出航!

□最終章!
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最終章 
十一章・5pより







♪〜




暗闇の中、
ピアノの音が微かに聞こえた。
そして、私を呼ぶ声。



「……ねぇ、ちょっと、あんた…松本さん、…起きなさい!……ねぇ、ちょっと、いいかげんに、起きてよ! 松本アサヒ!…んっもう!」


誰だろう?


なんだか懐かしいような、それでいて、ちょっとチクチクするような声。
身体は、なんだか重苦しく、頭が重い。
別の世界に飛ばされた反動か何か……なのかと。
ゆっくり目を開けると、そこには、見覚えのある女の子が、迷惑そうな表情で私を見下ろしていた。




「……マリアちゃん?」


おかっぱの黒髪の、目鼻立ちがくっきりとした気の強そうな大学時代の同級生が、怒鳴りつけた。


「信じられない!? いいかげんにしてよ! 私これから出番なのに! じゃあ」


黒いドレスを颯爽とひるがえし、部屋から出て行った。



バタン!!


マリアちゃんの着ている黒いドレスは、見覚えがあった。
華奢な身体にまとったそのドレスは、シックで背中が大きく開いた大人びたデザインのものだった。


鏡に映った自分を見て、ギョッとした。

赤いドレス!?

あのときのコンクールだ。
また!?


……と、いうことは、もしかしてここは夢之介くんの能力の世界。
だとすれば、きっと、アンドレ(ド・フラミンゴ)がどこかで見ているはず!!!


控室を出て、舞台袖へ向かった。
先に来ていたマリアちゃんが、また怖い顔で私を睨んだ。



「ナメたまねしないでよ、あんたと違って、私は人生かかってんだから」



大学入学前からトップクラスの実力で、国内のコンクール優勝経験は数知れず、卒業後は海外留学し、CDデビューまでしてしまったマリアちゃんは、私の憧れだった。
私のほうは、後にも先にも、決勝まで残れたのはこのコンクールのみ。
それなのに、思っていたような演奏ができず、今は、後悔しかない。



でも、こんな事あったかな?



“寝過ごした私を、マリアちゃんが起こす” なんて。
大学時代、話した事も話しかけられた事も一度も無くて、だからなんだか嬉しいのと、それと、少し歳をとったせいか、怒ったマリアちゃんが、なんだかかわいらしく思えた。


「ごめんなさい。マリアちゃん、起こしてくれてありがとう」

「……ほんっと! 信じらんない、大丈夫なの!?」

「う、うん。曲って、テンペストの第三だっけ?」

「はぁ! 決まってるでしょ! っていうか、自分で決めたんじゃないの!?」


私を驚愕の表情で見返し、絶句するマリアちゃんは、ため息をつきながら舞台へ向かっていった。




♪〜

気迫に満ちた、マリアちゃんのテンペスト第三楽章は、しなやかで激しく、非の打ちどころがない完璧な演奏だった。



前回の夢の世界では、客席は真っ暗で審査員や、お客さんの顔も見えなかった。
そっと、客席を覗いてみると、審査員のほかに、いつもの席に両親の姿を見つけ、胸がいっぱいになった。

また、会えるなんて……ありがとう、夢之介君。



〜〜〜♪




弾き終えたマリアちゃんが、うつむき通り過ぎた。
……そう、普段はこんな感じ。
私と、目も合わせてくれないほど、彼女は遠い存在だ。








“エントリーナンバー10番 松本 アサヒ”



スポットライトに照らされた舞台に、一歩、足を踏み出した。
あれから何百、何千と、この曲を弾いたことか……。





指で、ふわりと鍵盤をなぞる。



深呼吸……


♪〜〜〜


予想以上に美しいピアノの音色に少し驚き、声が出そうになった。
恐らく日本でも数台しかない最高クラスのグランドピアノ。
凄い、夢の中なのに、なんて美しい音色なんだろう。
夢、だからなのだろうか? 

身体にしみ込んだメロディーは、肘から指先を伝って呼吸するように紡がれていく。

物語が終盤に向かって畳みかける旋律に、思い出がよぎり、泣きたくなるのを必死で堪えた。

お母さん、お父さん……ここは夢の中だけど、弾き終わったら会いたい! 
一瞬でもいい、もう一度会いたい!


〜〜〜♪




拍手の音で、我に返った。


急いで立ち上がりお辞儀をし、早く両親のところへ行こうと舞台袖に戻ると、マリアちゃんが、また、すごい顔で私を睨んだ。



「あんたなんて……起こさなきゃ良かった」


私が困惑の表情で見つめ返すと


「心配して損した! あんたが、あんな演奏するとはね」


急に距離を縮めたかと思うと、私の頬を両手で掴み、ギュウっと引っ張った。
マリアちゃんの目は、赤く潤んでいて、ムスッとしながら少し笑った。


「私を、心配してくれてたの!? 」

「悪い!? 」

「うううん、嬉しい」

「何言ってんの!?」


驚いた表情で赤くなり、くるりと背を向け、楽屋へ戻っていった。



私は、急いで客席の両親のもとへ走った。
両親に再会し、思わず泣きだした私に、“結果発表はまだだぞ”と父が呆れて笑った。
“結果なんてどうでもいいの”と言うと、母が、“今までで一番の出来だったわ、涙が出ちゃった”と私を抱きしめた。






これが、夢だなんて……






発表待ちの騒然とした会場の空気、ほのかに漂う花束の香り、やわらかい母の体温。



夢だなんて……



まだ、あの人は現れない。
会場の天井を見上げるも、あの人はいない。




審査結果の発表のアナウンスが流れ、出場者は舞台袖に集められた。

もちろん、優勝はマリアちゃん。
前回と違っていたのは、なぜか私が準優勝したことだった。


このコンクールで、優勝者と準優勝者には、フランス留学の権利が与えられた。






これが、夢だなんて……
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