出航!

□第一章 黒のテンペスト
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 ドクン!!



 心臓が跳ね上がった。

 思わず女の首から手を離した。
何だ、この感覚は!?
それはすぐに治まり、原因を考える間もなくダズが声をあげた。



「ボス! 傷が!」


 さっき引き裂いた手の甲の傷が塞がり、もう元に戻っていた。
当の本人も驚いたように手を握ったり開いたりして、見つめていた。


「うそ!? どうなっちゃたの」


『再生能力者』か。



 “使える“


 この新世界において、手持ちのカードは多いに越したことは無い。


「フッ、こいつはいい拾いものをした。クハハハ、殺すのは無しだ。ダズ、こいつを一緒に連れていく」

「ですがボス「異論は認めねぇ」


 ダズは、不満のようだ。無理もねぇ。この訳の解らねぇ女に関わるのは危険すぎる。だが、興味があった。



「え! ちょっと待って下さい! 一緒に行くなんて」

「黙れ!(女の顎を掴んだ)もうひとつ質問だ。何故、俺の名を知っていた」


 肝心な事を聞きそびれていた。女は、何の躊躇も無くこう答えた。


「ま、前に見ました。し、新聞で」

「字が読めるのか」

「へ? よ、読めますよ」

「じゃあ何故あの部屋に入ってきた」

「え? 」

「ドアの前の“close”の看板は読めなかったのか? 」

「看板なんて、ありました? 」

「ドアの前にあったろ、デカイのが。無かったのか? 」

「その部屋には、ピンク色のドアしか無くて、開けたらあの部屋につながっていたんです」



 ピンク色だあ!

 理解に苦しむ。筋金入りのバカか!?


 あの街は、以前から政治不信がくすぶっていて、いつ内戦が起こってもおかしくねぇ状況だった。その情報を得、俺とダズはその一月前から街に潜伏し機会を伺っていた。そして、昨晩クーデターが勃発。警備が手薄になったのを機に、兼ねてから目を付けていた宝石を頂いた訳だが。
 先ほど潜入したのは、世界三大美術館のうちのひとつ。部屋数は200近くあり、廊下はなく部屋同士が隣合う宮殿様式の建物だ。だがその中に、ピンクの色をしたドアなんてのは、見たことが無ぇ。それに、こいつは妙な格好に靴も履いてなかった。あの美術館は入り口で、身分や身なりを厳しくチェックする。
俺でさえ入り込むのが面倒だったのに。どうやってあの建物に入った?



「いったい、おまえはなんなんだ?」



 黒い潤んだ瞳がランプの光で輝いている。頬は怒ったせいか、うっすら赤く染まり、唇をギュッと噛みしめている。おかしな格好をしているが、よくみるとそこそこ顔立ちは整っている。寒いのか、膝を抱えて震えている。
 しばらくして、観念したように口を開いた。


「私は、去年、大学を卒業して今は、一応、臨時で教師をしています」

 格好のせいかバカっぽく見えていたが、それなりに受け答えもまあまともで、しかも、教師をしているという、本当か?



「名前は?」

「え?」


 驚いた顔をした。


「お前の名前だ」

「松本アサヒ」

「変わってるな。 名は”アサヒ”でいいのか」

「はい」


 言った後、ハッとして、また俺をムッとした顔で目に涙を浮かべ、睨んだ。

 この俺様を、睨みつけるとはいい度胸じゃねぇか。

 まだ、さっき傷付けちまった事怒ってんのか? 
 だから女は面倒くせぇ。


「アサヒ。さっきは悪かった」

「…………」



 無視かよ! クソっ、優しくすればこうだ。



「おいっ! 返事ぐらいしろ」


 ダズが見兼ねて、女にどなった。



「……はい…………うぅっ……グスッ」


 顔を膝に埋めて泣き出した。どうやら無視したのではなく、泣くのを堪えていたようだ。

 川の風は意外に冷たく、裸足のその女は、寒そうに震えていた。




 仕方ねぇな。


 震える肩に羽織っていたマントを被せてやると、驚いて俺を見上げた。


「……クロコダイルさんは、寒くないですか?」



 “クロコダイルさん“気軽にその名を呼びやがって。この状況で俺の心配か?




「ああ」


 頭を軽くポンと叩くと、複雑な表情をした。それからうつむき、黙った。

 怖がらせたか!?

 すると小さく声が返ってきた。



「ありがとうございます」


 何だこいつは!?

 だが、不快でもねぇ。


「フン」

 まあいい、徐々に躾けてやる。

 ダズは警戒しながらも、ランプを消し操縦席に戻り船を進めた。

 
 見張りも兼ねて“アサヒ“という女の左横に座り、目を閉じた。

 予定外の事が起ったが、逆に、思いがけない物を手に入れた喜びもあった。
 あの“ドクン“と感じた胸の高鳴りも、この予兆だったと思えば納得できた。

 風向きで時折、フワリと甘い香りがする。



 悪くねぇ。

 そう思い始めていた。船が揺れ、アサヒの身体が右に大きく傾いた。




「おっと」


 肩を抱き態勢を整えるも、そのまま俺の膝の上に大の字にばったりと倒れ込んだ。




 Zzzzz……




 こいつ、この状況で寝てやがる!?



 川の流れは急で、船は予想以上に揺れた。

 黙っているとマントからアサヒの身体が飛び出てしまうので、もう一度マントで巻いて、袖で縛った。

 いわば簀巻き状態にした。

 アサヒという女はそのまま起きる様子も無く、気持ち良さそうに眠っている。

 逃げられる心配は無くなったが、この状況で熟睡とは、肝の座った女だ!














2-1





 ん……





 潮の香りで目が覚めた。

 クロコダイルとダズの姿はなく、白いカーテンがかかった天井まである大きな窓越しに、青い空が見えた。




 夢!?


 だったのかな。

 うん、きっとそうだ、夢に違いない。

 漫画の世界に入るなんて、ないない、絶対ありえなーい。

 起き上がろうと、身体を動かす。



「あ、あれ?」



 良く見ると、黒い布でグルグル巻きにされていた。


 これって。


 見覚えのある黒い布。

 クロコダイルが昨日私に被せたマントだよね… ってことは。


 ゆっくりと辺りを見渡すと、白くて広い部屋に高い天井、奥の方にソファーらしきものが見え、人影が動いている。
壁には、小さめの綺麗な色の抽象画がかけられていて、それがアクセントになっているせいか、白っぽい部屋全体を心地よく引き締めている、部屋の主のセンスの良さがうかがえた。
私が転がっている、ほこりひとつ無い綺麗過ぎる真っ白い床は、多分、大理石。




 男の人の話し声がするも、少し離れているせいか聞きとりづらい。



 コツコツコツ……



 じたばたしていると頭の方から速足の足音が近づき、クロコダイルが私を見降ろした。



「起きたか」


 白いシャツに、黒のスラックス姿のクロコダイルが無表情で言った。



 こ、怖!



 思わず固まってしまった私の横にしゃがみ込み、コートをほどいた。

 立ち上がって、辺りを見渡すと、窓の外にはプール!
 プールサイドには、白いビーチパラソルに白いチェアーが二つ並べられていた。
 部屋の中は予想以上に広く、ソファーセットの先にダイニングテーブルが見え、その奥に、書き物机的な家具が置かれた部屋が続いていた。




「うわ、ここは、どこなんですか?」

「俺のビジネスの一つだ。こっちへ来い」


 サラッと砂が私の首を掴んで、プールサイドへ連れ出された。



「うっ」

 
 思わず睨んだ。
 

「クハハハ。なんだ? 言いてぇ事があるなら言ってみろ!」




 言いたい事!?
 

 寝起きに首を掴むってどうなの?

 と聞きたいところだったが、そこは抑え、言葉を飲み込んだ。



「あ、おお、お、おはようございます」



 とりあえず挨拶をした。

 それをクロコダイルは驚いた目で見た。そんなにおかしいかな? 
 寝起きだし、今、朝だよね。




「ほう、行儀のいい奴はきらいじゃねぇ」



 ドン!



 ザッパ―――ン!!!



 次の瞬間私はプールに落ちていた。



「キャー!!!」



 初めは混乱したが、泳ぎは比較的得意な方だったし、プールは浅く、難なく足が付いた。



「なにするんですか!」



 相変わらず無表情で見降ろすクロコダイルに、あろうことか怒鳴っていた。




「能力者じゃねぇってのは本当みてぇだな」

 
 ニヤリと笑った。



「だから、違うって言ったじゃない」


「確認しただけだ。早く上がってこい」



 クルッと背を向け、部屋に入って行った。



「なによ! 確認って」


 服を着て泳ぐのは初めてだった。水の中では動きづらかったが、なんとかプールサイドの梯子まで平泳ぎで辿り着いた。

 ジャージの上着を脱いで、絞っていると、ダズさん(呼び捨てもどうかと思ったので)がタオルを持って現れた。


「風呂に入れ。脱いだ服はこの袋に入れておけ。風呂が済んだらバスローブでも着ていろ」

 

 タオルと、ランドリーと書かれたビニール袋を渡された。

 “こっちだ“と言うようにダズさんが部屋に入って行くので、出来るだけ身体の水気を絞ってダズさんの後ろを歩いた。


 ペチャ、ペチャ………


 振り向くと私の足跡が水たまりになっていた。



「うわあぁぁ、ごめんなさい、汚しちゃった」

「気にしなくていい」



 振り向いたダズさんが無表情で言った。

 

 案内されたバスルームでシャワーを浴び、少し冷えた身体を温めた。
 
 それにしても、ここはホテルなのかアメニティが充実している。シャワーの後、バスローブを着て、化粧水とクリームを付けた。髪の毛をドライヤーで乾かし終わり、出ようかどうしようか迷っていると。




 コンコン



「もういいか」



 ドア越しにダズさんの声が聞こえた。


「あ、はい」


 そっとドアを開けると、ダズさんがこっちだという風にソファーのところまで私を連れて行った。

 ソファーには、クロコダイルが何か書類の束を持ちながら、電々虫をかけていて、私と目が合うと。上から下まで私の事をまじまじと見つめ、一言二言、何か話しをして電々虫を切った。



「そうだな。 まず、お前は食事を済ませろ」

 
 目線の先にはダイニングテーブルがあって、そこにサンドウィッチとフルーツ盛りが置かれていた。





「はい」

「服は今頼んだ。夜にはここを発つ、それまで待機だ」

「待機?」

「ああ」


 クロコダイルを見ると、ソファーテーブルの脇には段ボールが置かれ、テーブルに置かれた書類を、チェックし次々に放り込んでいた。



 なんだろう?


 テーブルには、サンドウィッチとフルーツ盛りが置かれていたが近づいて良く見ると、そのどれもが私の知っている普通のサンドウィッチとは比べ物にならない位大きいのに驚いた。
 クロコダイルやダズさん、彼らの腹を満たす為ならこのサイズは有りか、と納得。
 とにかくお腹も減っていたので、普通のフランスパンのひと回り小さめのパンの、生ハムが見えているサンドウィッチを頬張った。


 ガブ!

 ん!?


 パンは思ったよりも堅くなく皮がパリッと心地いい音を立てた。

 美味しい!

 ハムとレタスと、あと、なんとピクルスが一本まるまる入っている!

 あまりのおいしさに感動して、無心になって食べいると、



 コンコン



 ダイニングの奥の扉からノックの音がした。


 ガチャ


「社長、先ほど仰られたもの、準備出来ました」

 
 長い髪を一本にまとめ、黒いスーツにメガネの綺麗な女性が現れた。


「ああ、そこに」


 クロコダイルがリビングの端に目配せすると、その女性は洋服が何枚も掛けられたポールハンガーと、スーツケース、台車に乗せた沢山の箱を運び込んだ。

 その女性がスーツケースを開けると、下着類がずらっと整頓されて並べられている。
 次に女性は台車に乗せられた箱のふたを一つ一つ開け、並べて行った。
 それは靴で、スポーティーな物からかわいらしいパンプスまであった。一通り並べ終わると、その女性は、一礼をして退室した。


 クロコダイルはソファーに座りながら首だけこっちを見て、



「食べ終わったら、そこから服を選べ」

「ふぁい!」


 口の中のパンを呑み込んでから返事をすれば良かったのだが、相手はクロコダイルである。
 すぐに返事をしないといけない気がして、我ながら間抜けな返事をしてしまった。


「フッ」


 え? 今、笑った?

 クロコダイルを見るも、また忙しそうに書類に目を落としている。




 服か……。



 親切っちゃ親切だけど、プールに落としておいて、なんなの!

 よくよく考えてみると、頭にくる!

 とにかく、この人達は危ない!
 
 一緒に居たら、きっと、絶対!

 怖い目に遭ったり、犯罪に巻き込まれたり、挙句の果てには、殺されたり。

 ああ、でも、お腹も空いてるし、食べて服を着たら、逃げるタイミングを見計らって逃げて……って逃げるタイミングってあるかな。




 ソファーに座り、忙しそうに書類を片づけているクロコダイルの方を見た。


 こうしてみると、“海賊“というより”社長”という方がシックリくる。顔の傷とあの鉤爪さえなければ、イケメン社長としてモテモテだったに違いない。

 ……そう、そうよ海賊でなければ、二つ返事で“ついて行きます”って言うんだけどなぁ。
 なんて思いながらサンドウィッチを食べ終わり、洋服のかかったハンガーの前まで来た。




 高そうなブラウスに、ジャケット、ワンピース、カットソー、高級志向のクロコダイルの、恐らく御用達の店なのか、生地にしても、デザインにしても、どれもクオリティが高く見えた。



 それにしても、どんな格好がいいんだろう。


 クロコダイルの方を見ると、相変わらず忙しそうで、声をかけづらい。
 
 


 どうしよう。
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