしていて、木も草もまばらな荒野。サボテンは無いからそんなに暑い地域でもないのかな。気温はブラウスにパーカーで丁度いいくらい。でも、彼らの足が長いのか、身体能力に差がありすぎるのか、彼らが歩く感覚が、私にとっては駆け足で、30分もしないうちにヘトヘトになっていた。それを見兼ねてか、クロコダイルは立ち止まり。
「少し急ごう、ダズ。そいつを頼む」
「はい」
ダズが不意に背を向けしゃがみ込んだ。
これって、おんぶですか?
「えっと」
「早くしろ!」
「あ、はい」
肩に手を掛け、体重をダズの背中に乗せた。ダズの腕が膝の下に入り、立ち上がる。
うおぉ、高い!
「ちゃんと掴まってねぇと落ちるぞ」
ダズさんがボソッというので、恐る恐る首にギュッと掴まった。それを見てクロコダイルは、下半身砂状態になり走り出した。
「重くないですか?」
その質問に答える義務は無いと言うかのように、ダズさんは黙って走り出した。
「ぅわ!」
ビュン……ビュン……
早っ!!!!
風を切って凄い速さで走る。ちゃんと掴まってないと振り落とされるところだった。
そして、スパスパの実の能力者のダズさんの背中は、鋼鉄のように堅かった。伝わる体温は暖かく、ほんのり香る(香水かな)ジャスミン系はかな、香りもなんだか心地いい。
いやいやいや……ダメだって!!!!
のん気に考えてる場合じゃないんだ!
この人達、やっぱりタダものじゃない。チャンスがあったら逃げよう! と、心に誓うのだった。
夕方、小さな廃墟に着いた。
廃墟マニアが喜びそうな苔むした石造りの崩れかけた、いい感じの廃墟である。昔、海軍が使っていた建物なのか、朽ち果てた建物にかすれた海軍のマークが残っていた。クロコダイルが廃墟一面に生えているトゲトゲした雑草を砂に変え、中に入っていく。
私を降ろしたダズさんがハァ、ハァ、と息を切らしていた。
「ごめんなさい。重かった?」
一瞬、ダズ・ボーネスが困惑した表情で私を睨んだ。
無言。
私は何者なのかも分からないから、警戒するのも無理ないか。
廃墟の中は、天井は無く、分厚い外壁だけが残っていて、ところどころに干からびた蔦が絡まっている。
「お前はそこにいろ」
ダズさんが冷たく言うので。
「に、逃げたりなんてしません。あの、何か手伝います」
「……」
無視!?
「だから、手伝います!」
さっさと外に出ていこうとするので、後について出ていこうとすると。
「この辺の雑草の一部の棘には毒がある。痛い目に遭いたくなければ、そこで、おとなしくしていろ」
「毒!?」
確かに、建物の周りには毒々しい赤いトゲトゲの植物がそこら中に生えている。
クロコダイルは、砂の刀で、草を薙ぎ払い、焚火の為なのか、枯れた木を切り倒していた。二人はテキパキと動き回り、木片を集め焚火をつくった。クロコダイルは、てっきり部下に全て任せ、ふんぞり返っているイメージだったので、こういう姿を見るのは新鮮だった。
パチッ、パチッ……
私は焚火の前に座り、ぼんやりとその情景を見つめていた。燃える焚火の温かさや、廃墟の石の床から伝わる、冷気の感触。やっぱり私は生きていて、ここは違う世界の現実なのかと認めるしかなかった。
辺りが暗闇に包まれる頃、二人は何か話して、そして、駈け出した。
何所に行ったんだろう? まさか、置いてきぼり?
パチパチ燃える焚き火に小枝をくべながら、“そうなったらなったで、まあいいかな“と考えたりもしていた。超回復の力もある。多少怪我をするかもしれないが、何日か我慢して歩けば、人が住んでいるところには辿り着けるかもしれない。あの二人と一緒にいるよりは安全かもしれない……と。
早くもその考えは打ち砕かれるのである。
唸り声とともに数頭の、大きさはラブラドールくらいで色は黒の、狼らしき、動物に囲まれていた。
「キャーー!」
悲鳴を上げるも、もちろん助けてくれる(かもしれない)二人はどこかに行ってしまっている。壁を背にして、近くにあった木の棒を両手に持ち、振り回して威嚇する。少し臆病な動物なのか、棒を振り回すと後ろに跳びのいたりして、威嚇することができた。
暫く睨みあうも、痺れを切らした一匹が飛びかかって来た。
「いやーーーっ!!!」
ゴン
それを棒で薙ぎ払うも、次々と狼達が飛びかかる。
「うっ!」
予想以上に鋭い爪で手足を引っ掻かれうずくまった。一匹が私の右腕に噛みつき、パーカーを引き裂いた。ああ、もう駄目だと思った瞬間
ギャン
狼が壁に叩きつけられた。
見るとクロコダイルがすごい顔で立っていて、一瞬で殺気を感じた狼達は逃げていった。
「大丈夫か?」
クロコダイルに聞かれて、ようやくホッとして頷いた。噛まれた箇所をめくり確かめると、傷はもちろん治っていた。
「一人にして悪かった。このあたりは大型獣の住処と聞いていたが、小せえのまで気がつかなかったぜ。それにしても、あの群れ相手に、よく耐えたな」
頭にポンと感触が当たった。
見上げた時にはもう手はひっこめられていて、背中を向け、消えかかった焚火に小枝を足していた。
暫くして、ダズさんが戻ってきた。両手には大きな肉の塊を抱えている。
ボロボロになった私を見て、一瞬、驚いたような顔をしたがすぐにポーカーフェイスに戻った。
後で聞くと、何頭か大型獣の気配がしたので討伐と食糧調達で二人とも出かけたらしい。討伐に私を連れていくのは足手まといで問題外。だからと言って大型獣がいることを言って怖がらせたりしたら、一緒に行くと言い出しかねないので言わなかったらしい。
ダズさんが肉を焚き火で炙り始めた。なにか懐から調味料的な物を出してふりかけていた。
ああ、いい匂い。
クロコダイルが私の正面に座り、どこからか取り出したのか、ワインのボトル片手に、焼きあがった肉を食べはじめた。
あぁ、何時だろ今? お腹空いたな……。
ダズさんが私の隣に座り、その焼いた肉の塊を一つ私に無言で渡した。
ぶっきらぼうに渡されたが、大きくて、おいしそうなお肉に、表情が緩んだ。
「あ、ありがとうございます、いただきます!」
なんのお肉かわからないけど、ガブッと齧ると、塩コショウ味が効いていて、肉汁がたっぷり出てきて、思ったよりも柔らかくておいしかった。
服も用意してくれたし、おんぶもしてくれて、ご飯もくれる、もしかしたら、本当は、いい人たちなのかもしれない。そう思い始めた矢先、クロコダイルが口を開いた。
「お前のその力は、いつからだ?」
「たぶん昨日、からです」
「そうか、食われても回復するかどうか、試せば良かったかもな」
さらりと怖い事を言う!
“いい人“撤回!
クロコダイルはダズさんにワインを渡し、ダズさんがそのワインをグッと飲んで、私に渡した。
「水代わりだ」
!?
それを受取り、一口試しに口にすると、強すぎるアルコールに、ゴホッ、ゴホッ、むせた。
「大丈夫か?」
「す、すいません、飲み慣れてなくて」
それをダズさんに返し、肉を一気に食べた。緊張しているせいか不思議と喉が渇かなかったし、疲れもそんなに感じなかった。
ワインのせいか、クロコダイルのコートにくるまると眠気が襲ってきた。
二人がなにかボソボソ話していたが、二人とも口数も多くないうえに低音ボイスで、よく聞き取れなかった。